百二話 Scramble
「つーわけ、らしいのよ」
「……お前さぁ、来ていきなりマシンガンのように早口で喋るから理解するのに時間かかったぞ」
「あん? 記憶なくしても馬鹿だなぁ、ユウヒ」
「あ!?」
眼鏡の位置を直しながら、ユウヒは溜息を吐く。
「なんなんだ、お前らは。どいつもこいつもやることなすこと唐突すぎるんだよ」
「いっちゃん唐突なやつにそんな事言われてもねぇ」
「オ レ は! 唐突じゃねぇ!」
「ユウヒも夕陽もぶっちゃけ変わんなくない? たこ焼きに鰹節がついてるかついてないかぐらいの違いじゃんぶっちゃけ」
「お前ってさ……なんでそう人のデリケートな部分を平気で荒らしまくるの? 昔からそうじゃん」
「ほら、そういうとこだって」
「あん? 何がだよ」
若干呆れつつも、ユウヒは仕方なく瑛叶の声に耳を貸す。
「だってお前今、昔からって言ったろ? つーことは、お前俺がこんな人間だって知ってんだよ」
「そりゃあ、なぁ? 一応、親友だからな」
喧嘩はしたけどな……という言葉は飲み干して、瑛叶の言葉を聞くことに専念する。
「だろ? じゃあお前は夕陽だよ、ユウヒ。雨乃のことを覚えてないのが夕陽とユウヒの違いだってんなら、やっぱしそれは鰹節が乗ってないぐらいの違いなんだよ」
「……意味わかんねぇー」
「俺にしては分かりやすく説明したんだんがなぁ」
「そうじゃねぇよ……そうじゃねぇんだよ」
ベッドに横になり、窓の外を見る。
理解できないのは夕陽とユウヒの違いじゃない、それよりもっと根深いとこにある。
どいつもこいつも『夕陽』と『ユウヒ』を分けて接していたくせに、『夕陽』と『ユウヒ』には対した差がないと言っている。
それがどうしても理解出来なかった、初めから同一人物として扱っていてくれれば、ここまで悩む必要もなかった。
誰かの期待に応えて、誰かの羨望に答えて、誰かの憧れに堪えて、ヒーローを演じていれば楽になれるはずだった。
だが、気がついてしまった、気がつかされてしまった、自分が紅星 夕陽じゃないことに、自分が彼女のヒーローじゃないことに。
それを知ってしまったからこその『虚無』だ。
「まぁ、とりあえずは安心しろよ」
瑛叶は深く深く帽子を被る。
「たまにはテメェは休んでろよ、必ず助け出してやる」
その瞳は静かな炎が燃えていた、怒りにもにた赤いナニカが見え隠れしていた。
人一人分の熱量を失った病室はうすら寒かった、どこか恐ろしささえ感じてユウヒは毛布に包まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「やっばい!!」
路地裏を少女が駆ける。
途切れる息と揺れる白と黒の髪。
「なにが道筋を作るだッ! 道筋作る前にこのままじゃ道路のシミが関の山っす!!」
白と黒の少女……晁陽は全速力で逃走していた。
「ふふ、お兄ちゃんから逃げられるとでも?」
「なにが兄貴だ偽物野郎ッッ! 三回転半死ねッッ!」
晁陽はひたすら逃げていた、数多の症状を操る化物にして黒幕から。
「くっそ!アンタなんで私に戦闘系の症状与えなかったんですか!?」
「こういう場合を想定して……だよ。はい、チェック」
鉄骨が逃げ道を塞ぐようにして放たれる、避けた先には鉄格子。
「なっ! くそ、あいかわらず便利な力っすね」
「全く、その年で反抗期かい? まぁいいや、もう計画は大詰めだけど、君が僕の手中にあるだけでアイツは怒るしね」
逃げ場のない彼女の顔に手が伸びる。
鷲掴みにされた手の指先から、晁陽の脳内に何かが流し込まれる。
「もう二度と解けないように、君の感情に蓋をしよう。物言わぬ人形となって、精々アイツに対する人質になってくれ」
「やめろッ! 離せッ! 私はまだやらなきゃいけない事が……!」
「ないよ、君がやるべきことなど存在しない。彼は死んだし、アイツも死ぬ、あの二人の周りにいる症状持ちは全てその力と記憶を失う。もうこの物語の結末は見えている」
男は笑う。
嘲笑う。
「掛け値無しのバットエンドだ、もうヒーローはいない」
もはやピエロはいない。
ここにいるのは独りの化物、常識も感情も通用しない怪物。
「ふざけんな」
それでも、少女は笑う。
『ヒーロはいる』と笑い続ける。
「奇跡は起こるし、ご都合主義だってきっと起こる……!」
ヒーローに呪縛から、偽りの記憶から解き放たれた少女は謳う。
それでも尚、希望はあると、絶望の淵で怪物を嘲笑う。
「私だけじゃない、みんな彼に魅せられた! アンタだってそうだ! アンタは怖かったから彼の記憶に蓋をした!」
「なに……?」
「計画の為だなんて偉そうなこと言って、本当はただ怖かったんだ!」
「……」
「アンタが一番あのヒーローに魅せられたッッ!」
