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第十二話 現実と仮想現実

 白衣の男と黒衣の女が、笑い転げる俺を見下ろしていた。

 砂漠のオアシスの一つに造られた街は、静寂に包まれていた。俺とリュカゥの様子を探るように上空を旋回していた砂漠鳥たちの声も聞こえなくなった。

 昇りかけの朝日は東にそびえる巨大な砂丘からほんの少しだけ顔を出したところで止まっている。それが作り出す朝焼けを見ても眩しさを感じることはなく、木々や井戸に向かう女たちが道に落とす影さえも動いていない。

 髪を撫でていた風も止まっていた。本当に空気の流れが止まったのだとすれば、周囲の酸素を使い果たして酸欠になるところだが、仮想現実の世界ではそんなことが起こるはずもない。


「……あーあっと。久しぶりだぜ、こんなに笑ったのは」


 そう。

 ここは仮想現実――ゲームの世界だ。

 ゲームの名はナイツ オブ アゼリア。略してNOA――ノアと称するのが一般的だった。

 かつて超体感型VRMMORPGとして売り出され、その圧倒的リアリティーで一世を風靡した。しかしVRT患者を量産したとして――たしか死人が出たんだったか。とにかくそのおかげで発売中止、サーバーもダウンさせられ製作会社は倒産するという事態となり、当時のプレイヤーたちは無念の思いを噛みしめていた。メインシナリオクリア後のシナリオは、NOAの世界中に存在する神々と契約し己を高めて裏世界を制圧するというありがちなものから、魔王復活を目論む邪教を立ち上げて悪役になるという奇想天外なものまで多数用意されていたのだ。世界中の誰もが、魔王すら倒せていないうちにサービスが終了してしまったことで、制作会社が支払った補償金はリゾート島を二つ三つ購入できる額だったと聞いている。

 誰もがNOAは終わったと諦めかけたとき、NOAにハマったプログラマーやハッカーたちが、歴史的に見ても異例の団結を見せた。禁断症状が出なかっただけで、彼らも立派なVR中毒症にかかっていたのだ。

 そして、制作会社倒産のニュースが駆け巡る前に――そんな情報を簡単に入手できただろう誰かが、NOAの基本プログラムをネットに流した。世界中のプレイヤーがそれをダウンロードし、俺たちの脳内にはふたたびアゼリアの世界が構築された。だが製作会社のメインサーバーが無ければ、双方向通信が不可欠であるMMO要素は機能しない。そこで、俺たち(・ ・ ・)は海外のスパコンをハッキングした。五か国のスパコンに少しずつ間借りする形で、表向きはクリーンアッププログラムに見せかけたNOAのサーバーを構築した。その際俺は、ほんの少しだけゲームプログラムに手を加えた。それによって俺はリュカゥとシュエリスの力、すなわちメインサーバー内で時間と空間をコントロールし、本来NOAの世界に概念としてしか存在しなかった隕石を落とすという反則的な能力を手にしたのだ。すでにVRT患者として投薬治療とカウンセリングに通う以外はパソコンに向かう日々を送っていた俺は、ゲーム機を探し出してすぐさまログインした――


「はず、だったんだがなあ……」

「急に静かになったと思ったら、今度はやたらと独り言を言うようになりましたね」

 俺の呟きに、黒衣の女が眉をしかめ、

「よく、わからんが……少し様子を見よう」

 白衣の男は両肩を竦めた。

「…………」

 

 白衣と黒衣の男女がいぶかしげな視線を送ってくるのもかまわず、俺はさらに考察を進めた。

 ログインしたのち、ゲームがほぼ正常に稼働することを確認した俺は、女神の力を存分に利用して魔王を討伐した――というところまでが、俺の中にある羽鳥としての最後の記憶だ。高々と剣を掲げて、ファンファーレが鳴って――


「強制ログアウトか……?」

 

 厳かな音楽と共に、スタッフロールが流れる空が突然暗転した。以前母親にやられた時もそうだったが、通常は自室で意識を取り戻し、壮絶な母と子の喧嘩が始まる。しかし、俺の意識は勇者アルスとして故郷、正確には「始まりの村」で目覚めたのだ。それまで現実世界の羽鳥正孝として生きていたことはすっかり忘れていた。そして、今日こいつらが現れて名前を呼ぶまでずっとアルスとしてNOAの世界で活動していたのだ。


「いったいどうなってる……?」


 英雄ども――もはや異世界からやって来たとは言うまい。現実世界に肉体を持つあの三人がこの世界にアクセスしてきたときから、何度このセリフを吐いたことだろう。考えられる可能性はいくつもあるが、その辺りは訳知り顔で俺の名を呼んだ男に訊いてみる方が早そうだ。


