四十五話 SCAPEGOAT
「君が所持している二つ目の症状のことだ」
やっぱり、それしかないよなぁ。
バレるリスクは承知でやった事だ、後悔はない。
「……さーてと、認めるのも癪なんで言っときます『何を根拠に?』と」
月夜先輩はにやりと笑って、いつものように指を鳴らした。
「まず初めに、僕が違和感を持ったのは君の症状の発動時の話を聞いた時だ」
何でそこに? 別におかしい所なんて無かったはずだ。
「君は言ったよね? 「後回しにしてきた症状の付けで死にかけて入院した」と」
「えぇ、言いましたね」
「最初は聞き流していたんだ。だけど、ノートに情報を纏めていた時にさ、何か見落としているのかもって思ってたんだ。喉に小骨が引っかかってるような感じでね」
あぁ、アレは嫌だよな。小骨が引っかかってるとイライラする。
「だっておかしいだろ? いくら痛みが上乗せされると言っても、小学生が生死の境目を行き来するような事になるのはおかしい」
「だから、僕は君の周辺人物……つまりは幼馴染み五人と君の姉二人に当時の様子を聞いた。もし、君が骨を何本も折っていたら、上乗せされた痛みで生死の境目をさ迷っても、まぁ不思議じゃない」
あぁ、そういう事か。
「だけど、君の周りの人物は口々にこう言った『確かに怪我はしていたが骨を折ったり手術するような怪我は負っていなかった』と、そして極めつけは雨乃ちゃんの態度」
「雨乃……?」
「彼女は僕がこの話をした瞬間にね、変わったんだよ。あれはなんと言うか敵意よりも怒気と言った方が近いかな? だから、僕は確信した、君には何かあると」
「そんで決定打が冬華……って訳ですか?」
よく分かったね……と言わんばかりに指をならしてウィンクを一つ、一々キザなんだよアンタ。
「色々仮説はあったんだけどね、彼女の痛みが消えた瞬間に分かったよ、夕陽君症状は『誰かの痛みを背負う』そうだろう?」
俺は正解に静かに一度頷いた。
「後は髪とかだね、君ってばちょくちょく髪の毛の上の方が黒く染まってたらね。以上、僕の推理なんだがどうだい?」
結構ボロを出したものだ……と思わず笑みが漏れた。
大方、先輩が言ったことは当たっている、と言うか一部を除けば全問正解だ。
「一つだけ、間違ってますよ」
「へぇ、どこだい?」
「俺の症状は『誰かの痛みを背負う』なんてもんじゃないです」
思わず自嘲気味な声が喉から零れた。
焼けるように胸の奥が痛い、向かい合わないで生きてきた過去の自分がほくそ笑んでいるようだった。
「俺の症状はもっと独善的で、エゴにまみれている」
吐き捨てるように呟く。
暗い病院で見た雨乃の表情が、声が、その全てが。ついさっき起きたことのように繰り返される。
今日は色々と向かい合うものが増えたなぁ。
もののついでだ、ついでに少しでも過去と向き合っておくか。
「俺の症状は『誰かの痛みを奪う』」
「奪う……ね」
思い当たる節でもあるのか、少し顎に手を当てて月夜先輩が項垂れる。そんなこともお構い無しに、俺は語りだした。
「空虚な自分を満たすために、俺は誰かの痛みを奪った。アイツのように笑いたくて、あの子のように憂いたくて、彼のように怒りたくて、彼女のように泣きたくて。俺は奪ったんです」
懺悔のような物だとは自覚している。
月夜先輩より語るべき相手がいることも分かっている。
だが、語らずにはいられなかった。
俺の眼前に佇む彼もまた、俺と同じ空虚な自分を克服して生きているから。
「そして当然、盗人には罪が与えられました。全身をくまなく破壊するような痛みが、傷が、ガキの頃の俺に押し寄せました」
