第四話:回想2 ハイドラとイシュタル前編
この物語はフィクションです。作中に登場する神々や聖霊の名前については、史書に記されているとは一切関わりございませんし、その霊格の扱いについても不当に貶める意図や宗教との関わりはありません。不快に思われる方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません。
神々や聖霊あるいは精霊の力を借りて魔法を使うと言っても、三者が人間に力を与える方法は一つじゃない。
精霊はこの世界のどこにでもいて、割と人間に対して友好的な存在だ。その姿を見ることができる才があり、彼らと対話するなりしてフィーリングが合えば、ほとんど無制限に力を貸してくれる。場合によっては武器や防具に宿って「精霊の加護」を与えてくれる。
しかし、三者の中では霊的にもっとも低い位置にあり、人に仇なす怨霊よりも力が弱い彼らであるからして、そこから引き出せる力には限界がある。彼らの意志を奪い、大量の精霊を宿して力を引き上げる邪法もあることはあるが、それは魔の眷属が好むやり方だ。
愛くるしい姿をし、目を凝らせば俺たちのすぐ隣で暮らしている精霊たちを無理やり使役するような方法は、人間の中では禁忌とされている。
存在自体が宿す力の順で話をすれば、聖霊は精霊よりも圧倒的に強い。まともに顕現すれば、魔力を持たず抵抗する術を知らない人間では目が潰れ、声を聞けば耳がだめになる。
生涯を神に仕える聖職に捧げたものや、気まぐれなあいつらにやたらと気に入られた人間の魂が天に召され、肉体を持たずに復活を許されたとき、聖霊は誕生する。また神が自分たちの力を分け与えたり、特定の方角やなんかを守らせたいときに作り出すこともあるという。
人智を超えた力を有し、未来を予見する存在であり、田舎に行けば半分神のように崇められている連中だが、それでもその力は神に遠く及ばない。
ただし、存在自体の力の多寡と、人間が彼らの力を何がしかの方法で借り受けて行使し、顕現できる現象の大小とは別の問題だ。これは、遠くの神域から力を垂れ流しているだけの神と聖霊では、力の与え方が大きく違うことに起因する。
精霊は人間以外の生物や物にしか宿ることができないが、聖霊は直接人間に宿る――憑依して操るのとは違う。宿るのだ。
魂の器として人間の身体を捉えるならば、普通の人間に聖霊が宿ることは不可能だそうだ。魂を受け入れる器の選定方法など知らないが、「聖霊持ち」本人たちが言っていたのだからそうなのだろう。
聖霊をその身に宿した彼らが振るう力は絶大だ。炎の力を顕現する聖霊を宿していれば腕の一振りで沼を干上がらせ、水の力であればそれを瞬時に満たすことができる。俺は、天候を変えるほどの力を発揮する奴にだった会ったことがある。
ただ聖霊自体の数が少ないことと、ほとんどが神の使役する使徒であるため、地上で聖霊持ちに出会い、彼らの人智を超えた力を目にすることは滅多にあるものではない。
神の使徒の代表例と言えば天使だ。しかし仲間たちを瞬く間に血の海に沈めた神域を守る兵隊に関する情報は少ない。リュカゥとシュエリスによれば、使徒を無駄に――なのかどうかは知らないが、大量に使役しているのは神々のごく一部であり、その活動内容や神の意図は分からないのだそうだ。
神同士ですら秘め事や繰り言があり、そんな世界に嫌気がさして「神世界」という神々の組織から脱退した「異端」の姉妹の物語については、また話ができるときが来るだろう。
さてエリヤの命を愚直に守る天使に殺されたハイドラとイシュタルに出会ったのは、俺とアンドリューが旅を始めて三年と少し頃、「雷神シャンツェ」と「風神シェン」の神域を探して東の島国――クリサンセマムを訪れた時のことだった。
当時アンドリューは、アゼリアに住む精霊たちの大半を味方に付け、地・水・火の魔法を使いこなす凄腕の魔法使いとなっていた。
俺は、なぜか火の精霊以外からはウケが悪く、大火力の魔法剣を振り回すことしかできなかったが、彼が魔法を駆使して巧みにサポートしてくれたおかげで、地上に湧いてくる魔物どもの中堅クラスであれば楽に戦えるレベルにまで成長していた。
しかし、精霊から借り受けるだけの力では、上級クラスの魔物――例えばドラゴンや魔族と呼ばれる知恵も力も大きなものには太刀打ちできなかった。
そんな魔物と戦えるのは、歴戦の冒険者や王国守備隊の中でも「神々の加護」を受けた連中だけだったのだ。
前にも言ったように、神々なんて連中のほとんどは傲慢で、人間のことなんか気にしていない。リュカゥやシュエリスのように直接契約してくれるような存在はほとんどおらず、契約には劣るにしても絶大な力を得られる「加護持ち」は、魔王との戦争において大変貴重な戦力であった。
しかしそれでも、彼らの剣や魔法は魔王に届かないどころか、裏世界へ直接乗り込むこともできないというのだから、当時の俺たちがいかに矮小な存在であったかは想像に難くないだろう。
神の加護は是非とも欲しかったが、アゼリアで有名どころの神々は散々祀られ崇め奉られており、代々続く神官の子だとか、特別に生贄を捧げ続けてきた部族出身者やなにかにしか加護を授けていなかったため、俺たちがちょいと祈りを捧げたりしたくらいでは力など貸してくれなかったのだ。
