十九話 一言之信
今回だけは逃がさねぇと心に決めてから数分、重い沈黙が場を支配していた。ただひたすらに目を逸らさず睨み合うだけ。
俺は耐えきれずに口火を切る。
「いい加減にしようぜ、月夜先輩。睨み合ったって妥協点も着地点も見つからねぇよ」
「……例えばだ、例えば僕が本当に黒と白のストライプを知っているとして、それを君に言う理由は無いよね?」
「理由はねぇけど義務はあんだろ? 暁姉妹の件に巻き込んでんだぞ。自分は黒幕知っているけど君は知らなくていいよ……じゃ筋が通らねぇ」
再びの沈黙。
これで確定した、こいつは……月夜先輩は黒と白のストライプを知っている。知っている上で情報を伏せていた。
「知ってどうする?」
「知ってから考えるよ」
対策も対抗策も、ほっとくか戦うかも、全ては情報を得てからじゃないと始まらない。
「夕陽君は何でそこまでして知りたがる?」
「向こうがほぼ確実に『病気持ち』で暁姉妹をピンポイントで狙ってきた。つまりは、もしかしたらソイツの射程範囲に雨乃が入ってるかもしれねぇ」
だったら、黙ってる理由なんかない。
雨乃に被害が及ぶ可能性があるのなら、確実に芽は摘む。
「なぜ『病気持ち』を狙った犯行と言いきれる?」
「アンタが俺を動かした時点で一発だろうが、雨乃の『症状』が無くてもそんな簡単なこと読み取れる」
それに──
「俺と雨乃を動かしたのはソイツが介入してきたからだろ? じゃないとアンタは動かねぇよ月夜先輩。少なくとも、例え『病気持ち』だとしても」
あんたは──
「月夜先輩は見ず知らずの後輩女子を助けるために動くほどお人好しじゃない」
「随分とまた酷い評価だね」
「あぁ、酷いな。だが、的確だろ?」
「まーね」
そう言って空を見上げる。薄らとだが既にもう星が出ている。
今回、月夜先輩が介入した理由は二つだ。
一つは体外に作用する『病気持ち』、つまりは『体外作用者』が欲しかった。
二つは月夜先輩と因縁があるであろう、ソイツが出張っていると知ったから至急介入せざるおえなかった。
大方こんなところだろう。
「こうなるから君にだけは知って欲しくなかったんだがね」
イラついた様子で月夜先輩が頭をかく、一度だけ短く息を吐いてゆっくりと口を開く。
「結論から言うと、アイツの事を君に話す訳にはいかない」
「は?」
「そう睨むなよ。正直言って、僕もアイツが何なのか完全に尻尾を掴んでるわけじゃない、南雲君の話を聞くまではアイツが介入してきたことすら半信半疑だった」
心底嫌そうに言葉を紡ぐ。
「そのアイツって奴を話せって言ってんだよ、何が目的で何で暁姉妹を襲わせたか。俺が知りてぇのはそれだけだ」
「アイツが暁姉妹を襲わせた理由は正直言って僕にも分からない、あの日まで僕達と暁姉妹は関わりがあるわけじゃなかった」
考えながら口を開きしゃべり続ける。
「だが、目的は分かる」
「目的?」
「アイツの狙いは僕と……君だよ、夕陽君」
その言葉で思考が凍りつく。
狙いが俺? どうゆう事だ、なんで俺なんだ。
「今考えれば以外に簡単に答えは出る。アイツが欲していたのは暁姉妹というカードじゃないんだよ。『僕達の近くにいた病気持ち』その条件さえ満たしていれば誰でよかった」
「じゃあ、暁姉妹は俺達のせいで?」
俺と月夜先輩を壇上にあげるための餌として利用された? その為だけに、あんだけ怖い思いをしたのか暁姉妹は。
それだけじゃない、もし俺や雨乃が二人を見つけられなかったらどうしていた? それこそ、暁姉妹は終わってたはずだ。
「いや、君は悪くない。それも元をたどれば僕が原因だ、君が興味を持たれたのは僕のせいだ」
「なんで俺やアンタが狙われる」
「さぁ? 君が狙われる理由は分からない、ただ僕を狙う理由は分かるよ」
そう言って大きいため息を吐く。
そして、自分自身を嘲笑うように、口の端を吊り上げる。
「復讐だよ」
「復讐……?」
実際に生きていて、『復讐』なんて言葉を重苦しい雰囲気で聞くとは思わなかった。
「すまないけど、君に全てを話すわけにはいかない。話してしまったら君は間違いなく首を突っ込むからね」
「……」
「だから代わりに約束をしよう。君が大人しくしているならば僕がこの件を解決する、君にも雨乃ちゃんにも、もちろん暁姉妹にも手出しはさせない」
「絶対だな?」
「絶対だ」
月夜先輩は初めて見る程の真剣な顔で俺を見据える。
そっか……そこまで言うんなら今は大人しくしておくか。