思い出しただけでも身震いする。
『痛み』なんて概念は超越しているようにも思えた。
そして同時に、どうしようもなく空虚な俺はその痛みに『生』を感じた。
「そんな愚かな愚かな空っぽな糞ガキが目覚めた先で見た光景は泣き崩れる少女でした。目の下にはクマを貯め、起き上がった俺に縋るように泣きついた少女でした」
その光景が脳裏に焼き付いて離れない。
俺が受けてきたどんな痛みなんかよりも断然あの瞬間に受けた心の痛みの方が凄まじかった。
「まぁ、後は先輩の知ってる俺の出来上がりです」
いくつかの説明は端折ったが、大方語るべきことは語った。残りの懺悔は彼女にするのが筋だろう。
「やっぱり、君と僕は似ているね。なぁ、夕陽君」
「なんですか?」
「空虚な君を満たしたのはなんだったんだい? 優しさ? それとも希望や絶望?」
その質問の答えは既に出ていた。
「後悔ですよ。痛みに対するものじゃない、雨乃を泣かせたっていう後悔が今の俺を作ってるんです。そして、今の俺が生きている意味もそこにあります」
あの日から今でも、貰ったものを少しでも返すために生きている。
ちっぽけで、バカで、アホで、心配ばっかかけて。
そんな俺を支えてくれている彼女から……いや、彼女だけじゃない。他にも沢山の人達から貰った『優しさ』を少しでも返すために俺は生きている。
「そっか……至った結論は一緒で、始まった場所も一緒なのに。ここまで道筋に差が出るのか」
自分の顔に手を当てて、卑屈な笑を浮かべる月夜先輩に向かい合う。
「僕は沢山のものを捨ててきて、落として生きてきて。君は沢山のものを貰って、受け取って生きてきたのか」
月夜先輩の顔から手が離れた、その瞬間だった。
思わず身体が震えた。
「ははっ、本当に君は残酷だね。諦めたはずなのに、捨てられなかった最後のピースが残酷な可能性を僕に見せるのか」
俺を見据えるその瞳には光は宿っていなかった。
そこの深い闇、泥沼のような深淵。
きっと、雨乃が覗いた晃陽の心はこんな感じだったのだろう。
「僕はね、夕陽君」
スーッと息を吸いこんで、月夜先輩は絞り出したような声を上げた。
「君が嫌いだ」
ニッコリと満面の笑みで、そう言い放った。
「俺も、あんたが嫌いです」
お返しとばかりに、言葉を返す。
実際、出会ってから開かずの教室事件が解決するまで、心底嫌いだったのだ。
「僕はね夕陽君。本当はあの日に死ぬ予定だったんだ」
「死ぬ……?」
「死ぬって言うよりかは、存在がこの世から消えるって言うのかな? まぁ、僕はいなくなるから、死ぬのと同義だとは思うけど」
思い出すのは一年前の開かずの教室事件。
俺と先輩がつるむようになった、きっかけとも言える事件。
「君はね、夕陽君。僕のもう一つの可能性なんだよ。僕が捨ててきたものを、諦めてきたものを君は取りこぼさずに拾ってきた。だから、君と僕とでここまでの差が開いた」
俺は差なんて感じたこともなかった。
俺にとって月夜先輩は何処か憧れでもあったのだ、気高く聡明な彼に俺は心のどこかで憧れていた。
「全てを諦めていた、そんな僕の前に君が現れた。文字通り、開かない筈のドアをぶち破って、君は僕に道を示した。今でもね、忘れられないんだよ、君の言ったあの言葉」
月夜先輩は一呼吸おいて、ゆっくりと口を開く。
「「今とも向き合えてねぇやつが、いっちょ前に過去の精算なんて言ってんじゃねぇ」」
お互い、同じタイミングで言葉を発した。
あれは月夜先輩に対してのものであり、自分自身に対する言葉でもあったのだ。
「そして、僕はあの日から生きることを決めた。向き合うことを決めた。僕は僕を奪い返すと決めた」
