二十八話 Noise
キリキリと胃が痛む。
前方には不敵な笑みの晃陽、俺の隣には何か不穏な空気を察知したのか、俺の思考を読んだのか分からないが、ともかくガチギレしている雨乃。
俺の両肩に結構な力を込めているのは冬華。その後でゲラゲラ笑っているのが夏華。お前絶対に許さねぇからな夏華ァ!
「そ、それで? なんで雨乃さんがここにいらっしゃるのでしょうか?」
「あら? 私が居たらお邪魔かしら?」
ニコニコと笑いながら(目は1ミリたりとも笑っていない)、俺の頬を抓る。
「いひゃい、いひゃい!」
右側の頬は雨乃がつねっているのだが、左側は冬華がつねっている。
「先輩、神様は言いました。左の頬を抓られたら大人しく右の頬を差し出しなさいと」
「言ってないよね!? 絶対そんなこと言ってないよね!?」
こいつ、抓るためだけに神様持ち出しやがった。
「ははっ、モテモテっすね夕陽くん」
「シバくぞ晃陽お前、割と本気で」
「それで? 貴方はコイツとはどんな関係? 教えて貰っていいかしら晃陽さん」
雨乃が表面上はニコやかにそう聞くと、晃陽は少しだけ黙り込み、考えて爆弾を投下した。
「んー、夕陽くんには責任をとって頂かなければ行けない立場っすねぇ」
時が止まった。
ついでに言えば、俺も心臓を止めたかった。
「へぇー」
ギチギチと俺の頬が音を立てる。
「ごめん、基本的には雨乃の攻撃は痛みは飛ばさないようにしてるんだけどさ。ここまで音を立てられると流石に飛ばすわ」
「という訳で、邪魔しないでいただけるっすか? 私達は式の日取りを決めようとしてるだけなんすよ」
「お、お、お前! 何言ってんの!? いや本当に何言ってんの!?」
周りの事など一ミリも考えずに椅子から立ち上がって叫ぶ。
「酷い! あんなにアブノーマルな事まで迫っておいて」
「ぶっっっっ殺すぞ!?」
俺の叫びと、隣の席を陣取っている暁姉妹のバカの方の夏華が「ゆー先輩はアブノーマルっと」と言いながらスマホに何かをめもっていた。
「嘘ね、この男は同じ! ベッドで! 寝ている! 私にさえ手を出さないような筋金入りのチキンよ? 口ばっかりで全く手を出してこないチキンよ?」
やめて、周りの視線が痛い。
そしてなぜチキンって二回言ったわけ? そこの説明詳しく。
「はっ、そんなの彼女であり正妻である私に申し訳ないと思ったからに決まってるじゃないっすか。都合のいい女風情が口出ししないで貰えるっすかね?」
肉が焼けそうなほどの熱視線の火花が散る。
俺の胃がゴリゴリと削れていく。
「……無駄乳」
「貧乳」
「ビッチ」
「メンヘラ処女」
「単細胞女」
「堅物女」
「「あ?」」
もうやめて、みんな見てるから。修羅場来たみたいな顔して友達にメールしてる人までいるから。店員さんが女の敵を見る目で俺のこと見てるから。
その時、ピロンっとこの場にそぐわない愉快な音を立てて俺のスマホがなる。そっと液晶画面に視線を落とすと夏華からで「ここで『私の為に争わないで!』って言ってください」と来ていた。
「お、俺の為に争わないで……ははっ、なーんて」
もしかしたら何かが変わるかもしれないと、藁をもすがる気持ちでその言葉を口にした。
「「あ?」」
「はいっ! ごめんなさい!」
殺されるんじゃないかと思った。
夏華、お前は絶対に許さんからな、腹抱えて笑いやがって。冬華まで笑ってるし。
「とりあえずは俺はコイツはそんな爛れた関係ではない! それ以前に昨日あったばっかりだ」
「酷い! 乙女の純潔を奪っておいて」
「よし、夏華と冬華。先輩からの頼みだ、この脳内お花畑のクソ女を黙らせろ」
「「面白そうなんでパスで」」
そうだったね、君たちそんな子達だったね。
こうなりゃ、最終手段。
「雨乃、俺の思考を読め」
「……私が言うのもなんだけど、こんな時に便利よね」
雨乃の症状を使い、俺の無実を証明しなければならない!
そしてその後、少しだけ場が静まる。
「うん、夕陽は無実ね」
「おっしゃぁぁぁ!」
身の潔白が証明されました!
「チッ!」
「おいテメェ晃陽、なんで舌打ちしやがった」
「はっ、嘘つき風情が随分と」
なかなかにドスの効いた声で雨乃が吐き捨てるようにそう言った。
「黙ったらどうっすかね? ド貧乳、断崖絶壁、アスファルト」
「ブッ!」
ついつい吹き出してしまった。アスファルトって、アスファルトって。平面じゃん、たまに穴空いてんじゃん。
「夕陽の食事はこれからブロッコリーだけね」
「どうかお慈悲を!」
てかさー、君達なんで初対面なのにそんなに仲悪いわけ?
