第二十二話 GAME OVER
【Guest:どうした羽鳥君。博士はまだ戻ってきていないというのに】
チャットルームに羽鳥が入室した途端、大泉は用意しておいたメッセージを送信した。スーパーコンピューターKの中で繰り広げられていた勇者と英雄たちのしょうもないやり取りを監視していたVR対策室の面々は、すぐに羽鳥が連絡してくるだろうと予測していたのだ。大泉が作成した嫌味たっぷりのメッセージは、先ほどこちらの発言を無視して出て行ったことに対する軽い意趣返しのつもりだった。
【アルス:至急確認したいことがある】
羽鳥から送信されたメッセージは、大泉の期待に反して淡泊なものだった。しかし、その内容から、何か切迫した雰囲気を感じ取った大泉は口角を吊り上げた。
【アルス:一条って女医は、現実に帰ったのか?】
こいつは、阿呆か。
大泉は呆れた。
【Guest:わからない。僕はVRゲームなんぞの専門家じゃないからね。一条先生は、まだ目覚めていないとしか答えられない】
彼女がゲーム内に意識を置いているかどうか。大泉がこれを判断できないというのは事実だった。だが、仮に彼女がどのような状態であったとしても、大泉は正確な情報を羽鳥に与えるつもりはなかった。
一条杏南、ハッカーネーム蒼――すなわち重犯罪者――に関する情報を、同じハッカーであるお前に教えると思うのか。
大泉は、画面上で難しい顔をしている青年に向かって思い切り舌を出した。
【アルス:ツァンと連絡を取りたい。ユーキとミサを帰すために必要なんだ】
【Guest:さっきもそんなことを言っていたね。僕でよかったら喜んでお手伝いするよ】
【アルス:専門家じゃないんだろ? 医者でもないだろうし、現王園先生はどうした? あの人に、一条がどんな様子か訊いてくれないか】
発言を逆手に取られた大泉は、やれやれ、嫌われてしまったなと言って嘆息した。
「……室長、自業自得ですよ」
「ははは。わかっているさ」
だらしのない恰好で椅子に座って成り行きを見ていた部下――先ほど橋本博士とともに羽鳥のメッセージを確認した男だった――に揶揄され、大泉はニヤリと笑った。
今回羽鳥はすぐに出て行こうとしない。余裕がなくなってきている証拠だ。
「さて、勇者君は邪神とやらを倒して二人の人質を救うつもりのようだが……どうしたものか」
「別にいいんじゃないですか? やってもらえば。あっちで何が起きても、我々には“切り札”がありますし」
「まあ、そうだな……」
大泉はNOAⅡを使ってのハッカー狩りが、未曾有数の人質をかけたテロ事件に発展してしまったことに対して、いくつかの解決案を政府に提示した。彼の言う“切り札”は、そのプランの中で犠牲になる人の数が少なく、もっとも政府の損失が大きいものだ。しかし、予定外に橋本博士の息子がログアウトしたことで、犠牲者の数は三から二に減少した。
「ツァンの動きはどうだ?」
大泉に問いかけられて、若い職員は頭の後ろで組んでいた手を広げて伸びをしながら答えた。
「うーん。中でなにをやっているのかはまったくわかりません。特別CPUの使用量が上昇する訳でもありませんし……あ、ちなみにIDが表示されないのは、ログアウトしたわけじゃなくて、ただ“非表示”にしているだけだと思いますけどね」
「へえ。君、そういうのに詳しいの?」
「学生時代にVRMMOにハマらなかった奴なんて、室長くらいのもんですよ。今の彼女もゲーム内で出会ったんですから」
「へえ」
大泉は、口元が歪みそうになるのを意識的に抑え込んで応じた。
こいつらのような輩が、将来VRTとなって指導者の生活を支えるのだ。
彼はそう強く念じて、笑顔を取り戻すことに成功した。
「まあ、とにかく勇者君にはもう少し迷走を続けてもら……おや」
大泉がモニターに視線を戻すと、そこには見慣れない文字列が加わっていた。
【『Unknown』が入室しました】
「……誰だ」
口から洩れた言葉は問いであったが、語尾に疑問符はついていなかった。部下の言う「非表示」説が正しいなら、今NOAⅡのチャットルームに入室できるUnknownは一人しかいない。
【Unknown:室長さん、あたしの幸福の青い鳥を、あまり苛めないでいただけるかしら?】
「追跡しろ!」
にわかにモニターベースに緊張が走った。
大泉以下VR対策室は、ツァンはなんらかのアクションを起こすのに、必ずスーパーコンピューターKのCPUを利用する。したがってチャットルームでメッセージのやり取りをしている間に、どのタワーをメインに使用しているかを特定できれば、それらをネットワークから分離してしまえば、彼女の人質のほとんどを無血解放できると考えていた。
