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第二十三話 End of the World

 時間にすればほんの数秒の間だけ、モニターベースは暗闇に包まれた。緊急時に取り乱すことなく、冷静に行動するよう訓練されているVR対策室の面々が最初にすることは何か。


「くそ! どういうことだ!? 誰か灯りを!!」

 

 上司が喚く声に眉を潜めながら、胸元から携帯電話を取り出して電源をオンにした職員は、先ほどまでツァンのアクセスログを追跡していた男だった。

 気を落ち着け、パニックにならないこと。

 当たり前の様な気もするが、これが案外難しい。


「ああ、くそったれ! なんであいつはまだ生きてる!? 浅野は何やってんだ!?」


 最新の携帯電話は、単に携帯無線電話機と呼ぶには相応しくない、様々な機能を搭載している。やたらと画素の多いカメラレンズの横に装備されている小型LEDの灯りに照らされて大泉の顔は醜く歪んで見えた。

 携帯をひったくられてはたまらないと、大泉の部下は上司の手元を照らしてやった。彼がギリギリと音が聞こえるほど強く握りしめている医療用PHSを操作し始めたからだ。


「おい浅野! ツァンの脳コンはどうした!? …………なんだと?」

「お、付いた」

「やれやれ……」


 唐突にホールの照明が点灯し、あちこちで安堵の声が上がる中、大泉の愕然とした顔が露わになった。ぴっちりと整えられていた髪は乱れ、濁った色の汗がワイシャツの襟を汚していた。







【『Guest』が退室しました】


 俺は、システムが最後に送信したメッセージを確認したあと、しばらくチャットルームをオープンにして待っていた。しかし、Guestはいっこうに現れず、Unknownも「GAME OVER」のメッセージを最後に、沈黙を保ったままだ。

 ツァンの要求は通らなかった。

 彼女は、人質を殺したのだろうか。

 大泉の言う通り、そんなことをして彼女に何のメリットがあったのだろう。

 まさか、政府主導の「釣り」に腹を立てたわけじゃあるまい。


「勇者先輩……今、どんな感じ?」


 ユーキが遠慮がちに声をかけてきた。

 どんな感じと言われても、ありのままを伝えるしかない。


「わからない」

「なによそれ! 何分もあっちと会話してたんでしょ? 『わからない』じゃわからないわよ!!」


 ミサがリュカゥの隣で両手を振り回して喚いた。


「チャットルームにツァンが現れて、政府の人間に要求を出したんだ。ツァンは要求を飲めば人質を解放すると言ったんだが、役人が渋ってな。……時間切れになったらしい」

「なにそれ……」


 三角に吊り上がっていたミサの目に、みるみる涙が溜まっていく。


「あたしたち、見捨てられちゃったの……?」

「いや、そういうことではないと思う」


 大泉という人間は信用ならないが、奴は「時間をくれ」としか言っていない。映画の悪役みたいに「好きにしろ」とか「やれるものならやってみろ」などと強気に出たわけでもなかった。むしろ、時間切れギリギリで一条の脳コンを外させて、ツァンの接続を切ろうとしたんだ。それは一応、人質の命を守ろうとしてのことだろう。

 一条の身体はスパコンとは別の場所にあるようだから、彼の指示が間に合わなかったのか、脳コンを外しても接続が切れない理由があるのか知らないが、結果的には「GAME OVER」となってしまったらしい。しかし、それで現実世界に何が起こったのかは謎のままだ。


「参ったな……身動きがとれない」


 思わず口に出してしまった。

 ユーキとミサは自分でログアウトできない。俺はログアウトしたところでベッド上から動けず意識が戻る保証すらない上に、犯罪者として裁かれる運命だ。現実世界で何が起きたのかもわからない現状では、俺たちにできることはない。


「アルス!」


 途方に暮れたその時、リュカゥが鋭い声で俺を呼んだ。

 びっくりして振り返ると、俺とリュカゥ、ユーキとミサの間に割って入る様に、黒衣の女が出現していた。

 ツァンだ。

 ここに自身のグラフィックを出現させた以上、やはり彼女はログアウトしていない。ヒラヒラとローブの裾をなびかせながら、相変わらず女神の真似事をして床上十五センチくらいの高さに浮いていた。突然現れた理由を話すわけでもなく、黙ったままの彼女の表情は憮然としたものだった。要求通りに事が運ばなかったことが不満なのだろうか。とにかく、いったい何をしたのか聞き出さなくては。