そこで俺たちは、大陸から離れた島国に住むというマイナーな兄弟神に目を付けた。
戦争の最中に船旅を楽しむ客はいなくとも、アゼリアを脱出して、ほとぼりが冷めるのを待とうという輩は沢山いた。俺たちはそんな連中を運ぶ客船に便乗し、神の加護なり契約なりを得るためにクリサンセマムへと渡ったのだった。
クリサンセマムの西側にある港町から、雷神風神の伝承を求めて旅すること一か月で、俺たちは彼の地に住まう神々の神域へとたどり着いた。
アゼリアと違い、神域は隠されたりはしていなかった。ここが神域でございと分かりやすい入り口――朱塗りの材木を組み合わせた扉の無い門の様なモニュメント――が設置されていたのだが、簡単に入れるというものでもなかった。
なぜ簡単には入れないかというと、クリサンセマムの神域はスメラギという一族によって守られており、彼らが認めた「勇者」でなければ神域に足を踏み入れることは許されないからだ。彼らの戦士は強く、当然のように地元神々の加護を受けていた。とてもじゃないが、当時の俺たちでは強行突破なんて不可能だった。
……アゼリアが魔物と全面戦争になったことは聞いている。
だがそれは、クリサンセマムの民と神々には関係のないことだ。
スメラギの族長――東方に住まう神々の加護を受けた男が、俺たちに向かって冷たく言い放った。国王が聞けば辺境の島国に暮らす一族長ごときの分際で、などと怒るところだったかもしれない。しかし俺たちのような駆け出しの冒険者が「ちょっとお宅の神様かしてくんない?」と願い出たことに対する回答としては、妥当だったかもしれない。
しかしそれで、失礼しましたと引き下がるわけにもいかなかった。
当時の俺たちは若く、魔物の打倒に心を燃やしていたのだから。
アゼリアが敗北すれば、裏世界の魔物たちは全世界へ広がっていくだろう。魔王を倒して戦争を終わらせなければならず、そのためには、神々の力が必要であると訴えたが、「そのときは魔物ごとき、我らの神々が撃ち滅ぼしてくれよう」と族長はせせら笑った。
アゼリアには東方よりも多くの神が住んでいる。
クリサンセマムに住む神々の中で、エリヤとアレルヤの実子は風神と雷神だけだ。申し訳ないがあとの連中は聖霊との混血であり、創造神が住むアゼリアが敗北するような戦力に東方の神々だけで対抗できるとは思えなかった。
俺たちは、東方の神々の力にそこまで期待していない
俺は、正直に告げた。
俺たちは風神と雷神の力を得て、アゼリアの神域を攻略する足掛かりにしたいだけだ
目を剥いて怒るかと思った族長は、俺の吐いた言葉を黙して聞き終えたのち、眉ひとつ動かさずに口を開いた。
お主らに力を与えるか与えないかは、神の決めること。我らスメラギは、神域を求めるものの資質を見定めることが務め。
そんなことはすでに聞いていると俺が言う前に、話は終わったと頷いた族長は、木造平屋の奥へ引っ込んでいった。
いなくなった族長の代わりに、真っ白な砂が敷き詰められた館の前庭に満ちていったのは、荘厳な柱のように直立不動だったスメラギの男達の殺気に満ちた視線だった。
俺たちは背中合わせになり、俺はバスタードソードの柄に手をかけ、アンドリューは魔法発動の準備をした。
スメラギに向かって剣を抜くかよ? 小僧。
思いもよらない方向――館の屋根から声がかかり、誰が小僧だと思った瞬間、冬晴れの暖かい日差しが消えた。
声の主は、粘土を焼き固めた板を張り合わせて造られた、傾斜のきつい屋根に設置してある角が生えた化け物の顔を象った像の頭に座る女だった。艶やかな花柄の布を幾重にも合わせた衣を着ていたが、胡坐をかいて坐しているため生足が際どい部分まで露出しており、思わずそこに目が行く前に、俺たちは彼女のさらに上――空の光景に目を奪われた。
館の上空には、何の前触れもなく厚い雲が出現していた。夏の嵐のごとく雷鳴をとどろかせながら増殖する黒雲に誘われるように、乾いていた空気は急速に湿度を上昇させ、前庭のそこかしこにつむじ風が巻き起こった。ありえない現象に俺たちが息を飲んでいると、今度は館の奥から別の人物が現れた。その姿を目にしたスメラギの男達の殺気が霧散し、彼らは彫像のように不動の姿勢に戻った。
コズヱ……異人を怖がらせてはいけないよ。
東の島国とアゼリアでは、そこに暮らしている人間たちの人種が異なり、クリサンセマムの人間たちは黒髪、黒目にやや黄色がかった肌を持つ者が多く、アゼリア人と比べて身長が低い傾向にある。
超常現象を引き起こした張本人――コズヱを窘めたのは、クリサンセマム人にしては背が高く、狐のように細い目をした少年だった。
マサムネ……。
前庭に控える頭頂を剃り、奇妙な形に結った髪を乗せている男たちとは対照的に、マサムネの登場によってコズヱは殺気を膨れ上がらせた。俺は情けないことに、屋根の上の女から突き付けられる刃のようなそれに怯え、その場から逃げ出さないでいるのだけで精いっぱいだった。
小僧は神々を愚弄した上に、スメラギの庭で刃の柄に手をかけた。
そっ首たたき落としてカラスのエサにでもするが定石であろう?
