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舞台裏 仮想世界へのアクセス

 真医会病院本館裏の敷地に建つ巨大な多目的ドームを建設させたのは、現王園暮治の曽祖父にして、医療法人社団真医会の創設者である現王園義春だ。

 法人の設立から百周年を記念して建造されたドームでは、これまで様々な催事が行われてきた。国際学会が開催されたことも一度や二度の話ではない。

 しかし、現在のドームの入り口は関係者――真医会の中でもごく一部の要職あるいは専門職に就く者――以外は立ち入り禁止となっており、周囲は四方に屹立する監視塔とそれらを繋ぐ高さ二十メートルのコンクリート塀に囲まれている。


「はわ~。先生、あれって一個一個が‘スパコン’ですか? いったいいくつあるんだろ……」


 巨大な監獄さながらといった様相に変わり果てた記念ドームの内部に足を踏み入れた一条は、ひな壇状に組まれた足場から眼下の光景を見下ろして感嘆の声を上げた。


「‘タワー’の数は千二百だ。ドームに設置されている全てで一つのスーパーコンピューターを形成している」

「千二百ですか……」


 ホールには一条の横に並んだ現王園の声と同じくらい無機質な直方体が並んでおり、彼が‘タワー’と称したのはCPUと水冷器、インターネットコネクトコントローラなどを搭載したラックのことだ。


「ようこそ、先生方」


 縦横八十センチ×八十センチ、高さ二メートルの黒光りする直方体の林の中から姿を現して現王園と一条に声をかけたのは、小柄な中年の男性だった。


「……どうも」

「橋本博士! こんにちは!」


 階段を小走りに降りて元気よく頭を下げた一条を見て、橋本博士は一瞬目を細めた。しかし後から現王園が光触媒加工を施された床に降り立つと、彼はすぐに表情を曇らせ、白髪が目立つ蓬髪をばりばりと掻きながら現王園を見上げた。


「先生。この度は、愚息がとんだご迷惑を……」

「……今は、事態の解決に全力を注ぐことが重要です」

「おっしゃる通りですな……では、さっそくモニターベースへ」


 橋本博士は踵を返すと二人について来るように促し、冷却器とファンが回転する音が満ちる黒い林を縫うようにして歩き出した。博士の先導が無ければ、東京ドーム三つ分ほどの敷地の中で、迷子になってしまう可能性は十分にあった。


「博士」

「はいはい」


 三人は一列に並んで歩いていたが、一分ほどの沈黙を破ったのは現王園だった。手を後ろで組んで歩いて行く橋本博士の背中に、現王園が問いかけた。


「お客はもう?」

「まだお見えじゃありませんが、もうすぐでしょうな」

「先生、お客さんって……他にも誰か来るんですか?」

「……政府のお偉いさんが一人、見学に来ることになっている」


 現王園を振り返った博士の答えにいささかほっとしたような表情を浮かべた先輩医師に一条が訊ねると、現王園は振り返りもせずに答えた。


「あ、もしかして、VR対策室ですか!?」

「ご名答。しかも、室長ご自身がお見えになりますよ」


 訊ねられたのは現王園だが、頭一つ飛ばして橋本博士が答えた。それを聞いた一条は「わあっ」と言って顔をほころばせた。


「すごい! VR対策室室長って、大泉さんですよね!? 凄いですね、先生! ナマ駿ですよ!?」

「一条先生は、大泉駿のファンですかな?」

「ファンってわけでもありませんけど。私、ナマで有名人に会ったことなくて!」


 初めて遭遇する有名人が総理大臣の隠し子なんて、ちょっと自慢できる話ですよね。そう言って興奮した様子の一条を尻目に、現王園は気付かれないようため息をついた。


 急増する仮想現実中毒症に対して、病院ごとの対応では限界があることは以前から指摘されていた。医師会からの強力な要請で、VR対策室が厚労省内に緊急で設置されたのは今から三年前の話だ。

 VR対策室は、仮想現実の世界にどっぷりはまってしまった患者たちを救い、再発の防止とVR技術の安全な運用法を確立することを目標に掲げ、真医会からも何名かスタッフを派遣し、共同で研究を行ってきた。

 仮想現実技術の安全利用法の確立。

 これは、全国の医療従事者が切望しているものだ。

 仮想現実中毒症は、なにもゲームのプレイヤーだけに生じるものではない。

例えば事故で左足を失った患者がいた。

 彼は大転子から下を切断しており、事故後は専用の義足を装着して歩行訓練を行っていたが、脳内の運動イメージと義足の運動性能のかい離が大きく、スムーズな歩行を獲得できないでいた。また激しい幻肢痛(ゴーストペイン)に悩まされ、徐々に鬱傾向となりリハビリにも通わなくなった。