 

「ツァン……」

「それ、貸しなさいよ」

「え?」


 問いただそうとする俺を制して、ツァンは俺の左手に納まっている短刀を指差した。今更ながら見てみると、それは皮製の鞘で刃部を隠しており、軽い樹脂製と思しき飾り気のない黒い柄は十五センチほど、鞘に覆われた刃渡りは、二十センチくらいあるものと思われた。

 だが、今はこのなんちゃらいう武器なんてどうでもいい。


「ツァン、今はとにかく――」

「もう、いいのよ。全部終わったんだから」

「終わった……?」


 ツァンはため息を一つつくと、両肩を竦めて笑った。


「そう。あたしがやりたかったことは、もう終わったの」

「勝手に自己完結して、終わりにするつもりか?」

「そうは言ってないじゃない。……あたしが何をしたのか知りたいんでしょう? だったら、現実世界へ帰って確かめるのね」


 どうやら、素直に教える気はないらしい。俺はリュカゥに目配せした。


「言っておくけど、さっきみたいな脅しはきかないわよ?」

「ふん」


 勘の鋭い奴だ。俺は踏み込もうとしていた足から力を抜いて、鼻を鳴らした。


「ツァン、俺だけ現実世界へ帰っても何もできない。全て終わったと言うなら、あいつらを解放してやってくれ」


 リュカゥの肩越しにこちらを見ているユーキとミサを顎でしゃくってみせると、ツァンはそちらを振り返った。三秒ほど彼らの方を見ていたが、またこちらに向き直って口を開いた。


「残念だけど、あたしには無理ね」

「なんだと?」

「なんでよ!?」


 ユーキとミサが同時に声を上げ、チラと振り返ったツァンから隠れるように、リュカゥの背後に引っ込んだ。


「橋本公英が、あなたたちがログアウトできないようにプログラムをいじくったPCは、今オフライン状態なの。残念だけど、アクセスできないわ」

「じゃあ、二人をログアウトさせるには……」

「ゲームをクリアーさせるしかないってこと」


 ツァンが左手をクイクイと動かしている。短刀をよこせということか。だが、これを渡しても意味がない。そんなことがわからない奴でもあるまい。


「ツァン。ハシモトがいじったプログラムを変更できないなら――」

「いいからいいから」

「……?」


 ツァンが左目を閉じてウィンクした。意図は測りかねるが、俺が持っていても仕方ないものだ。俺は、差し出された手に短刀を乗せた。


「さすがと言うべきかもしれないけれど……センスを疑うわ」


 ツァンは邪神殺し(アイドル・キラー)を手に取り、鞘から抜いた。露わになった刀身はなんというか……錆びていた。


「ま、このぐらいの変更は許してくれるでしょ」


 ツァンの指先が刀身に触れると、盛大に刃こぼれし、赤茶けた鉄クズ同然だった短刀が光を放った。


「なんだなんだ!?」

「もー! さっきから何してんのよ!?」


 ユーキとミサが突然の発光に驚き、またしてもリュカゥの背中越しに顔を出した。


「はい、どうぞ?」

「どうぞって……」


 まばゆい光を放ち続ける刀身を鞘に納めると、ニコリと笑ってそれを差し出してきた。ご丁寧に柄まで変化している。先ほどの簡素な造りではなく、七色に光る宝石が散りばめられたそれは、伝説の七星宝剣を彷彿させた。