それとも何か? 其方のスサノオが代わりにやってくれるとでも言うのか?
後で教えられたことだが、スサノオとはマサムネに宿る聖霊の名だ。コズヱもセイリュウという聖霊を宿しており、この時俺たちは聖霊という存在を宿した連中の力の大きさを知った。同時に天候を操るほど大きいそれを、さらに凌駕するという神々の力をより強く欲するようにもなった。
彼らは異人だ。
スメラギの作法など知らぬことを責める狭小に過ぎるってもんだよ。それに、親方様は、彼らの処遇については何もおっしゃらなかっただろう。
話は終わったと申したではないか。それで十分。図体と住まう土地がでかいからと調子にのってはいるが、こやつら所詮は畏れ知らぬ不埒ものよ。
どれ、ちょいとその首をばここへ伸ばせ。
いやいや、拡大解釈も程度によるだろう。アゼリアとの取り決めもあることだし、ひとまず彼らの身柄は私が預かるよ。
マサムネが「……それでいいね?」と言って、音もなく庭へ降りたコズヱを遥かに凌駕する覇気をもって彼女を制した。奴の覇気は俺たちにも向けられていて、黒い蓬髪をバリバリと掻き毟り、不満至極といいながらもコズヱに矛を収めさせた――空は晴れ渡り、膨大な殺気も消えた――その迫力に抗う術など持ち合わせていなかった俺たちは従うしかなかった。
……これから、どうなるんだ?
マサムネの案内で館に通されて、おっかなびっくりついて行けば、草を編んで作ったという奇妙なタタミという硬い敷物が敷き詰めてあり、窓はなく部屋の入り口は木製の格子戸でがっちり施錠されているそこ――座敷牢に入れられてしまった俺たちは、顔を見合わせてため息をついた。
わからないが、とりあえずあの女に首チョンパされなかっただけでもよしとしようぜ。
一応前向きなことは言ってみたものの、異国の地で囚われの身となるとは思っていなかった俺は途方に暮れていた。
ようやく、お仲間が来たね。
助かりましたな! これでやっと、解放されますぞ!
廊下に灯されたろうそくしか光源がないため、座敷牢の中は見通しが利かず声の主の姿はおろか牢自体の広さも判別できない俺たちに、幾分潜められてはいるが、嬉しげな声がかけられた。
行く末もわからず囚われの身となった俺たちは、男女一人ずつから発せられたらしい、声に反応して無手ながらも――武器の類は没収されていた――油断なく構えた。
感じられる気配も二人分であったが、アンドリューにしても俺にしても、武器が使えず、燃えやすい室内で安全に発動できる魔法は持ち合わせていなかった。格闘戦になれば、体力不足のアンドリューは当てにならなかったため二対一だと考えた俺は、いきなり戦闘になるのを避けるために対話を試みた。
先客がいるとは思わなかった。俺はアルスで、こっちはアンドリュー。アゼリアから渡ってきた冒険者だ。
構えたままではあったが、できるだけ穏やかな調子で話しかけると、暗がりから男が姿を現した。
おお! 同郷の手合いとまみえるとは何という僥倖!
イシュタル。大きい声を出すな……いきなり声を掛けて驚かしてすまない。私はハイドラ。彼は従者のイシュタルだ。君らと同じくアゼリアからやってきた。
大柄の壮年の騎士――イシュタルと呼ばれた彼をそう判断したのは、アゼリア国騎士団の紋章を刻み込んだ鎧を着ていたからだ――の背後から、金髪の少女が進み出て自己紹介した。