百四話 reunion
ごねる晁陽を引きずって、訪れたのは月夜先輩の家……というか紅音さんの家。
「嫌っす〜! 行きたくないっす〜!」
「ここまで来たんだから行くの! 私の家にいても何にもなんないんだから!」
「嫌だ〜! 会いたくないよ〜!」
「自分キャラ忘れるくらい嫌なんだ……」
やはりこの女の「〜っす!」口調は後付けのものだったのか、これは夕陽が復活したら教えてやらないとな……なんて気の抜けた事を思いながらチャイムを鳴らすと中からは紅音さんが出てきた。
「よく来たな……入れよ、月夜も待ってる」
晁陽は紅音さんの姿を見た瞬間、ビクッと肩を震わせて私の背後に隠れた。この2人、旧知の仲なのか……まぁ月夜先輩の妹なのだから当然知り合いではあるか。
「お、お久しぶりっす……あか姉」
「その呼び方、そうか本当に戻ってきたのか」
紅音さんは静かに涙を流すと駆け寄ってきて、私の背後に隠れる晁陽を力いっぱい抱きしめた。
「グェッ! じぬ! じぬっず! 雨乃さん、たずげで!」
「紅音さん、離さないと死んじゃうわ晁陽が」
「すまん、そうだな……でも、少しだけ」
紅音さんは晁陽を抱き締める手を離すことはなかったが、その力を緩めたようだ。抱き締められる晁陽は心底やりずらそうな顔で私に助けを求める目を向けた。
私は晁陽に抱きしめ返せ……とジェスチャーを送ると、彼女は照れくさそうに抱き返す。
この2人にもきっと色々あったのだろう、詳しい事情は知らないけれど何だか胸が温まる光景だった。
私も夕陽が戻ってきた暁には力いっぱい抱き締めてやろう、きっとあの男も晁陽のように慌てるんだろうな。
「まったく、遅いから来てみれば玄関で何してるんだいみんな」
月夜先輩はトレードマークのカーディガンをもう羽織っていない、その代わり相変わらずな胡散臭い笑顔で笑いかけた。
「入りなよ、外は寒いだろ」
・・・
室内に通された私達はソファに腰掛けていた、相変わらず晁陽は私の隣にベッタリだ。ついこの間まで敵同士だったはずなのだが、異様なまでの懐き方だ。
違うな、懐く……と言うよりは目の前の二人にどう対応していいのか分からない様子だ。
「晁陽」
月夜先輩はソファに座らずに立ったまま晁陽の名前を呼んだ。
「晁陽……」
「き、聞こえてるっす」
「顔、見せてくれないか?」
月夜先輩は晁陽の方に歩み寄ると、目線を合わせてその顔をまじまじと見た。
そして笑う、今までに見た事が無いくらいに純粋な笑顔で晁陽を見つめて泣いていた。
「よかった……よかった……君が元気で居てくれて」
そう呟いて力いっぱい抱きしめていた。
「は、離すっす! アンタなんか嫌いっす!」
「いいんだ嫌いでも、いいんだよ君が元気なら」
「やりずらい……っす! う、うぅ……お兄ちゃん! 本物のお兄ちゃん……!」
強がっていた晁陽もまたいつもの調子は長く続かなかった様子だ、言葉を詰まらせながらワンワンと泣きじゃくって月夜先輩に抱きついてた。その姿はまるで子供のようで、悪役なんかじゃない、年相応の反抗期の女の子。
私がそんな心温まる光景に少しばかり涙を流していると紅音さんが向き直って頭を下げた。
「ありがとう、雨乃。感謝してもしきれない、あの子を戻してくれて」
「紅音さん、違うの私じゃないの。それは多分……」
「夕陽さんっす!」
ズビッと鼻を啜りながら目を真っ赤に泣き腫らした晁陽が話に割り込んできた。いいのに、お兄ちゃんと感動の再会してて。
「な、なんすか雨乃さん、その母性に溢れる目線は」
「いいのよ晁陽、お兄ちゃんと抱き合ってて」
「は、離すっす! はーなーれーろー!」
恥ずかしさのあまりに月夜先輩を引き剥がそうとする晁陽だが、月夜先輩はテコでも動かない様子だ、がっちりと抱きついて晁陽を解放する気配がない。
諦めたのか晁陽は月夜先輩に抱きつかれたまま、事の経緯を説明しだした。
「夕陽さんは偽兄に掛けられてた洗脳を解いてくれたんすよ」
「夕陽が? アイツにそんな便利な力が……」
「その洗脳って痛みが伴うやつでしょ?」
「はい、そうっす、私は慢性的な頭痛に悩まされてて」
夕陽が洗脳を解いた方法は、いつもの如く他人の痛みを奪う二つ目の症状を使ったのだろう。恐らく、痛みは取れても洗脳が解けるかの一か八かだったろうに、流石はやり遂げたのだ。
いや、違うわね、どうせ何にも考えてないわ夕陽。多分、晁陽が痛がっていたから手を貸しただけで。
「それで晁陽は夕陽君に協力したと?」
「ほら、月夜顔がひでぇからチーンってしろチーンって」
顔を上げた月夜先輩はあまりにも汚い顔だった、涙とか鼻水とか、顔中の体液をこれでもかと出していた。
見るに見兼ねた紅音さんが月夜の鼻を拭ってやると、ようやくマトモに会話ができるようになった。
「そうっす、夕陽さんに頼まれて……」
「それで月詠に症状を取らせた?」
「はい、そうっす。正直、マトモだとは思えません」
そう、マトモじゃない。症状が発症してからの夕陽がマトモな価値観で動いていたことなどない、故にアイツがどうやってこの状況を打破するかすら分からなかった。
「夕陽さんは言ってました」
晁陽が申し訳なさそうな顔で私を見る。
「「最悪俺はどうなってもいい」って」
「……」
「雨乃さんとか周りの奴らが無事ならそれでいいって」
「なによ……それ」
夕陽の思考回路が真剣に分からなくなった、どこまで……どこまで私中心で動いているんだ。
「だがその場合どうやって月詠を片付ける腹積もりだったんだよ夕陽は?」
紅音さんが明確に苛立ちを宿した声音で晁陽に問いかけると、晁陽は静かに口を開いた。
「それが、分からないんす」
「は? どういう事よ晁陽」
「夕陽さんが言うには、症状の再獲得で戻れたら俺がどうにかするとは言ってましたが」
「戻れなかった場合は?」
「介入する奴が出てくるから、ソイツが何とかすんだろって笑ってました」
介入する奴? 一体誰のことだ?