 すっかり豪奢になった柄を握って見上げると、ツァンは得意満面の笑みを浮かべていた。

 どうにも怪しい。

 刀身がどうなったのか多少興味はあるが、これを抜いたとたん俺だけログアウトとかいう罠を仕掛けているかもしれない。

 だが、それこそツァンに何のメリットがある? 結局、こいつの行動はほとんどが意味不明だ。


「……そんなに怪しまなくても、危険はないわよ」


 柄を握ったまま考え込んでいる俺に、ツァンがやや憮然とした声で身の潔白を訴えた。


「なあ、ツァン。お前が何をしたいのかわからないんだ」

「公英がNPCに預けたままログアウトしたことで、この剣はドロップアイテムになったのよ。あの子の管理を離れたオブジェクトなら、自由にいじくれるってわけ」

「……いや、そういうことじゃなくてだな」

「もう! あなた、いつからそんなに細かいことを気にするようになったの? 邪神を倒して世界を救うんでしょ? 早く行きなさい!」


 ツァンが両手を腰に当てて怒り出した。というか、焦っているように見える。俺がどうしたのかと問いかける前に、開いたままだったチャット画面にメッセージが表示された。視界の端に最小化しているため詳細は見えない。だが、今は目の前のツァンだ、と思って彼女に視線を戻すと、腰に当てていた手を片方上げて、右目の下を指差していた。「見ろ」ということか。

 俺は視界の隅に追いやられていたウィンドウを拡大し、メッセージを開封した。


【Unknown:ブルーバード、いえ羽鳥正孝。あなたにはもう、時間がないの】


 背筋を嫌なものが伝った。







 真医会病院の集中治療室には、現在四人のVRT患者がおり、さらに鎮静下にて観察中の現王園を加えて五床、すなわちベッドの三分の一をVR対策に提供している状態だった。

 羽鳥正孝は衰弱が激しく、彼の身体に繋がれた計器類が、心拍数の減少や血圧の低下を知らせるアラーム音がひっきりなしに鳴り響いていた。家族――といっても半年以上面会に訪れることもない母親は、病院側が説明するDNR(Do Not Resuscitation――蘇生の希望なし)を受け入れており、現状を伝えて二時間が経過した今となっても病室に現れることはなかった。

 橋本公英は、VR世界との接続を自ら切ったことで意識を取り戻しはした。しかしそれは未だ混濁した状態であり、うわ言のように友人の名前を繰り返していた。さらに、持病の悪化のために厳重な観察が必要だった。特に心臓の状態が悪く、うっ血性心不全の一歩手前であった。傍らには先ほどまで父親が付いていたが、母が到着したために仕事へ戻って行った。

 桜木勇気と遠峯美佐は、身体上は大きな問題はない。四か月近く寝たきりであるため、多少の筋肉の委縮や骨密度の低下が見られるものの、意識さえ回復すれば元の生活に戻るのに時間はかからないだろう。


「はぁ~、よく、寝た!!」


 それらに加えてさらにもう一床、警官四人によって厳重に監視されているベッドがある。


「……あれぇ?」


 その上で目覚めた女は、大きく伸びをしようとして手足が動かせず、周囲を見渡そうとして首が回せないことに気づき、間の抜けた声を発した。


「マル被! 目を覚ました!!」

「わひぃっ!?」

「対策室へ連絡! 浅野先生を呼んでこい! 容体を確認次第、可能であれば事情聴取!」

「はっ!」


 女の頭越しに、警官たちがあわただしく動く。


「なになに? いったいどうなって……ああ、浅野先生!」

「……一条」


 頭をバンドと砂嚢のような枕で固定されているため、不安げに視線を彷徨わせていた女は、視界に見知った顔を認めて安堵したようにほっと息を吐き出した。しかし、彼女の呼びかけに応えた男性医師の表情は曇っていた。彼と一緒に女のベッドに近づいてきた男がもう一人いるのだが、その顔は女の視界の外にあった。


「浅野先生? あの、私、何が何だか」

「すまない。俺にはどうにもできないんだ……だけど、今更しらばっくれるよりは、自白した方が楽だぞ」

「は? いやもう全然、話が見えないんですけど?」


 女の身体所見を取り、何やらカルテに書き込んだ男性医師は、斜め後ろでその動向を監視するように鋭い視線を送っていた男――上下グレーのスーツを着込み、脂ぎった髪を乱暴に撫でつけた男に顔を向けて頷くと、一歩下がった。

 

「ああ、ちょっと浅野先生……あれ、大泉さん?」

「よお、一条杏南……覚悟はいいか?」


 男性医師と立ち位置を入れ替えて女の視界に現れた男は、口元を震わせていた。




次話 「最終話 勇者アルス 後編」にて完結予定! です!

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