しかし、世界最高性能を誇るスーパーコンピューターKにおいて、NOAⅡの世界を維持するのに使用しているCPUは一パーセントにも満たない。テキストメッセージをやり取りするだけのチャットを使用している間に、その発信元を突き止めるのは至難の業だ。
大泉たちは、タワーの特定が困難であり、千人の人質の命が危機的状況にあると判断した場合、スーパーコンピューターKを破壊することに決めていた。千人の命は助かるが、VR世界と強制的に接続を断たれた一条と羽鳥、それに二人の高校生の安全は保障できない。さらにスパコンを失い損失額は数千億円。これが、“切り札”かつ“最終手段”だった。
【アルス:ツァンか】
【Unknown:あたしは誰でしょう? みたいな展開を期待していたのだけれど】
【アルス:俺たちの状況はわかっているだろう? 千人も人質を取ってるんだ。この二人を解放してやってくれ】
馬鹿野郎、勇者。もっと会話を引き延ばせ。
大泉はここぞとばかりに入れたくなる横やりの矛を収め、画面と部下を交互に見た。部下は橋本博士に迫る速度でキーボードを叩き、画面に現れては消えるウィンドウを監視している。画面の左下のカウンターは、チェックが済んだタワーの数を表しており、その数字はまだ「0012」だった。スーパーコンピューターKを構成するタワーは二百台以上ある。要するに、まだ特定できていないのだ。
【Unknown:うーん。それは、室長さん次第で考えてあげてもいいわ】
【アルス:どういうことだ】
【Unknown:室長さん? まだそこに居るんでしょ? あたし、あなたに要求があるわ】
「どうだ?」
「まだです!」
カウンターの数字は「0019」、会話を引き延ばす価値は十分ある。
【Guest:初めまして、ということはないか。ツァン。こちらはVR対策室室長の大泉俊だ】
【Unknown:ご丁寧にどうも。でも時間稼ぎなんてさせないわよ? あたしの要求は簡単。NOAⅡを使って嘘の情報を流してハッカー狩りをしようとしたことを公表すること、それから、VR技術利用に関するレポートもね】
【Guest:そんなことをして、お前になんのメリットがある?】
大泉は本気で首を傾げた。レポートに書かれた内容自体は、VR技術の進歩を長期的な視野で予測し、様々な可能性について言及しただけのものだ。そんなものを公表しても、一昔前のSF映画や小説以上のインパクトは与えられまい。NOAⅡを使って壮大な「釣り」を仕掛けたことにしても、どのみち事件が片付いたらVRT対策が不十分だったなどと理由を付けて開発中止を発表する手はずだった。フィッシングサイトだらけの世の中でそれほど世間の注目を集める話とも思えない。
もちろん、政府主導で嘘の情報をネットに流布したことが発覚するという汚点は発生する。だがそれは卑劣な犯罪者を捕まえるためのやむを得ない手段だったのであって、悪意ある行為ではない。損害を被るとすれば、カムコン辺りだろう。NOAⅡの開発に対しては、まだ政府から助成金が降りていない。事を公表したのち政府から金が企業に流れれば、清廉潔白を気取る輩からの誹謗中傷の的にはなるかもしれないが、そのくらいで経営が傾くような会社ではない。
【Unknown:あたしにとってどんなメリットがあるかなんて、あなたには関係のないことよ。やるなら人質は解放してあげる。それに、ブルーバードとあたしのログアウトのオマケもつけるわよ?】
【Guest:さっぱりわからない。お前の目的はなんだ?】
【Unknown:教えなぁい】
「…………なんなんだ」
大泉は言い知れぬ不安を感じていた。
情報を公開することで、いったい誰が得をして誰が損をする? 相手はこれまで正体を隠し、数々の罪を犯しながらも逃げおおせてきた伝説級のハッカーだ。それが生身の身体を晒し、千人の人質を取るという暴挙に出てまで要求してきたことだ。
何か見落としていることがある。簡単に要求に応じる訳にはいかない。カウンターの数字は「0036」。とにかく会話を引き延ばせ。
【Guest:とにかく、こちらの一存では決められない。万一要求通りにするとしても、文書の作成や発表日時の調整に時間がかかる】
【Unknown:そう言うと思って、原稿の草案は準備しておいてあげたわ。発表は今から三分後にお願いね】
ツァンのメッセージが表示されると同時に、博士が持ち込んだノート型PCが電子音を発した。
【Unknown:今メールしてあげたわ。急ぐのね】
【Guest:待て、まだ内容を読んでもいない】
【Unknown:構わないわよ。そのまま政府のホームページにアップすればいいだけ。それが済んだら、すぐ記者会見を開きなさい。そして、国民に発表するの。ちなみにあと二分】
「くそ! そんなことして何になるというんだ!? おい! まだ特定できないのか!?」
「やってます! やってますよ!」
カウンターの数字は「0059」。
なんという鈍間さだ!
