十六話 満身創痍
「何してんのお前ら?」
教室の一角、汗臭そうなサッカー部野郎とピンク色が二つ並ぶ、その隣には抱きつく化猫女と抱きつかれるままの雨乃。
はっきり言ってカオス。
「おっ! 遅かったな夕陽」
「ちょっとー! 誰かファブリーズちょうだい、汗臭いのが目の前に」
俺がそう言うと、瑛叶が自分の脇やらの臭いをかき出して首を傾げる。
「え、まじで? 臭い消してきたんだけど残ってる?」
「いや冗談だから、まじに受けとんなって」
冗談が通じないアホを押しのけて、自分の席に近づく。
「なんでここいんの? 暁姉妹」
暁姉妹がボーッと椅子に座った状態で俺を見上げる。
「いちゃダメですか?」
コクんっと首をかしげて夏華が不思議そうに口を開く。
「いやダメってこたねぇけどよ。お前ら自分のクラスに友達とか居るだろ?」
急にポカポカと俺の太股部分を微弱な力で殴り続ける夏華を引き剥がしながらそう言うと、サッと夏華と冬華が視線をそらす。
「え、何? どした?」
「ふっふっふ! ウチが答えてやろう!」
「あ、化け猫はお引き取り下さい。その分厚いつ外面はずしてからやり直し」
「うわーん! ウチなにもしてないのにゆっひーが虐めるぅ」
ガバッと雨乃からマントヒヒの如く暁姉妹に抱きつく対象をシフトさせながら陸奥がわめく。
「ゆー先輩、酷いですよ! 陸奥先輩が可愛そうです」
と、夏華。
「先輩、陸奥先輩泣いてますよ?」
と、冬華。
いやね? 君達そいつの面見てみて? 笑ってるから。ニヤニヤとキャバクラに行ってるオヤジみたいな笑みで。
「まぁいいや。それで? クラス戻らなくていいの?」
「あっ、そこに戻っちゃいましたか先輩」
「戻っちゃいましたよ冬華後輩」
ジッーと冬華の目を見つめるとフイッと視線を逸らす。
「あれだよ夕陽」
瑛叶がポンッと俺の肩に手を置きながら首を降る。
「ん?」
「雨乃」
「あぁ」
居ないんですね……友達。
「ちょっとそこのバカ二人! 私を見つめてなんでそんなに残念な娘を見る目で見るのか説明を要求するわ!」
「「お前らは友達が少ない」」
グフっと雨乃と暁姉妹が息を漏らす。
「なんで俺の周りは友達が少ないのが多いんだ」
「友達なんて少数でいいんですよ!」
夏華が叫ぶとボッチ二人もうんうんと頷く。
「コミュ力ないと社会出てきついぞ」
「みんながみんな先輩と一緒と思わないでください! このコミュ力お化け!」
「えぇ? なんで俺が責められてんの?」
というかお前らに必要なのはコミュ力じゃなくて、その分厚いATフィールドを取り除く勇気だと思うのよ。特に雨乃、お前はマジでその人を殺しそうな目つきやめろ。
「雨乃はまぁ、お察しだが」
「ちょっと待ちなさい、何がお察しなのか詳しく」
「いや、もういいです。自分の胸に手を当てて考えろ」
お前はその人を寄せ付けない目つきと、目立たないように振る舞う努力が必要。
「暁姉妹は人懐っこそうに見えるんだけどなぁ」
ぶっちゃけ友達多そうなイメージだ、犬みたいだし。
「お前のファーストコンタクトがどうだったかは知らねぇけどさ」
パンを齧りながら瑛叶が口を開く。食べかけのチキン照り焼きパンを瑛叶の手から奪い取り一口だけかじって本人に返すと、溜息を吐きながら会話の続きを口にする。
「俺がこの教室に入ってきて、この二人見つけてさ「あれ、そこの2人って確か夕陽が言ってた双子だよな?」って言ったら」
「言ったら?」
「すっごい敵意と警戒心剥き出しな感じで睨まれて「誰ですか」って言われて心折れそうになった」
「もやしメンタル乙。それで? 今の話ほんと?」
「ほんとよ、夕陽や私と接してる二人じゃなかったわよ、人格が入れ替わったのかと思うぐらい」
えぇ、そんなに?