恐ろしくて仕方ない、胃が痛くて仕方ない。
「なんで、お前ら二人はそんなに仲悪いんだよ」
俺がそう言うと、二人してジッと向かい合う。
睨み合うこと約三十秒、そして両者とも寸分違わぬタイミングで
「「存在が気に食わない」」
吐き捨てながらそう言った。
「あぁ、胃が痛い。ちょっと誰か胃薬買ってきて、大至急」
割とマジでキリキリと胃が痛むのだ、多分ストレスがやばい。なんで俺は何もしてないのに不倫現場を問い詰められたみたいになってんだよ。
「うわぁ、ゆー先輩可哀想」
「分かってくれるか?」
じゃあ、止めてくれよ。
「だけど、すっごく面白いので止めない夏華ちゃんなのであった」
「お前……マジで覚悟しとけ」
ふぅとため息を一つ。あぁ、胃が痛い。
「……よし、帰るぞ」
「ちょっと待ちなさい」
立ち上がった俺を強制的に椅子に叩き落としながら、雨乃が喋る。
「それで? この女と夕陽の関係性は?」
……友達は無いな。敵って程じゃな……やっぱ敵だわ。
俺の胃を傷つけるこいつは敵だ。
「知り合いだよ、知り合い」
まぁ、でもとりあえずは誤魔化すしかないこの現状。雨乃は聡いからなぁ、ボロを出せば終わる。月夜先輩と俺が。
「ふぅーん、知り合いねぇ」
あ、この顔は「見れば済む話」って思ってる時の顔だ。
「……あぁ、先に言っときますけど。体調崩したくなかったら覗かない方がいいっすよ?」
先程までの雰囲気は何処へやら、低く深淵から聞こえるような冷たい声が晃陽の口から零れる。
「はっ、見られたくないものでもあるのかしら? 洗脳少女晃陽さん?」
「おい、雨乃。てめぇ俺の心を見やがったな」
「さっきチラッと見えたのよ。不可抗力だわ」
まぁ、まだバレてないらしい。正直言って、雨乃の症状の詳細は完全に本人すら把握出来てない部分があるので、隠せる時もあれば隠せない時もある。
どうでもいいけど、洗脳少女って中々凄いワードな気がする。
「私は警告したっすからね?」
なにか引っかかる。晃陽の声音は脅しというよりは軽く止めてる感じなんだよな。自分より、少しだけ雨乃のことを心配してるような……
「おい、雨乃。見るのは─」
俺がやめとけと隣を向いて言おうとした時には、もう遅かった。
雨乃の顔が初めて症状を使った時のように悲惨に凄惨に歪む。
この顔を俺は知っている。そして、俺も少しだけ頭の奥の方がズキズキと痛み始める。これ、月夜先輩が親と子の関係が……とか言ってた事に当てはまるのか?
「おい雨乃!?」
痛む頭を無視しながら、ぼーっと放心状態の雨乃を揺する。
爆発的に雨乃の肌が鳥肌で埋まっていく、歯の根は合わずカチカチと音を鳴らす。
「あーあ、だから言ったのに」
晃陽がそう言ったタイミングでぐらりと雨乃の身体が揺れた。
「まっずい!」
椅子から転げ落ちそうになった雨乃を既のところで引き止めて抱き寄せる。
雨乃は完全に気を失っていたのだ。
「……噛みつきがいのある雨乃さんも潰れちゃいましたし、そろそろ迎えが来る時間なので私は帰るっすね」
雨乃の現状など知らんぷりで、晃陽が席を立った。その前に冬華が立ちふさがる。
「雨乃先輩に何をしたんですか」
「ははっ、まさかあなたが噛み付いて来るとは。症状を手に入れただけで強くなった気でいる典型的な弱者の冬華ちゃんが」
「なんとでも、好きなように言ってくれて構いません。私は先輩達のお陰で変わりました。そんなことより、雨乃先輩に何をしたのか説明してください」
晃陽が面倒くさそうに頭をかいた。
冬華は未だに睨んだまま、そして晃陽の真後ろにはいつの間にか夏華がヌッと立っていた。
「べっつに、ゆー先輩が何してようが面白ければ良かったんですけど。アナタが先輩達に手を出すんなら私達双子は容赦しませんよ?」
前門の冬華、後門の夏華。
その中にいるのは、正真正銘底知れぬ化け物。
「めんどくさいっすね。今のあなた達にはとても私の症状は使えそうに無いんすよ」
言いながら、ちらりと俺に視線を送る。
「夕陽くん、説明してもらっていいっすか?」
「あぁ、分かってる。こんな所で暁姉妹の症状使わせるわけには行かねぇからな」
今の怒気を纏ったコイツらなら机爆破演出程度なら何度でもやる可能性がある。まぁ、赤い飲み物を飲んでいたらの話だが。
「座れ、夏華&冬華。今回ばかりは雨乃が悪い」
「せ、先輩?」