 効果もないのに増量されていく鎮痛剤と向精神薬の影響も伴い、三十五歳の若さだった男性患者は社会的な弱者として労働人口には数えられなくなった。

 彼はその後五年間にわたって心療内科の隔離病棟に入院を余儀なくされていたが、その間もずっと幻肢痛に悩まされ続けた。


 患者を救ったのは、VR技術だった。


 ある研究者は、失われた脚部の立体イメージと反対側の足の運動パターンを解析して、精巧なVRモデルを構築した。患者の歩こうという意思が働くと、当然脳は電気信号を発する。失われた脚部を動かそうとする際、あるいは幻肢痛を感じる際もそれは発生する。その電気信号を解析し、電子データ化してCPUを搭載した機械式の義足へ伝達することを可能としたのだ。

 もちろん、本来の足ほど、人工筋肉の動きは速くない。患者の逸る感情を抑え、ゆっくりと安定した歩行を獲得させるために、そのイメージを患者にバーチャルで理解させた。技術の試験運用からわずか半年で、患者は歩行を獲得し、幻肢痛も消失した。

 現代では人工筋肉の性能も格段にアップしているため、四肢の欠損後も日常生活を送る分には全く支障がない。

 パラリンピックにおける短距離走や水泳の世界記録も順調に記録を更新している。

 VR医療技術は進歩を続け、視覚器の障害にまで治療の幅は広がっている。

 さらに近年の研究では、人の攻撃性や恐怖心、衝動的な行動を抑えるなどの成果も報告されている。

 様々な疾病の治療に応用され始めたVR技術だが、もともとはエンターテイメントの分野で発展しつつあったものだ。医療用技術に応用されてさらに進化を遂げたことで、それまで映像として仮想現実空間を演出するだけだったものが、直接脳へと信号を送り、仮想現実世界を体感できる商品が相次いで開発された。

 人類は自宅に居ながらテーマパークへ出かけ、同居人は同じ部屋に寝転んだまま秘境の絶景を堪能できるようになり、それらを共有することが可能となった。

教育の分野――特に通信教育の在り方もがらりと様相を変えた。それは画面越しの対話どころか、講師が待つ教室へ出かけること自体がナンセンスとする風潮になっていった。

 そんな社会の中で、爆発的に市場を拡大したのはVRゲーム業界だった。

 中でも飛躍的に進化を遂げて人気を博したのは理想の容姿に変身して幻想世界を冒険するロールプレイングのジャンルであり、ナイツ オブ アゼリア――NOAは製作会社を一気に世界トップクラスの大企業へ押し上げた。

 だが、この時点から仮想現実中毒症の患者は急増していく。それまでも、作り物の世界に逃避し、現実を拒んで治療が必要となる患者はいくらでもいた。だが、ゲームが原因でVRT患者となった場合症状は深刻なものが多く、治療に時間がかかるケースが増加していったのだ。

 新たに三人の患者を受け入れたICUに入院中の患者も、かつてNOAの世界から帰って来られなくなったものの一人だ。彼らは意識を失っている以上、セラピーも薬物治療も施すことができない。羽鳥に至っては自発呼吸すら消失している。

 医師は、養分を含んだ水分を吸収し、排泄し、人呼吸器の力を借りてどうにか生命を維持している患者を、まさしく診ていることしかできなかった。

 羽鳥の様な患者が全世界で増加していく中で、橋本博士が開発したのが「脳コン」だった。

 従来のVRゲーム機は、仮想現実世界を脳内に創り出す装置と、プレイヤーキャラを操作するコントローラーが別に存在していた。これは技術的な限界でもあったのだが、今にして考えれば、ゲームのプレイヤーたちに「自分たちはゲームの世界に居る」と認識させるという重要な役割があった。

 ところが脳コンは、より高い精度で脳波を測定し、従来品よりもさらに精度の高い仮想現実世界を体感させることはもちろんのこと、脳波によって直接プレイヤーの操作が可能になったというのだから、仮想と現実の境界がさらに危うくなるのでは、と社会が懸念を抱くのは当然だった。

 従って、博士は安全性についても十分な検証を行っていた。

 博士は脳コン使用者のバイタルサインを観察し、頻脈や心電図異常、一定以上の血圧変動が生じた場合、強制ログアウトさせるプログラムを開発した。これには急に現実世界に引き戻されることで生じる違和感――例えばVRの世界で宇宙遊泳を楽しんでいた人間が、突然現実に引き戻されると身体が重く感じたりする、通称「バーチャル酔い」への対策もしっかりと盛り込まれていた。