【Guest:無理だ。こちらの一存では決められない!】
【Unknown:あと一分。ちなみにあたしが病院をどうにでもできるって証拠を見せてあげる】
「室長!」
「なんだ!?」
ツァンを追跡しているものとは別のモニターを見ていた職員が悲鳴に近い声を上げた。彼の目の前のモニターには何も映されていない。
「病院からのカメラ映像が途絶えました……恐らく」
言われなくても分かっている。奴がカメラの電源を切るか何かしたのだろう。高校生と羽鳥、現王園と一条を移していた画面は時折ノイズが走るだけの暗い鏡と化していた。
【Unknown:あと三十秒】
【Guest:待て! 時間をくれ!】
【アルス:ツァン! 待て!】
いいぞ勇者! 犯罪者に頼るなんて俺は馬鹿か! 畜生、なんでもいいから奴を止める方法は――
「室長?」
ポケットから医療用PHSを取り出した上司を認め、部下が目を見開いた。電話なぞしている場合かとその目が語っていたが、大泉は無視して素早くダイヤルボタンをプッシュした。
【Unknown:二十秒】
「浅野! やれ!!」
呼び出し音が止んだ瞬間、大泉は叫んだ。
[え? 大泉さん、まさか――]
【Unknown:十秒】
「一条の脳コンを外せ!! やらなきゃ患者千人が死ぬぞ!!」
[いや、でも、一条先生が]
「馬鹿野郎! 今更善人ぶるな!!」
[…………]
【Unknown:五秒】
「やれ!!!! やるんだ!!!!」
大泉の絶叫が、巨大なホールにこだました。
【Unknown:五秒】
絶叫するために大口を開けたままの大泉は画面に向き直った。十秒ほど瞬きもせず凝視したが、チャットの画面表示は動いていなかった。
「……よし」
一条杏南の脳コンを外す。すなわち強制ログアウトさせることは成功した。羽鳥のように今後目覚めることはないかもしれないが、スパコンにアクセスすることができなければ、人質に害が及ぶこともない。
【アルス:どうなってる? ツァン?】
大泉が大きく息をついたとき、画面に新しいメッセ―ジが現れた。一瞬どきりとした大泉だったが、それが羽鳥からだとわかると鼻で笑った。
【Guest:一条先生の脳コンを外したんだよ】
大泉は、わざとゆっくりメッセージを作成した。
【アルス:ツァンの脳コンを?】
だからそうだと言っているだろう。頭の悪い奴だ。
【Guest:彼女の身体や脳にどんな影響が出ているかは今後調べていくが、ひとまず人質を殺される脅威は去った。あとは】
お前の処遇を決めるだけだ。そうタイプし、エンターキーを叩こうとした瞬間、大泉は凍り付いた。
【アルス:ならどうして、Unknownは退室していないんだ?】
「……あ」
大泉が口をポカンと開けた。まるでその瞬間を待っていたかのように、画面には新しいメッセージが表示された。
【Unknown:GAME OVER】
大泉が何かを叫んだ。直後にホールの照明が全て消えたため、その表情を確認できたものはいなかった。




