四十六話 sunrise
「満月か……」
呟いて缶のコーラをあおった。
壁にかかった時計を見上げれば日付はもう変わっている。
下では女子会で飲み潰れた三人が寝ている、隣の部屋ではそれに巻き込まれた雨乃が寝ている。
よって、現在この家で活動しているのは俺一人だけ。
明日からは学校だというのに、全くもって寝付けないでいる。
今日は色々と詰め込みすぎた一日だったせいだろうか? 胸の中に渦巻くやるせない思いや、焦燥感や不安感が俺をセンチにさせている。
「らーしーくなーいなぁ」
変なリズムで言葉を口ずさんでは、頭をクシャクシャとかく。
月夜先輩のあの恐ろしい程に冷たい瞳には何が映っているのだろうか? それ以前に、あの歳であんな絶望したような顔になるのは何故なのだろうか?
「訳わかんねぇ」
きっと辿ってきた道筋が違いすぎる。
同じ『空虚』でも度合いが違うのだろう。
俺が抱いた空虚は日常の中に漂っていた。
上手に笑えなくて、上手に泣けなくて、上手に生きれなかった。
だから俺は紅星夕陽を演じていたのだ、みんなが描く『紅音 夕陽』を維持し続けた。限りなく偽物でも、そうしないと化物になってしまいそうで怖かったのだ。
まぁ、今思えば「中2乙」で済ませそうな悩みだが、当時の俺としては中々にキツかったのだろう。小学生が一番悩んだ可能性すら出てくる。
まぁ、そんな独白は置いておいて。
今、悩むべきは心中にとぐろを巻いて鎮座する『焦燥感』なのだろう。俺は一体ここまで何に焦っている?
そんなのは決まっている。
同じような月夜先輩が一歩先に進み出そうとするのを目の当たりにして焦っているのだ。
誤魔化して、取り繕って、言い訳して。
彼女に……雨乃に二つの意味での告白をしていないことに焦っている。
月夜先輩が言った『君は関係性を帰ることを恐れると思っていたんだが』的なセリフは当たっている。
怖いのだ、何よりも誰よりも雨乃との関係が崩れ落ちてしまうのが。
自分の醜悪さを露見するのを恐れている。自分の中にある好意を伝えることで、この心地のいい関係が崩壊するのが怖い。
近過ぎるゆえの悩みなのだろう。
ずっと傍にあったものが離れていくのが怖い。
──たまらなく怖い。
いっそ、このままで……とも思ってしまう。
だけど、俺が無茶をする度に彼女の見せる悲しそうな表情が俺の心を酷く痛めつける。
楽になりたいのだ、とっととゲロって楽になりたい。
「どうしたの?」
ガチャりと部屋のドアが開かれた。
「……ノックも無しに入ってくんな」
「そいつは失礼」
雨乃はそう言いながら、勝手に窓際に鎮座する俺の隣に椅子を並べて座る。
「悩み事かね?」
「悩み事だよ」
お前に関してのな。
「話してみなさーい」
「なんでそんなにテンション高いんすか雨乃さん」
下の女子会で姉共に酒でも飲まされたか? あの馬鹿野郎共のことだ、十分に考えられる。
「残念シラフです。深夜テンションよ」
「うわぁ、めんどくせー」
隣ではカシュッとプルタブを開ける子気味のいい音が聞こえる。
「満月ね」
「月が綺麗だな」
「……知ってて言ってる?」
「知ってるけども別にそっちの意味じゃないです」
さっきまでの悶々とした考えのせいか、妙に俺の発する言葉がたどだとしい。言葉のキャッチボールが上手くいってない、全部ボール球投げてる気がする。
「それにしてもデカイわね、月」
「そうだなぁ、デカいなぁ」
妙な沈黙が流れる。
あぁ、痛い痛い! 沈黙が痛い!