「さて」


 俺は立ち上がり、しげしげと自分の手足を眺めた。今の俺は自身の脳内に構築されたイメージでしかない。突然現れたこいつらも。俺はプレイヤー視点の主観と俯瞰を切り替えながら、目の前に立つ二人を観察した。

 まずは白衣の男――あれは薄手のコートなんかじゃない。読んで字のごとく白衣だ。現実世界でこれを着るのは医者か科学者と相場が決まっている。白衣の下は白いワイシャツに黒いスラックス。そこの下から突き出た革靴は黒光りしていた。プレイヤーキャラは頭の左斜め上に名前が表示されるが、それによれば……


「げん……おう?」


 読めなかった。漢字五文字が虚空に表示されてはいるが、あれはどこまでが苗字でどこからが名前だ? フルネームが表示されているとも限らない。あくまでプレイヤーが設定したハンドルネームが表示されるはずだ。王なんて入っているし、なにか意味がある漢文的なものかもしれない。「疾如風」とかいうハンドルネームの奴を見たことがある。名前だとしても、これまで出会ったことがない苗字だ。さらには日本語で語りかけてきたからといって、日本人とも限らない。何しろプレイヤー同士がチャットやメール以外で直接話す場合は、あらかじめ設定した母国語に自動変換されるシステムなのだから。

 まあ名前なんざ、どうだっていい。観察を続けようとして俯瞰カメラの視点を回転させると、飢えたキツネを連想させる切れ長の目が俺の顔を凝視していた。

 油断ならない男だ。

 俺はその眼光の鋭さから長身の男をかなりの強者と判断した。NOAの世界では、プレイヤーキャラの表情がとても豊かだ。これは、感情がそのまま反映されるもので心拍数や血圧、発汗の具合から判断するのだが、その再現性は驚くほど高い。ログインする人間が多くなればなるほどサーバーの負荷が大きくなるのは必至だ。それ故に、複数のスパコンに分散させたのは正解だった。負荷軽減はもちろんのこと、一つ一つのCPU利用量が格段に低下するため、発見されにくくなる。


「なんか、目の動きが怪しいですね……神経症状でしょうか」

「心電図や血圧、脳波に異常が出た場合はすぐにチャットが入る。問題なかろう」


 長大なワンドを、身体の正面で抱くようにした女が不安げに言うと、白衣の男は軽く肩を竦めて応じた。女の方は「でもですねえ」と口を尖らせて何か言おうとしたが、立ち上がった俺と視線が合うとびくりと反応し、半歩下がって口を閉ざした。さらに、男の後ろに隠れるように移動した。

 白衣――現実感たっぷりな出で立ちの男と違い、女の方はロールプレイングゲームの世界に相応しい恰好をしていた。引きずるほど長い漆黒のローブに、同色のとんがり帽子。いかにも魔法使いらしい恰好と言える。節くれだった木で造られたワンドもいいアクセントだ。覇気が感じられない顔の近くには「一条杏南」と記されたネームプレートが浮かんでいた。だがリュカゥの動きを止めたのは、この女が何かを「アップロード」したせいだ。NOAは更新プログラムをログインすると自動的に配布する。それを実行する際、プレイヤーたちは「アップロード」と唱えるのだ。サーバーに情報が送信され、新しい環境が構築されるまで、世界の時間はストップする。

 俺は通信欄の閲覧を試みた。すぐさまかつての視界の半分に画面が展開され、お知らせの一覧が表示された。しかし、そこには新着情報はなかった。


「で、お前らは誰だ?」


 俺は空中に静止したままのリュカゥを横目で見ながら訊ねた。


「……考察は済んだのか」


 俺が考え込んでいたことを見抜いていたのか……いや、あれだけブツブツつぶやきながら首を捻ったり唸ったりしていれば、誰でも想像がつくことか。


「まったくもって、まだだ。だが、考えたところでわかりそうもないんでね」

「医者だよ。私は現王園、彼女は一条だ」

「へえ」

 

 げんおうぞのと読むのか。職業はお前の格好を見ればわかる。しかし、後ろに隠れている女もそうだとは。だがそれよりも――


「――医者がNOAの世界に何の用だ?」

「君を救いに来た。端的に言えば」


 現王園が両手を胸の前で組んで答えたことで、少なからず威圧感が増した。しかも、腕を組んで話すときは相手の言うことを信用する気がないという内心の表れだ。いつもこのスタイルで診察するのであれば、きっと患者は怖がり、信頼関係を築けていないに違いない。


「救い?」

「羽鳥正孝、君はVRTが重症化して一年以上目覚めていない。肉体は病院のベッドに横たわったままだ」

「へえ」


 病院で寝たきりか。そんなことだろうと思ったよ。


「『へえ』って……まるで他人事みたいに言いますね」


 一条とかいう女――女医が、俺の発言に眉をしかめた。アルスの記憶とごっちゃになってはいるものの、俺は確かに生きて、自分の足で立っている。少なくとも俺の脳内では、そういうことになっているのだ。