私が月夜先輩に視線を向けると、彼もまた意味がわからないのか首を振っていた。
「それは誰なの?」
「知らないっす……というより知らなかったす」
知らない、というより知らなかった。知らなかったということは過去はどうであれ今はその正体に心当たりがあるということだ。
私が晁陽を問い詰めると、彼女はポツポツと私の家の前で転がる前に起こった事柄を話し始めた。
その内容は月詠に殺されかけたこと、そしてそれに割り込んできたフルフェイスの不審者。
「多分っすけど、夕陽さんが言ってたのはあの人の事です。偽兄相手にも余裕そうって言うか、月詠もどこか恐れてました」
月詠相手に1歩も引かないそのフルフェイスに興味はあるが、尚のこと理解ができない。そんな強い奴がいると知っていたのなら夕陽は何故わざわざこんな自殺行為を?
「夕陽さん曰く「俺が無事な限り絶対に切れないジョーカー」がその第三者らしいっす」
夕陽が無事な限り切れないジョーカー? その口振りから察するに恐らくは夕陽がよく知る人物であるのは間違いが無いだろうが、あれだけ一緒に過ごしてきた私にも皆目見当もつかない。
つまり、今考えなくてもいいってことだ。
「とりあえず分かった……でも、私達の第一目標は」
「あぁ、変わらず夕陽君を叩き起すことと、月詠との決着だ」
「雨乃、月夜、策は?」
私の言葉に力ずよく月夜先輩が同意して、紅音さんが話を進める。正直、その第三者が気になりはするが、宛にできないのには変わりない、つまり私達はやるべき事をやるしかない。
「夕陽が症状を再獲得するためには……多分、私が必須になると思うの。晁陽、その辺は夕陽なんか言ってた?」
「はい、夕陽さんも同じことを……ただ」
嫌なところで区切る晁陽に私はその先の言葉が何となく想像ついてしまった。
「雨乃に全部お任せで……らしいっす」
あんのバカ! なんでなにもかも私任せなんだ!
・・・
一人のの病室で俺は静かに思案する。
自分の事、星川のこと……紅星 夕陽の事。
結局、ここにいる俺は偽物で作り物、思い出もなにもかもまがい物なのだ。
ならば何故、紅音夕陽はそんな存在をわざわざ作り出したのだろうか? あんな日記までわざわざ拵えるようなやつだ、恐らくは何かの役割を次の自分自身に与えているはず。
「なんでそんなことばっか考えてんのか……」
考えてやる義理もない、1番の被害者はオレなのに。
いや違うな、1番の被害者は星川だ……恐らく、想い人であったろう紅星夕陽に裏切られ、こんな偽物の面倒を見させられてる彼女が1番の被害者。
顔も声もそっくりで、違うのは作られた記憶と髪色だけ……そんな物を見せつけられる彼女が哀れで仕方ない。
「だけど、まぁ」
義理はあるな……彼女は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。それがオレじゃない俺の為であろうが、彼女に恩を受けたのは事実なのだから。
「返さねぇとな」
恩を、想いを、存在を。
なるほどどうして皮肉に満ちている、オレはどう足掻いても彼女に恋する運命にあるらしい。そしてそれを、自らの手で諦めることも。
オレに出来る最大の恩返しは星川雨乃に紅星夕陽を返してやること。
そして、オレに出来る最大の復讐は、諦めた紅音夕陽の恋を成就させてやること。
ならばここにオレの存在意義は確定した。
大体、他の連中が俺の為に躍起になっているらしいのに、一人だけ惰性を貪るのも無しだろう。
オレはスマホを取り出してメッセージを送る。
相手は星川ではない、オレも俺も同じだと言ってくれた……報われない恋をする一人の女の子。
暁 冬華に情けないヘルプを要請する。
『手を貸してくれ』と。