「あれ? でも、俺達が初めてあった時って警戒こそしてたものの、そんなに酷くなかった気がするんだけど」
確かに警戒はしていたが、心が折れるほどじゃないのは間違いない。あの警戒は普通だった。
「えっと、それには色々と訳があるんで気にしない出ください!」
冬華がえらい形相で叫ぶので追求はやめることにするか。
「お前がそう言うなら別に気にせんが。まぁ、言ってしまえば雨乃のお仲間か、ご愁傷様です」
「ねぇ、夕陽。朝から私を攻撃して楽しいかしら?」
プルプルと震えながら雨乃が俺を睨む。
「……そこそこ」
「今日の夜にでも話合いましょう、私の扱いについて!」
その時、予鈴の鐘がなる。
時刻を見ればもう時期朝のHRが始まる、随分話し込んだな。
「それじゃ、私達は帰りますねー!」
「また後でです先輩方」
いつの間にかそこに居た双子は二人仲良く嵐のように駆け抜けて行った。
「それにしても随分とまぁ懐かれたな夕陽」
そう言って笑う瑛叶の飲みかけの珈琲牛乳をひったくりながら、うんうんと頷く。
部活に入ってない俺からすると仲のいい後輩はあの二人ぐらいだからな、大切にしよ。
「昨日、色入りあったしな」
「ふーん、まぁ次集まる時にでも話せよ」
「俺の超カッコイイ話を聞かせてやろう」
「んで? ぶっちゃけた話どうなの雨乃さん、このバカはカッコイイ話って言ってるけど」
俺の手から珈琲牛乳を取り返しながら瑛叶が雨乃に尋ねると雨乃はクスッと笑いながら口を開いた。
「カッコつけただけ」
「まぁ、結局はいつも通りってことでしょー?」
雨乃に被せるように陸奥がニヤニヤと笑いながらそんなことを口にすると、瑛叶と雨乃が吹き出す。
「な、笑うなよ!」
「まったく、お前は変わってねぇな夕陽」
「うるせぇ、そう簡単に変わってたまるか」
毒づきながら朝の時間は過ぎて行った。
頭の片隅で何かを忘れているような感覚に囚われながら。
※※※※※※※※※※※※※※
はい、忘れてました。
畜生! 半端じゃなく痛いッッッ!
「〜~ッッッ!」
四時間目の半ば、気を抜いたその一瞬に腹にズドンっと痛みが走る。別に殴られた訳じゃない、自業自得の結果だ。
遅らせた痛みがやって来た、認識こそすれ、唐突な痛みに身体が、心が、思考が追いつかず息が口から漏れた。
「夕陽、大丈夫?」
コソコソと雨乃が心配そうに話しかける。
「もしかして、痛みが─」
「違うから安心しろ」
遮るようにそう告げる。
気を抜いた結果がこれだ、あぁ本当に痛い。終いにゃ泣くぞ。
その後も比較的平静を装って授業をやり過ごす。ペンだけ動かしてノートをとるふりをしながら、痛みを押し殺す。
そして、やっと四限の終わりを告げる鐘が鳴る、その音すらやけに遠く感じる。つーか、いつもより痛みの倍率が心なしか大きい気がするんだけど。
「夕陽、飯食おうぜっ……てお前、大丈夫か?」
「声がでけぇよ、気にすんな生理だ」
「じゃあしょうがないな」
「あぁ、しょうがない」
適当言いながら弁当を広げる、痛くても腹は減る。食わなければやってられない。
「「いただきます」」
瑛叶と机を合わせ、弁当を広げる。
吐き気がひどい、内側から湧き出る痛みに身体が上手く処理しきれていない証拠だろうか? なまじ意識が飛ばない分、こちらの方が辛い。
「お前、大丈夫か?」
「悪い保健室にエスケープするわ、全然くってない残りの弁当喰っていいぞ」
「付き添いいるか?」
「おぶってくれるなら考えてやってもいい」
「よっしゃ分かった」
椅子から立ち上がろうとした瑛叶を手で制する。
「ばっか、本気にすんな。先生には体調崩れたとでも言っといてくれ」
返事は聞かずに足早に教室を後にする。
正直言って、吐き気と目眩が異常だ。フラフラと歩いているのがギリギリと言った所だろうか? 早いとこ保健室に行って休まねば、廊下でぶっ倒れる可能性すらある。
「あのヤンキーの拳、ちょっとばかりヤバすぎじゃない?」
階段の手すりに手をかけながら独り言を呟く。
いくらか上乗せがあるとしても、元が酷くなければここまでの反動は来ないからな。冗談抜きで、『症状』無しで乗り切ろうとしたら五発目あたりで吐いてたかもしれない。
誰だよヘナチョコパンチとか言ったバカは、クッッソ重いメガトンパンチじゃねぇか。
「当たり前よ、ボクシングがーとか言ってたでしょ」
独り言に頭上から言葉が返ってくる。
階段の上には雨乃がいつもの五割増ぐらいの不機嫌さで佇んでいた。
「やっぱ来ますよね?」
「昨日の話をまっっったく聞いてなかったのかしら? 私なんて言った?」
怒ってらっしゃる、もうそりゃ悪鬼の如く。
漫画とかだったら雨乃の後ろからゴゴゴっと擬音が出そうな程には怒ってらっしゃる。
「悪いけど軽口叩く余裕がないんでシリアスシーンはまた後で頼める?」
「夕陽はシリアスシーンで軽口叩かないと死ぬの? たまには軽口叩くのやめたら? ほら、行くわよ」
階段を二〜三段降りると、面倒くさくなったのか最後は華麗に俺の近くに数段飛ばしのジャンプで着地する。
そして、俺の腕を引きながら保健室の方向に歩き出す。
「一応、お前にバレないように隙をついて教室を抜けたんだが……」
確かに、雨乃がこっちを向いていない間に教室を抜けた筈だ。
「あぁ、それなら優秀なスパイが教えてくれたわよ?」
「瑛斗ォ!」
「叫ばないの、痛むわよ」
あの野郎ォ、絶対に許さない。俺達の間に友情は無かったのか!?