「ああ、そうだお前、いったい何を『アップロード』した?」

「お前ってそれ、私のことですか? 私、君より年上なんですけど!」

「実年齢はどうあれ今の俺の感覚ではお前は年下の、弱そうな魔法使いだ。キィキィ喚く前に質問に答えろ」

「……うっ、なに? この感じ」


 ほんの少しだけ、殺気を込めてやった。一条はプレッシャーを感じたらしく、腹の辺りを抑えて一歩後退した。さらに背筋に寒いものでも感じたのか、両肘を抱えるようにして震えだし、顔色がみるみる青ざめていく。現実の世界で俺が誰かに凄んだところでこうはならない。NOAのサーバーは順調に稼働しているようだ。


「彼女は、ゲームの時間を止めるためのプログラムを実行したんだ」


 ついに震えだした仲間を庇うように立ち、難しい名前の奴が代わりに答えた。


「へえ、リュカゥに関するテキストを変更するとはな。誰が手伝った?」


 俺以外で、勝手に時の女神を停止することができる奴などそうはいない。俺の記憶に、名うてのハッカーやプログラマーたちのハンドルネームがいくつか浮かんだ。しかし彼らがNOAにかける情熱を俺はよく知っている。そう簡単に協力するとは思えなかった。


「橋本博士という人物だ。VR脳波コントローラーを開発して、VR中毒症患者の治療に協力してくれている」

「脳コンだと!?」

「知っているのか」


 それは、俺がまだVRTの治療を受け始める前のことだ。医療技術を応用して開発中だという未来型VRコントローラーに関する研究が行われているという記事を目にした覚えがある。まさか実用化される日が来るとは思っていなかったが。


「なるほど。プロ中のプロを連れてきたってわけか……それで? どうやって俺を助ける?」

「その前に、君の現状について情報を共有したいのだが」

「俺の現状?」

「ああ。さっきも言ったように君はベッドに寝た切りの状態だ……一年以上目覚めていない。だが君が病院に運ばれてきたとき、お母さんの手によってVRゲーム機――ブラックボックスは停止され、接続を切られていた」


 やっぱりお袋か。プレイ中に強制的に接続を切ってはいけないと説明書に書いてあるだろうに。まあ、子を想う母の気持ちってやつか。

 三十路の感覚がそうさせるのか、そんな風に納得した。俺は黙って頷きを返して話の続きを促した。


「君は昏睡状態で運ばれてきた。我々は強制ログアウトによって、脳に何がしかの障害が起きたものと推測した。もちろん、その他の疾病や脳の損傷の可能性も含めてありとあらゆる検査を行い、意識を回復させるためにあらゆる手段を講じた。……しかし、君を回復させることはできなかった」


 彼は拳をきつく握りしめ、苦々しい表情で言葉を続けた。どうやらこの医者は、俺の治療に携わっていたようだ。患者の前で、自分たちがやってきたことは何の効果もありませんでしたと告白するのはいい気分じゃないのだろう。考えてみれば、今も治療中なのか。医者が自らVRの世界に入ることが?


「これは彼女――一条が発見したことだが、あるときから君の脳波が異常を示し始めた。それを解析した結果、君は殺人を犯している可能性が示された」

「なにを馬鹿な……」


 さっき、俺の身体は一年以上寝たきりだと言ったばかりじゃないか。まさか、意識を失ったまま歩いて人を殺したとでも言うつもりか。だが、思い当たる節が無いわけじゃない。俺は確かに人を殺した。何度も。


「まさか……あのガキどもか?」

「君が言っているのが、高校生くらいの少年二人と少女の三人組のことなら恐らくそうだ」

「ははは。だがそれはVRの世界での話だ。現実とは……いや、ちょっと待ってくれ」

 

 おかしい。

 医者は、俺の身体がVRの世界から切り離されて、昏睡状態にあると言っていた。ということは、そもそも俺の意識がNOAの世界で活動することはあり得ない。


「どうして……」


 俺はどうやってNOAの世界にログインした? ブラックボックスでゲームを始めるには、専用の電極が付いたパッドを額に貼って本体と接続しなければならない。さらに、PCとブラックボックスを繋いで起動し、ログイン画面でIDとパスワードを入力しなければならないのだ。そうして初めて、仮想現実世界の扉は開かれる。


「気がついたようだな。そう、君は病院のベッドから一歩も動いておらず、ブラックボックスに接続すらしていない。それにも関わらず、こうして仮想現実世界に君は存在する。いかにしてこのような事態に陥ったのか、博士はある仮説を立てた」


 医者の目つきがいっそう鋭くなった。眼光だけなら魔王より鋭いな、などと思った。


「それは――」


 医者の口から語られた話は、想像の域を超えた内容だった。


……ジャンルがファンタジーじゃなくなってきた……どうしようorz

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