「ったく、分かりましたよ。黒と白のストライプについては手を引きますし詮索もしません」
「助かるよ、夕─」
月夜先輩の言葉に被せるように釘を指しておく。
「だけど、もし仮に黒と白のストライプ野郎が雨乃に……いや、俺の周りに少しでも被害を出したら」
月夜先輩に近ずきながら、先輩の心臓部分に指を突き立てる。
「俺は俺で動きますよ。アンタになんと言われようと、どれだけ引いてくれと頼まれようと、そうなった場合は絶対に引きません。それだけは頭ん中に入れといてください」
瑛叶が、陸奥が、夢唯が、夏華が、冬華が、紅音さんが、南雲が、そして雨乃が傷つくのであれば、俺は動く。絶対にそこだけは譲れない。
「ご忠告、胸に留めておくよ。君も約束は守ってくれよ、夕陽君」
「分かってますよ、俺だって好き好んで傷つきたい訳じゃないんですよ」
俺がそう言ってため息をつくと、月夜先輩はいつものように戯けながら口を開く
「僕は君が実はマゾヒストなんじゃないかと思ってたりしてたんだぜ?」
「ほざけよ」
言いながら俺も月夜先輩の隣で手摺に体重を預けて座る。
「ねぇ、夕陽君」
「なんですか?」
「君はさ、何でそこまで傷つくことが出来るんだい? 昨日も思ったよ、君はあまりにも傷つくことに躊躇いも躊躇もない」
なんで傷つくことに躊躇がないか……か、そんなもん。
「さぁ? 自分でも分かりません」
「へ?」
「別に俺だって傷つくことが好きなわけじゃないってさっき言いましたよね? 俺って別に特別な才能がある訳でも、特別な力があるわけでもないんですよ。ナイフで刺せば死ぬし、何か言われたら傷つくし、痛かったら泣くし。俺は普通の人間なんです」
別に、特別な覚悟がある訳じゃない。
別に、悲劇にまみれた過去がある訳じゃない。
別に、俺は主人公なんかじゃない。
「俺は兄貴みたいに天才じゃない、姉貴達みたいに魔王じゃない、雨乃みたいに聡明じゃない、瑛叶みたいに何かに打ち込んでいるわけじゃない、月夜先輩みたいに先を見通している訳でもない」
だけど、何も無いわけじゃない。
「俺は俺に出来ることをしてるんですよ。それが代わりに傷つくという行為ってだけです」
「傷つく君を見て、雨乃ちゃんが傷ついてもかい?」
「えぇ、俺以外の奴が雨乃を傷つけるよりは万倍マシですね」
実際問題として、雨乃を一番傷つけているのは俺だろう。そんなことは分かっているし知っている。それ故に答えも出ている。
「アイツを傷つけていいのは、俺だけですよ。俺はアイツを傷つける覚悟だけは昔のうちにしてるんでね」
「ははっ、君はどうやらとんでもないバカのようだ」
「やっと気づいたんですか? 遅すぎません?」
立って手摺から向こうの景色を見ていた月夜先輩が、屋上の床に座る。
「だから、月夜先輩。アンタが俺の事まで背負い込む必要はどこにもないし、アンタが俺の傷の事で負い目を感じる必要なんて無いんすよ」
「……別に、負い目に感じてるわけじゃない。ただ、申し訳ないと思ってるだけだ。色んな事に君を巻き込んでしまっていることに」
「そっすか。でも、謝らんでくださいよ?」
「謝ることすらさせてくれないのかい? 君は」
「えぇ、月夜先輩に謝られた所で心底薄気味悪いだけなんで」
俺がそう言うと、初めは困った表情を浮かべるが、数秒後には吹き出していた。
「最近、家の近くにフラッと屋台ラーメンが出没するそうなんだ。なんでも味は半端じゃないくらい美味しいそうで、一度食べるとまた食べたくなることは請け合いらしい」
へぇ、屋台ラーメンねぇ、食ったことないな。
「ゴールデンウィークにでも食べに行かないかい?」
「奢ってくれます?」
「僕だってカッコつけたい時はあるんだよ」
今のは奢ってやるって事なんだろうな。
「んじゃ、それで手打ちで。めっちゃ替え玉してやろう」
「……替え玉っていくらするんだろ? というか屋台ラーメンの相場が幾らか分からない」
「奢ってくださいねぇ?」
「はぁ、ハイエナみたいな後輩だな君は」
ニヤリと笑いながら月夜先輩が息を吐く。ため息じゃない、疲れた時に出るような肺から空気を絞り出すような感じだ。
「なぁ、夕陽君」
「はい?」
「君、お腹の傷がまだ傷んでるでしょ?」
なんでバレてんだよ。
雨乃にバレないように治ったって思い込んでたのに。
「動きがぎこちないよ。雨乃ちゃんじゃなければ騙せない」
「いいんですよ、雨乃さえ騙せりゃ」
「彼女は『症状』ゆえに本心でものを図るからね、特に君に対しては」
「そうっすね」
雨乃は俺の思考が自由に読める。
