春なのに?
ボタンを、ありがとうございます。
ねえ、卒業式の日にどうして第二ボタンをもらうのか、知ってました?
そう、よくご存じですね。むかし、出征する兵士から、恋人がもらいうけたのが、始まりだと言われます。上官は若者の二番めのボタンがなくなっていても、見て見ぬふりをしてくれたのだとか。
あるいは、こんな説もあるの。学生服のボタンには意味があって、一番上はあなた自身。そして第二ボタンは、あなたの一番たいせつな人……
(間)
あの。これ、第一ボタンと交換してくださる?
ううん、そんなに蒼ざめないで、冗談ですから。第二より第一のほうが、ちょっとお得な気がしただけ。なんなら、ボタンぜんぶもらっても構わないけど、そうしたらあなた、電車で帰れなくなっちゃいますね。
(笑いあう。間)
そうだ、家に帰れなくなったら、(急にドスのきいた声で)わたしのもとへ帰ってくればいいじゃない。
(我に返り)あれ? さっきより蒼い顔をして、どうなさったの? わたし何か? そう、第二ボタンでしたね。いろいろな説がある中でも、わたしが一番気に入っているのは、こんなロマンチックなバージョン。どんなものか、知りたいですか。
それはね、第二ボタンは、ずっとあなたのハートの一番近くにあったから。いわばこれは、あなたのハートなんです。あなたの……ハート。あなたの……し、ん、ぞ、う(ぐいぐい握りしめながら、不気味に笑う)
(我に返り)だいじょうぶですか? 胸を掻きむしったりして、具合がよくないの?
え、わたし何か言ってましたか。このごろ急に独り言が増えちゃって。きっとあなたが受験勉強で忙しくなって、以前みたいに話せなくなったから。ねえ、わたしたち何時間も、時が経つのを忘れて話しましたね。
あなたと交わす他愛のない会話のひとつひとつが、宝石のようにたいせつに感じられました。卒業したら、わたしたち……
(間)
わたしたち……
(間)
そうだ! 卒業してもわたしたち、あの白いきっ……(くしゃみ)!
あの白いきっ……(くしゃみ)!
白いきっ……(くしゃみ)!
っつさてっ(くしゃみ)!
んでっ(くしゃみ)!
(荒い息をつきながら)ごめんなさい、花粉症なんです。
(独白・演劇的に)ああ、待ちに待った春なのに、このきらびやかな季節を、花粉症が根こそぎ奪い去る。かすみたなびく春の野が涙でかすみだらけになり、花の香りはマスクに通せんぼされ、鏡に映るのは、くしゃくしゃに泣き腫らした無様なわたし。
(気を取り直して)あなた、よく聞いてください。たいせつなことだから。わたしはいま、不条理な花粉症とは正反対の論理的な話がしたいのです。いいですか、あなたは確かに卒業しました。わたしたちは学校で顔を合わせることができなくなりました。これは厳然たる事実です。しかしながら、ここにもう一つの、重大な事実が見落とされていたのです。宜しいか、ワトソン。卒業してもわたしたち、今までどおり、あの白いきっ……(くしゃみ)!
白いきっ……(くしゃみ)!
っつさてっ(くしゃみ)!
んでっ(くしゃみ)!
青春のばか!(ボタンを空へ投げる)