「逆でしょ逆」
「……?」
「夕陽が心配だからこそでしょ、自分で連れてくのはちょっと気恥ずかしいから私に言ったのよ」
「乙女かアイツは。つか、だいたい」
そんなことは言われなくても知っている。
毒づきながら保健室を目指して歩く……と言うより引きずられる。雨乃さん力強いですね、先祖はゴリラでしょうか。
「痛みは?」
「心なしかってか、間違いなくいつもより上乗せがデカイ気がする、それ以前に元のパンチがヤバイしな。一定間隔で暴れてるよ」
そう言いながら、内側ではドンッと衝撃が走る。
本当は衝撃なんて走っていない、痛みを上手く処理するために身体が脳がそう思い込んでるだけに過ぎない。そうでもしないとバランスが取れない。
単純な『痛み』だけを処理することが出来ないから『衝撃』という形で脳を体を誤魔化している。
「夢唯、居る?」
保健室のドアを開けながら雨乃が夢唯を呼ぶと、カーテンを締め切った一番奥のベッドから首だけをひょっこり出す。
「やぁ、雨乃。君がボクを訪ねて来るだなんて珍しいね」
「うん、このバカがね」
「あぁ、そのバカか」
ちょっとやめてくれる? 怪我人だよ? 泣くよ?
「私は5限とか出なきゃいけないし、先生にも夕陽の体調の報告しなきゃいけないからコレを見ててくれる?」
「お安い御用だよ、事情は南雲を通して私服先輩なる人物から聞いてるからね」
あぁ、月夜先輩か。どうやら、俺の知らない間に色々と手を回したらしい。抜け目ねぇなあの人。
「それにしても本当に顔色悪いね夕陽」
「そんなに悪い?」
「めっちゃ青いし無理してる感が凄い」
「上手く隠せなかったかぁ」
そう吐き捨ててベッドに横になる。
未だにずっと痛みは続く、ズシリと重い痛みが。
「ボクは少し職員室に行ってくるから、その間は雨乃が見てて」
そう言うなり、答えも聞かずに夢唯は保健室から出ていった。
「気分は?」
「最悪」
「そう」
沈黙が重い。
なんと声を掛ければ良いのか分からない、雨乃もどうやらそのようだ。ずっとこちらを見つめるばかりで口を開こうとはしない。
「ねぇ、夕陽」
「ん?」
体制を変え、雨乃に背を向けるように横になる。
「お願いだからさ辛い時は辛いって言ってよ」
久しぶりに聞いた絞り出したような声だった。
久しぶりに聴いた縋るような声音だった。
「心が読めるからとか、心配かけたくないとかさ色々考えるのは分かるけど」
駄々をこねる子供の様な弱々しい声と少しばかり震える雨乃の手が俺の背中に触れた。
「隠し事はしないで……もう、私はあんな気持ち味わいたくないからさ」
「……ごめん」
それしか言う言葉が見つからない。
俺は何も学習していない、俺は何も分かっちゃいない。
俺は何も──
昼休みの終わりと授業開始の五分前を告げる予鈴が鳴り響く、沈黙は続いたままで。
「私、行くね」
そう言って出ていこうとする雨乃を無意識の内に呼び止めていた。
「あ……のさ、今はその、なんつーか上手く言葉が見つからないし、雨乃を納得させるような理由も出てこないけどさ」
必死に言葉を紡ぐ、ここで何も言わなかったら俺は後悔する。
「必ず、話し合おう。着地点が見つかるまで、妥協できる所が見つかるまで」
「……うん、分かった」
そう言って少しだけ微笑む。
「具合悪くなったら夢唯にちゃんと言いなさいよ」
「あぁ、分かった」
「また放課後迎えに来るから」
そう言って雨乃は保健室を後にした。
この部屋に残っているのは一人の大馬鹿野郎だけだった。