「んで、何か悩み事かね?」
「悩み事だよ。絶対に言わねぇけども」
言えるわけがねぇけども。
「昔から全く変わってないわね。そうやって、言いたいことだけ隠すのは」
「隠しても暴いちゃう子が近くにいるせいだ」
「夕陽が本気で隠そうとしてることは見ないわよ」
だって……と妙に溜め込んだように雨乃が言葉を紡ぐ。
「夕陽に嫌われたくないもの」
俺を見つめる雨乃の瞳は真剣そのものだった。
あぁちくしょう、今日一日調子が狂いっぱなしだ。
「そ、そうか」
「うん。だから、こんな症状手に入れた所で意味は無かった」
こんな症状……か。
「なぁ、雨乃もしかして」
お前が願ったのは。
「うん、やっと気づいたのかって感じだけどね」
ニヤリと笑って雨乃が俺の頬をいつものように抓る。違いがあるとすれば、妙に力が優しいぐらいだ。
「私は夕陽の心の中が知りたくて、きっとこの症状を手に入れたの。私は人形みたいだった夕陽の事が知りたかったの」
言葉が出なかった。
なんて言えばいい? なんて謝ればいい?
俺さえ居なければ、彼女が精神を病むことは無かったということだろう?
「だから違うってば、病んだのは完全に自業自得だから」
今度は力が篭った抓りがもう片方の頬に伸びた。
「なるべくしてこうなったの。大体、私が病まなかったら夕陽はここにいなかったでしょ? 病んで正解」
「いやお前、病んで正解って……」
「いい? 私はね、今に満足してるの。とてもとても、満足してる」
キッと俺を睨みながら、雨乃が続ける。
「馬鹿な幼馴染み達がいて、可愛い後輩が二人いて、訳わかんない先輩と優しい先輩がいて、お父さんとお母さんがいて」
雨乃の手が再び俺の頬に伸びた。
「そこに、夕陽がいる」
「……ッ」
「そんな当たり前が私は好き、大好きなの。だから、夕陽のせいなんて事は一つもない、あの時の苦しみは今日までの幸せの布石なの。払うべき対価なの」
「……俺はそれでも」
「てか大体、私が苦しんだり悲しんだりするのが嫌なら暴走癖を直して!」
グッ……痛いところを突いてきやがる。
「目を離したらスグに喧嘩したり厄介事に首突っ込んだり! 開かずの教室に閉じ込められたり、建物の2階から飛び降りたり!」
痛い、痛い! 頼むからこれ以上痛いところばかりつかないで。
「見ず知らずの後輩庇うためにぶん殴られたり、危うく巨乳のバカ女に洗脳されかけたり」
「すみません。ホントにすみません」
「あー、ダメだ。一回出ると溢れ出てくる」
そんなに俺に対しての不満が溜まっているかよ。
「言いたいことも纏まらないし! あーもう! えっと、つまり私が言いたいのは」
ギギギっと音が出そうなほど俺の両頬を引っ張りながら雨乃が声を張り上げる。
「そんな所を直す気なんて更々無いくせに、今更昔のことで「俺のせいだ」なんて思うなってこと! 虫が良すぎ!」
「グッフォ……」
あまりの正論に口から変な声が漏れた。
正論は時に人を殺す。
「分かった?」
「心が痛いです」
「よし。あー、やっと言えた」
満足そうに欠伸をしながら、雨乃が缶コーラをあおる。
「よっし」
そう言って立ち上がると、そこら辺に掛けてあった俺の上着をひったくる。
「行くわよ夕陽」
「は?」
あまりの展開に頭がついて行かない。
そんな俺を放っておいて、雨乃は自分の手に持った俺の上着を羽織った。いやいや、まって色々おかしい。
「ちょっと、付き合ってよ夕陽」
いつになく機嫌が良さそうな雨乃は俺に対して効果抜群なエンジェルスマイルを浮かべながらそう呟いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「くっそ! ゼェ……騙されたぁ!」
自転車で坂を登りながら、叫ぶ。
1人分増えた重みがヤバイ、誰だよ女子は軽いなんてほざいたヤツ、クソ重いじゃねぇか!