光の宿っていなかった瞳には熱が灯っていた。熱く激しく燃え盛る静かな焔が。
「だから、協力してくれないか? 僕が僕を救うために、取り返すために協力してほしい。この役は君にしか務まらないんだよ、夕陽君」
「……俺にしか?」
「実際、君が二つの症状を保持していると分かったおかげで、僕はアイツの症状を分析することが出来る。君はね、夕陽君……」
いつもの調子を取り戻してきたのか、月夜先輩は指を盛大に鳴らした。
「君はジョーカーなんだよ。君さえいれば革命が起こせるんだ、調子に乗ってる馬鹿野郎にキツイの一発御見舞するには、君か必要なんだ」
「……」
「頼む。奪われたものを取り返すために、僕に力を貸してくれ」
月夜先輩は深く深くと頭を下げながら、俺に願った。
こんな、禄でもない馬鹿に頭を下げてまで願った、「君の力が必要なんだ」と。
「俺には誰かを救う力なんてありません。だけど、それでも、少しでも役に建てるのなら」
アンタに受けた、ちっさな恩を返せるのならば。
「アンタを奪い返すために、切り札だろうが捨て札だろうが喜んでなりますよ」
「……ありがとう夕陽君」
俺の目を見つめる、その瞳の中には迷いの欠片もなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※
最近建設されたマンションの最上階のベランダから、指で輪っかを作って遠くを見渡す男が一人いた。
「ふーむふむ」
楽しそうにコロコロと笑いながら、ベランダの手摺に上手く置いていた缶コーラをあおった。
「遂に動き出すのかー」
男は自分の目元で作っていた指眼鏡を解いて、フーっと息を吐き出した。
そんな男の背後に声がかかる。
「何を見てるの? 兄さん」
「ん? 遂にアイツと夕陽君が動き出すんだよ。楽しみだろ?」
男は振り返りながら、ニヤリとニヒルに笑う。
「ねぇ、晃陽」
「……私はアイツさえ消せるのなら」
忌々しげに呟いて、晃陽は唇を噛み締めた。
「はいはい、分かったからそんなに怖い顔しないの。可愛い顔が台無しだよ?」
「兄さん……茶化さないで」
「ははっ、ごめんね。こればっかりは性分なんだ」
飲み干したコーラの缶を指で弾きながら、男が苦笑を漏らす。
「さてと、向こうのジョーカーは言うまでもなく夕陽君ともう一人、雨乃ちゃんだ」
「雨乃……?」
「うん、雨乃ちゃんはね鍵だよ。雨乃ちゃんの動き次第じゃ、戦況が大きく変わる」
「戦況って、戦争じゃないんだから」
晃陽の発したその言葉で、男の雰囲気がガラリと変わった。
「戦争だよ。これは戦争だ」
男は晃陽に対して犬歯を剥き出しにしながら、凶悪な笑みを浮かべる。
「負けた方は全てを失うんだ。文字通り、その全てを失うことになる」
男は指折り数えながら、憎々しげに呟く。
「存在も功績も軌跡も記憶も、負けた方は全て失うんだ。己が全てを賭けての勝負、これを戦争と言わずになんという?」
「負けないよね? 兄さん」
「さぁ? どうだろうね? 前のアイツならば、僕の勝ちは揺るがなかったろう」
だけど、と言葉を紡ぐ。
「今のアイツは決意も覚悟もある。それに、仲間もいる。正直いってどちらが勝つかなんて今は判断出来ないよ」
「兄さん」
「そんな心配そうな顔しないでいいよ晃陽。僕もね、負けられないんだ。僕は僕を奪い返さなくちゃ行けないからね」
そう言って微笑む男の顔には敵意も悪意も感じられなかった。
その代わり、彼は自嘲気味に笑っていた。
月夜の下で、何処かの誰かとソックリな笑みを浮かべながら。




