十七話 自問自答
深い意識の底に沈んでいく感覚。
終わりのない落とし穴に落ち続けているような、そんな薄気味悪い浮遊感が身体を包む。
声が聞こえたのだ。
確かに俺の名前を呼ぶ声が聞こえた、泣きじゃくるその声が、聞きなれたその声が。
混濁とした意識の中で確かに聞こえた。
「───」
何かを呟く。
なんと呟いたのかは自分でも分からない、きっと懺悔の言葉辺りだろう。
コポコポと水を口から吐き出すような音が耳元で響く、開いてなかった重い瞼を開けると、そこに居たのは。
『───』
黒髪の俺だった。
俺が最も愚かだと思う時期の俺だった。
薄氷一枚隔てたような壁が俺と彼の間にはある、絶対に壊すことの出来ない壁。
「俺は」
目の前の自分に口を開く。
鏡のように、壁の向こう側の俺も口を開く。
『僕は』
数秒の沈黙が生まれる。
そして─
「やっぱり俺はお前が嫌いだよ、紅星 夕陽」
『やっぱり僕も君が嫌いだよ、紅星 夕陽』
くだらない自問自答はそこで幕を閉じる。
心底気味悪く笑う『自分』を見ながら意識は徐々に開けて行く。
※※※※※※※※※※※※※※※
「はぁ……はぁ……はぁ!」
ガバッとベッドから起き上がる。
嫌な夢を見た、よく思い出せないが禄でもない夢を見た。
「おはよう、随分と魘されていたね」
隣のベッドにはあぐらをかいて小説を読む夢唯がいた。
「あぁ、実に嫌な夢を見た気が……する」
夢唯が投げてくれたタオルを受け取って額から湧き出る嫌な汗を拭う。時計に目をやれば、もう時期六限が終わる。
痛みに耐えている間に失神したのか気を失ったのか、それともただ疲れて寝ただけなのか? 真相は闇の中だが、大した問題じゃない。
「夕陽の担任が来たよ」
「爆睡してた俺に何か言ってた?」
「顔面蒼白、魘されてる、辛そうな顔。そんな生徒に冷たい声をかけるほど教師連中も酷くはないさ」
つまりは特に何も無かったのだな。
紛らわしい言い方しやがって。
「痛みは?」
「さぁ? 持続的に続かないってことは打ち止めって所だろうさ」
制服を捲って腹部の痣の様子を確認する。
「あー、酷くなってやがる」
治るどころか悪化している、触ろうが何しようが痛みはないが痣の色はえげつない。
後から受けた痛みが身体に現れるのってあの日以来、何気に初めてかもしれない。それに痛みが夜まで持続しないのもおかしい。
「……月夜先輩と要相談だな」
「うわぁ、酷いね痣」
いつの間にか接近していた夢唯が俺の腹部を指でつつきながら顔を歪ませる。
「痛みはもう無いから色だけな」
「ふぅーん、お大事に」
興味が尽きたのか、それ以上詮索するのをやめた夢唯が自分のテリトリーに戻る。
「え、なに急にどうした?」
顔を顰めると夢唯がいきなり凄いスピードで自分のベッド周りのカーテンを締め始める。置いてあったお菓子と自分の内履きも隠し、完全に気配を絶ったのと同時にバンっと保健室のドアが開く。
「ゆー先輩、大丈夫ですかー?」
「夏華? 何してんのお前、授業は?」
夏華が来たから隠れたのか夢唯。
現れたのは夏華、体操着に身を包んでいるから大方早く終わった体育の後に誰かから俺のことを聞いて様子を見に来たんだろう。
「体育終わったんで、ゆー先輩の様子を見に来ました!」
親指をグッと立てニヤリと笑う。
「暇人かお前」
「ええ、実は。私ってクラスのほぼの女子に嫌われちやってんるんですよねぇ」
夕陽さん知ってたよ、嫌われてるであろうことは。
「いやぁ、今まで症状に胡座かいてたからですかねぇ」
俺の座っているベッドの端に腰掛けながらケラケラと笑う。
「あれ、冬華は?」
「あぁ、冬華は体育委員なんで後片付けやら何やらで残ってます」
委員会は男女1人ずつだからな、流石の仲良し双子でもそこは別れるか。