「ぶん殴るわよー」
「お前……クッソきつい……俺の気持ちになって考えろ」
現文のテストだったら〇点だぞお前、作者の気持ち分かって無さすぎる。
そんな俺を放っておいて荷台に乗る雨乃は涼しい顔で俺の背中の服を握っている。
「2人乗りが素晴らしいなんて想像上の世界だけだろ!? クッソ! マジ重いコイツ!」
「よーし! 今日の私は深夜テンションも相まって強いぞー!」
「すごい楽しそうですね君!?」
真夜中に何してんだ俺は……雨乃に言われるがまま自転車を漕いでますけども。
「警察きたら捕まるぞ、二人乗りと深夜徘徊のフルコンボだ。もう1回遊べるドンッ!!!」
もう二度と遊べない可能性もあるけどな。
「はいはい、無駄な酸素は漕ぐことに使いなさい。スピード落ちてるー!」
「このクソアマ!」
自転車を漕ぐこと約30分。
展望台付きの公園に到着した。
「ほら、だらしないわよ日本男児」
「死ぬ……酸欠で死ぬ。水、水をくれ」
誰だよ二人乗りでイチャイチャできるとか言ったバカは、漕ぐ方にとっては拷問だろうがコレ。
「距離とかにもよるんじゃない? はいお水」
近くの自販機で買ってきたであろうペットボトルの水を展望台で寝転がる俺に雨乃が差し出す。
ひったくるようにそれを受け取って、ペットボトルの本体を握りつぶすようにして水を胃の中にぶち込んでいく。
「グフぅ……あー、生き返った」
「そりゃ何より」
「んで、俺をこんな所に連れてきた訳を話せ」
「もう時期分かるわよ」
そう言って立っていた雨乃が俺の隣に腰掛けた。
「そうね、時間が来るまでもう少しあるから。夕陽の悩みを勝手に解決してあげる」
「は?」
「これは狡い手段だからね? 狡い狡い、私と夕陽にだけ許された手段」
雨乃はいたずらっ子のように口の端を吊り上げながら、俺の唇に手を伸ばす。
「夕陽には私がいる。夕陽が私に隠くして悩んだって、私はそれを暴いて勝手に一緒に悩んであげる」
「……」
「夕陽、安心して。私は、夕陽と一緒にいるよ? いくら空虚をかんじても、勝手に近寄って今日みたいに、そんなこと考える暇がないくらい巻き込んであげる」
「……狡いだろ、雨乃」
「狡いわね、きっと。なんの解決にもなってない逃げだから。大体さ、十六年しか生きてないような私達が『空虚』なんて感情とマトモにやり合ったって負けるだけよ」
優しい瞳で笑う彼女に吸い寄せられる。
「逃げて逃げて逃げまくって、逃げた先で経験をいっぱい積んで、何度だって挑みましょ? 一緒に戦ってあげるから」
あー、ダメだな。
こりゃもうダメだ、惚れる。
こんなの惚れる。
「ま、懺悔の方はいつでも聞いてあげるから。いつか聞かせてね?」
そちらの方もどうやら筒抜けだった様だ。
全くもって敵わない。
「ほら、朝よ」
雨乃の指さした方に顔を向ければ、山の影から少しづつだが朝日が登っている。ここから見るその光景は、いつか落下しながら見た夕日にも負けないくらいに素晴らしいものだった。
「こんなの見たら、悩みなんて吹き飛ぶでしょ?」
「あぁ、そうだな」
生返事を返して、彼女の顔をのぞき込む。
昇る朝日を見つめる彼女の表情は幸せそうだった、その表情につられて俺も口のはしがつり上がった。
「さ、夕陽。帰りましょ?」
そう言って俺をいつも助けてくれる彼女は、今この瞬間も俺を助けながら笑った。