それがなぜだか分からないし、アイツのデメリットの中には俺のことは入らない。
それ故に、アイツは俺の思考を読んで判断しがちだ。表情と態度を幾ら取り繕おうが心の中を読まれれば一発で露見する。
だが、逆もあるのだ。俺が本気で治ったと思えば、雨乃はそれを信じてしまう。目立った外傷がない限り、彼女は俺の思考で物事を判断する。だから、騙しやすい。
「心配させたくないからかい?」
「なにがです?」
「痛みを隠す理由だよ」
「そりゃ、アレですよ」
そんなもん、いつもの事だ。
「そんなもん、カッコつけたいだけです」
「……君ってやっぱり馬鹿だろ?」
えぇ、大馬鹿野郎ですよ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ドアの向こうからはキャッキャッと桃色空間的な声が聞こえてくる。その声を聞いた瞬間、ちょっとばっかし残っていたシリアスの残骸は音を立てて崩れ去った。
まったく、何してんだろうか俺達は。
柄にもないシリアスシーンとかするべきじゃなかった、背中が凄くこそばゆい。こうしていると、本当に俺って真面目な空気が苦手なんだと思う。
よし、これからはずっと巫山戯ていよう。
「どうしたんだい? 入りなよ」
「分かってますって」
ドアを開けて室内に入る、中には暁姉妹と雨乃、それに紅音さんもいる。四人で仲良くしていたようだ、すっかり暁姉妹は紅音さんに馴染んでいるようだ。
「たでーま」
俺がそう言うと、四人が顔を向ける。
「月夜、どこに行ってたんだよー」
「遅かったわね、夕陽」
「何してたんですかぁ? ゆー先輩達」
「おかえりなさいです先輩」
四人とも違う反応だが、しっかりと聞き取れる。
「それで? 何してたんですか二人共?」
雨乃が四人を代表して俺達を問い詰める。
「「猥談」」
特に打ち合わせも、合図も決めていなかったが。二人して同じタイミングで同じような事を言った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
静けさを取り戻した室内は、不思議と少しだけ肌寒い。
先程までは、騒がしかったこの場所も、僕以外は誰もいない。
夕陽君と雨乃ちゃんは夜ご飯の買い物してくると言って帰ったし、暁姉妹達も後を追うように帰った。紅音も、先生に用があるとかでこの部屋から出て行った。
「ふぅ」
少しだけ残っていた、すっかりぬるくなった珈琲を片手に窓の外の風景を眺める。空は完全に日が暮れている、上空には自ら光ることを忘れてしまった、めんどくさがり屋の月だけが輝いている。
窓を開けると、春の匂いを少しだけ漂わせる夜の風が入ってくる。寒いわけじゃないのに不思議と身震いが止まらなかった。
そして、彼の言葉を思い出す。
一個下の後輩で、絶対に僕が届かない位置にいる人で、僕には無いものを持っている彼の言葉を思い出す。
「僕が背負い込む必要も、負い目を感じる必要も無い……か」
本当に彼は出来た人間だ。
昨日の状況を作り出した僕を殴っても彼は良かったはずだ、それこそ大切な人を傷つけられて怒った雨乃ちゃんの反応が正しい。
僕が原因で暁姉妹が襲われたことに、僕が原因で彼が目をつけられたことに憤りを感じて胸ぐらを掴んだって良かったはずだ。
それを彼はしなかった。
謝ることも償うこともしなくていいと言った。
自分に出来るのは傷つくぐらいだとそう言っていた。
「傷つくことしか出来ない。なーんて、自分の事を過小評価しすぎだよ、夕陽君は」
彼は周りの人間を変えていく。
暁姉妹も紅音も南雲君も、それに僕だって──
静かにポケットからスマホを取り出して、電話のボタンを押していく。
約束したんだ、僕が解決するって。これ以上、僕に対しての復讐に誰かを巻き込んでたまるか。
「頼む……」
電話のコール音は鳴り響き続ける。
その音がどこか冷たくて遠い、三コール、四コールとコール音は続いていく。
そしてガチャっとスピーカーの向こうで音がした。
『はいはーい、何のようっすかね?』
「やぁ、久しぶりだね」
『はっはー! どこの誰かと思えば、臆病者じゃないっすか』
その声に、思わず頭が痛む。
だけど、向き合わなければいけない。
『それで? わざわざ何の御用で?』
「少しだけ、話をしようか」
もう誰も巻き込ませない、負の連鎖はここで止める。
コイツを完全に殺しそこねた僕が始末をつける。
『えぇ、いいっすよ。話をしましょう』
彼も彼女も知らない所で、僕達の対決が始まった。