「友達作ったら?」
「いるんですよ? あー先輩とかゆー先輩とか」
「同学年で」
「……」
「大丈夫だ、雨乃はこの学校の女子の友達は三人だけだから」
悲しいね、雨乃ちゃん。もうちょっと友達作ろっか? いやマジで。
「……この学校の同学年の友達は6人ぐらいです」
「良かったな雨乃に勝てて」
「全然嬉しくないです、どんぐりの背比べ状態じゃないですか!」
両足をバタバタさせながらぐぬぬぬ! っと唸る。うん、やっぱり犬っぽい。
「まぁ、しょうがないですけどね。今までやりたい放題やってきて昨日今日で改心しました、なーんて言っても信じてくれませんよ。ていうか誰も近寄ってこないですし」
うわ、何それ辛い。
「今からだろ今から。反省したなら少しづつ歩み寄れよ、ほんの少しでもいいからさ」
「そうですね、変わったんなら態度で示しませんとね!」
「おう、頑張れ」
割と本気で変わろうとしている夏華に心の中でエールを送りつつ、やはり「お前が言うな」状態であることに気づく。
反省したなら少しづつ歩み寄れよ……か自分で言っといてなんだが、壮大なブーメラン投げたな。変わろうともしてねぇ奴が変わろうとしてる人間に何言ってんだろ。
「難しい顔してますね」
「ん、あぁ。何でもねぇよ」
「ゆー先輩って日頃はアホみたいに元気なのに、時折そうやって影ができますよねー」
「一日しかお前と過ごしてないけど、俺ってそんな感じ?」
俺そんなミステリアスキャラじゃないぞ。別に出生の秘密とかないし、親は悪の親玉みたいな母とド変人の父ぐらいで特に変わったことは無い。
「私達って以外にずっと夕陽先輩のことを見てたんですよ?」
ニヤリとそう言って笑う。
「……正解はくれねぇよな?」
「えぇ、ヒントもあげまけん。私達の言葉に注意しながら聞けば分かるかもですね」
「小悪魔め」
「言い方可愛くないんでプチデビルって言ってください」
「はいはい、じゃあなプチ夏華」
「どこにプチ付けてんですか! それじゃ、また後で」
元気に手を振って夏華が保健室から遠ざかる。
「いったぞ」
「ん」
シャーっとカーテンを開けながら夢唯が再登場する。
「言っとくから」
「何を? 誰に?」
「雨乃に君が後輩女子と乳繰りあってたって」
「乳繰り合うとか最近聞かねぇな」
体制を再び楽にする。
保健室に入ってくる午後の風が気持ちいい、優しくて暖かくて、なんだか幸せな臭いがする。
意識は次第に沈んでいく、別段焦る用事もないし雨乃が来るまで寝ていよう。そう思って鉛のように重い瞼を下ろした。
※※※※※※※※※※※※
懐かしい感覚だ。
そう思いゆっくりと瞼をひらく。
「おはよう、夕陽」
俺の胴体付近のベッドの端っこにちょこんと座る雨乃が視界に入る。
顔だけあげて時間を見れば放課後はとっくに始まってた。
「すまん、爆睡してた」
「ん、良いわよ別に」
「なぁ、雨乃」
「なに?」
「いい加減恥ずかしいんで頭撫でるのやめて」
「……急に起きるから、手を離す機会を逃しちゃったのよ」
ぶーっと頬を膨らませながら雨乃が立ち上がる。
「行こう」
「行くってどこに?」
「先輩達のとこよ、二人は今頃質問攻めね」
あぁ、すっかり忘れてた。そう言えば行かなきゃいけないんだったな。暁姉妹の能力調査ーとか随分はしゃいでたなぁ、あの変人。
「行こうか」
曇る頭をブンブンと振って晴らしながら、比較的ゆっくり立ち上がる。痛みは無いが身体に何かしらの影響があってもおかしくは無い。
「そうね」
座っていた保健室の先生に礼を言って保健室を後にした、夢唯はもう帰ったらしい、薄情者め。
「はー、面倒くせぇな」
口癖になりつつある何とも後ろ向きな言葉と共に、化学準備室のある校舎棟の階段を雨乃と共にゆっくりと登り始めた。