その言葉は弾丸だった。
彼女の存在を数秒だけ永らえさせる命の弾丸。
「もういい、黙れ」
少女は静かに目を瞑る。
「もう目覚めることはない」
あぁ、叶うなら。
叶うならば、もう一度だけ、もう一度だけでいいから彼と話がしたかった。
「さよなら」
少女の涙が地面に落ちる、そのコンマ数秒前。
「まだ、君には役目がある」
少女の身体が浮遊した。
「へ……!?」
「介入は本来するべきじゃないんだよ」
目を開けるとそこにはフルフェイスのヘルメットを被った男が晁陽を抱きかかえていた。
「お前は……この前の」
「よぉ、その節はどうもねー。記憶のないバカの次はいたいけな少女かい? お前、趣味広いな」
フルフェイスで見えないものの男は確実に笑っていた。
「なぜ邪魔をする?」
「邪魔なんてしてないさ、俺はただ物語のバランスを整えているだけ」
ヘラヘラしながら男は笑う。
それと相対的に月詠の苛立ちは増していく。
「お前は僕の敵か?」
右手を振り上げる、攻撃の初期動作。
「いいや、敵じゃないよ。だからと言って味方でもないけど」
「何が目的だ?」
「だから言ってるだろ? 俺は物語のバランスをとってるの」
月詠は構えていた右手を下ろした。
「今、僕が彼女を殺そうとすればお前は僕を止めるかい?」
「あぁ、もちろん全力で。彼女が今死ねば大幅にバランスが崩れるからね」
「……ここは引こう」
月詠は踵を翻す。
荒れ果てていた路地裏は次第にあるべき形を取り戻し始めた。
「一つ忠告だ」
「なんだ」
「お前がもし、人の道から外れるような事になれば」
男の雰囲気がガラリと変わる。
おぞましく、恐ろしく、そこが見えない沼のような雰囲気を纏いながら男は続ける。
「俺が処理しなきゃならなくなる。それ以外は自由だ、好きにやりなよ」
「……」
月詠は明確な敵意をぶつけながら、その場から霧のように消えていった。
「あ、あの、ありがとうございます」
「ん? あぁ、いいのいいの、仕事だからね」
「仕事っすか?」
「そ、お仕事」
晃陽を地面に降ろしながら、フルフェイスの男は自分のメットをコンっと叩く。
「社会人は大変なんだよ」
「あの、さっき私が死んだらバランスが崩れるって」
「あぁ、あれ? うん、そうだね、君が死ぬとバランスが崩れる」
男は地面に落ちていた大きな石を左手に乗せる。
「これがさっきの少年、月詠だ」
そして近くに落ちていたまばらな大きさの砂利をいくつも拾い上げ右手の上で広げる。
「この数多の石ころが君達、つまりは月詠の敵対者。今、結構ギリッギリなバランスなのよ」
「ギリッギリ?」
「そ、ギリッギリ。君達がアイツに勝てる確率はほぼゼロだ」
「ほぼゼロ……?」
男は右手に乗せていた数多の石ころを粉砕する。
「勝ち筋は1つ、殻に入ってしまった大馬鹿を覚醒させること」
「……」
「アレを覚醒させるのに必要な要素の1つ、それが君だ。だから、君が死ねば何をどう足掻いても月詠には勝てなくなる。それじゃあバランスはとれない」
大きな石をポイッと放り投げて、土に汚れた手を払う。
「アレが覚醒して、君達全員が雁首揃えて最終決戦。そうじゃなきゃ、面白くない。そうじゃなきゃ、この物語は落とし所を失ってしまう」
妖艶な雰囲気は全てを飲み込む。
月詠を超える不気味な悪寒、不敵な笑い声。
「んじゃ、頑張りな。これ以上の介入はもうできないからね」
「……ありがとうございます」
「いい子だ。そんないい子には」
額を指先で弾かれる。
その瞬間、閃光弾が眼前で光ったような目眩に襲われる。
「ッッッッ!?!?」
「鍵をあげよう。さぁ、あとは君達の物語だ」
そんな声を聞きながら、晃陽は静かに意識を失う。
少女が倒れた後に残るのはフルフェイスの男だけ。
「あぁー、あっちぃなぁ」
だるそうな声と共に、フルフェイスが顔を出す。
「ったく、バカ弟め。とっとと元に戻って終わらせちまえよ」
紅星 夕帆、底知れぬ男は気を失った少女を抱え、その場から一瞬で姿を消した。
・・・・・・・・・・・・・
「んなっ……」
星川 雨乃は言葉を失っていた。
手に持っていた食材が玄関前の地面に落ちる、卵のひしゃげる音がした。
「なんで……?」
探していた、探していたのだ。
というか、明日ぐらいから本腰入れて探そうとしていたのだ。
その相手が、自宅の玄関前で眠っている……というより気を失っている。
「なんで、この女が」
白と黒の髪と彼女には無いたわわな部分をぶら下げて、頭には「ご自由にどうぞ」なる貼り紙を貼っつけて。
「晃陽がここにいるの……」
星川 雨乃は再び頭を抱える。
「まぁ、とりあえず家に放り込むかぁ」
呆れつつ、溜息混じりに晃陽を家に招き入れたのだった。