冬華が困惑したように、声を上げた。
「晃陽は散々止めてたんだよ、それを無視してブラフだと思って晃陽の中を覗いた結果がこれだよ。晃陽は雨乃に何もしてない」
ただ単に、あの『精神力は鋼』と少誰にでも言われる雨乃でさえ『圧倒的なまでの恐怖を感じる精神構成をしていた』って事だろう。
「おい、晃陽」
「なんすか?」
「お前、何者だ?」
「巨乳な黒幕思考の頭の痛ーい女っすよ」
……このまま問い詰めるのは得策じゃないか。
雨乃も倒れて、暁姉妹も臨戦態勢で頭に血が上ってる。冷静なのは皮肉なことに俺と晃陽だけ。
「次はねぇぞ?」
「頭の中に留めておきましょう。雨乃さんにはご愁傷さまとだけ言っといて下さい」
「分かったよ、悪かったな後輩が」
「いえいえ、あの状況なら私を疑うのは当然っすよ。ドーナツご馳走様でした」
「あぁ」
簡潔に単純に会話を済ませる。
暁姉妹が話に介入できないように。
「先輩!? なんで──」
「冬華、少し黙ってろ」
これ以上、騒ぎを大きくしない方がいい。それ以前に、この女にこれ以上関わらない方がいい。それだけは間違いない。
「それでは私の大切な大切な王子様とその他の皆さんさようなら。夕陽くんはお体に気をつけて」
にやりと笑い、晃陽は昨日と同じセリフを吐いて踵を翻し帰っていった。やはり、あの女は……
「冬華、夏華。すまねぇけど雨乃がぶっ倒れたから今日はもう解散でいいな?」
「「……はい」」
「事情は次にあった時にでもゆっくりと説明してやる。あと、気持ちは嬉しいけど直ぐに突っかかるなよ? 危ねぇから」
未だに気を失っている雨乃をおぶって立ち上がる。
少しだけ恥ずかしい気もするが、まぁ仕方ない。
「月夜先輩に今日の件はくれぐれも喋らないでくれよ?」
今はまだ、知られるわけには行かない。ここで何かしらのテコ入れをされるのは面倒臭い。
「「はい」」
「ごめんな、折角楽しかったのに」
「いえ、ゆー先輩が悪いんじゃないですから」
「そうです、先輩達は悪くないんですから謝らないでください」
「あぁ、さんきゅ。じゃあ、送ってやれないけど気を付けて帰ってくれ。じゃあな」
雨乃の重さを背負った俺は、足早に店から足を遠ざけた。
まるで、全身を掴まれている手を振りほどくように、焦る心と歩調を合わせて黒幕から逃げ出した。
※※※※※※※※※※
後輩の手前、冷静を保っていたが正直に心中を吐露するならば圧倒的な恐怖を感じている。
恐ろしくて仕方ない。
『あの雨乃があの時と同じ様子で倒れた』
この事実が頭から離れない。
初めて症状を使った時の雨乃はまだ幼く、精神も未熟で人の悪意になれていなかった。そこに沢山の人間の『負』の感情が流れ込んだ為に倒れた。
そして、あれから雨乃は症状と共に成長して並の人間以上の精神力を持っているはずなのだ。
その雨乃が、上部を覗いただけで倒れた。
「……マジで何者だあの女」
何十人、何百人分の悪意と晃陽というたった1人の少女の悪意は対等とでも言うのだろうか?
だとするならば、正真正銘の化物だ。憎しみで人を殺してもおかしくない精神状態だと言うことだ。
「人間よ。それでも彼女は人間」
耳元で声がした。
軽く首だけ向けると、青い顔で背負われている雨乃。
「……何を見た?」
「何も見えなかった。私が見たのは沢山の憎しみと恐怖と後悔と懺悔が混ざりあった黒いものだった。始めてみたけど、アレが殺意なんだと思う」
「お前の心を蝕むほどに、それはやばいのか」
「今私、大分強がっているけど今にも泣き出しそうよ」
知ってるよ、俺の肩と首の間に回している両手が震えてるし、何より俺を後ろから抱きしめる力が異様に強い。
「だけど、次は負けない」
「は?」
「次は負けないって言ったのよ」
「誰と、何と戦ってるんだお前は」
「男には分からない、女の戦いよ」
「そうですか」
まぁ、負けっぱなしってのはお前のキャラじゃないか。
ぶっ倒れない程度にやってくれ。
「だから、少しだけ。今は少しだけこのままで」
「胸は小さいけど喜んで」
「はぁ、突っ込む気力もないわ」
雨乃を背負っているため振り向けないが、後ろがやけに騒がしい。
まぁ、放置でいいな。
「知ってか? 雨乃」
「何が?」
俺って実は、胸より脚の方が好きなんだぜ?
「この期に及んで馬鹿じゃないのかしら、この男は」