 だが、どんなに企業が安全だと主張している商品でも、予期せぬ事故は起きるものだ。ましてや従来品よりも格段に精度を向上させたVRゲームの開発ともなれば、素人だって危険を感じるというものだろう。しかしVR商品は、世界経済に深く浸透してしまっており、新商品の開発には国内外から多額の資金が集まった。

 そして、何を隠そう政府機関であるVR対策室こそが、もっとも強力に開発を支援していたのだ。

 NOAⅡは、この脳コン専用のMMORPGとして注目を集めており、つい先日までモニタープレイヤーを募集していたのだが。


「ところで現王園先生……息子の容体はいかがですか」

「……生体反応は安定しています。現在同病を患っている患者さんとそう変わりはありません。しかし息子さんの場合、既往に様々な疾病が存在しています。今の状態が長く続く場合は、VRTとは無関係の合併症が気がかりですね」


 モニターベースへ到着すると、橋本博士がウォーターサーバーから水を紙コップに注ぎながら訊ね、現王園は先日運び込まれてきた患者の一人――高校生というよりは成人病のデパートの様な男の顔を思い返しながら答えた。

 

 高血圧、高脂血症、高尿酸血症にⅡ型糖尿病。画像検査では下肢の静脈に散見される血栓に脂肪肝、脊椎の変形や関節腔の狭小化などなど。計っていないがどうせ骨密度も低下しているに違いない。

 そして、父親のパソコンから開発途中のゲームデータを持ち出し、自宅に保管してあった脳コンを装着して世間より早くゲームを始めた愚か者だ。

 そんな精神的にも肉体的にも堕落しきった人間だが、羽鳥のように数年にわたって昏睡状態にでもなれば、様々な合併症によって死亡するリスクは倍どころの騒ぎではない。


「彼らをできる限り早く、安全に仮想現実の世界から引き戻す必要があります」


 現王園は意図的に彼らという言葉選んだ。自分の息子だけが昏睡というよりは危篤に近い状態であると知れば、今後の作業に支障をきたすかもしれない。博士を精神的に不安定にさせる訳にはいかなかった。


「やれるだけ……やってみましょう」

「お願いします」


 患者の治療を行う立場の現王園が、技術者である橋本博士に頭を下げた。

 博士は頷いて椅子に座ると、巨大なモニターを備えたコンソールへと向き直った。


「スーパーコンピューターK……」


 一条が、電源が入ったモニター画面を見つめて呟いた。彼女の端正な顔を照らすブルーの画面には、今のところ変化はない。

 橋本博士は忙しくコンソールを操作している。

 一条はその背中を見つめたままで、現王園の白衣の袖を引っ張った。


「先生、本当にこれで、彼らの『脳にアクセスする』なんてことができるんですか?」

「真医会と政府が二千億もの巨費を投じて造り上げた世界最高のスパコンだ。たかだか三人の脳とゲームソフトが創り出す仮想現実世界など、瞬く間に解析して正常にもどしてくれるはずだ」


 現王園は小声で答え、そうでしょう? 博士。という言葉は飲み込んだ。

 VR対策室は、重症仮想現実中毒の患者の画期的治療法として、彼らが脳内に作り上げてしまった仮想現実の世界をコンピューター内に構築し、彼らがその世界で何をしているのかを突き止め、干渉し、ログアウトさせるという手法を提案した。

 これが成功すれば、各国が抱える十万人以上の患者を一挙に救える可能性が見えてくる。そのために、開発だけでも二千億、維持費は年間百億円も必要とするスーパーコンピューターを開発するなど馬鹿げた話だと主張するものもいた。しかし、全世界で数百兆円の市場を展開しているVR産業が今後衰退する兆しがない以上、VRT患者も根絶することは難しい。

 日本は世界に先駆けて、難病の治療法を確立しようと名乗りを上げたのだった。

 VR対策室発足からわずかに三年でスーパーコンピューターKは完成し、その直後、開発責任者の息子がVRT患者となった。そこに運命じみたものか作為的なものを感じてしまう現王園であったが、今はそれをどうこういう場合でないことはわきまえていた。


「……三人の脳コンへアクセスできました」


 橋本博士が囁くように言うと、巨大なモニターの画面が一際明るくなり、何かの映像が映し出された。


「きゃぁっ!?」

「これは!?」


 画面に映し出されたものを見て、一条は悲鳴を上げ、現王園は目を見開いて口元を強く引き結んだ。


「公英……?」


 父親は、見知らぬ男性によってズタズタに引き裂かれて悲鳴を上げている我が子の映像を目の当たりにし、ぽかんと口を開けた。




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