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元港町昼食  作者: 白石 薬子
一章 春
9/20

元港町昼食【円状駅下にあるディオスの食卓】六月の一週目

どくだみの花が咲く川沿いの公園をミライとカコが歩いている。空は暗く昨日の晴天が嘘のようだ。この道を通って『上河岸田』の一つ先の駅『丸ノ輪』に向か う。円状に広がる珍しい構造を持つ駅の線路の下、その隙間にするりと入り込むと、真っ白な高架下に出る。天井は高くて大理石みたいな純白で、ちょっと荘厳 な気持ちになる。

「あいかわらず壮観ね」

 カコは目を細めた。

「まるで神殿みたい」

 白く塗られた高架の、巨大な柱の間 が出展スペースになっている。赤青緑黄のブリザーブドフラワーが入った籠、水蜜灯や林檎や枇杷やバナナを干したものが詰められたガラス瓶、銅細工の馬、弓 矢の店、サンダルの店。頭上を電車が音を立てて通る。ぐるりと輪をかいていくのが振動で判る。

「試飲はいかが?」

 ざくろジュースの店から、美しい女性が勧めてきた。陶器の器に入った赤黒い液体は冷たくて、見た目よりあっさりとした酸味がある。

 ゆっくり味わった後首を傾げて、ミライのウェーブがかった豊かな髪が揺れた。

「あの、ザクロって美容に効果があるんですよね?」

「ええ」

「やっぱり!

 お姉さんみたいな綺麗な人が売ってると、説得力があります!」

 無邪気なミライな言葉に、嬉しそうな顔をしながらも、構えるみたいに売り子のお姉さんは腕を組んだ。

「褒められるのは嬉しいけれど、少し複雑ね……。

 そもそもあなただってとっても綺麗よ。ねえ? お友達」

「はい」

 カコは即答する。

「ミライは綺麗なんです」

「ちょっと、カコ」

「まあ美の女神には負けるかもしれませんけど」

 なおも言うカコを、ミライは肘でつつく。白い頬が真っ赤に染まる。春の娘のような美女は二人を見てくすくす笑った。

「ねえあなた、お友達はしっかり捕まえておいでなさい? でないと夢殿のカップルみたいになるわよ。あの喫茶店は閉店してしまったわ。せっかく仲の良しだったのにね。

 ところでお二人はここに何をしにきたの?」

「ディオスの食卓に、良いベーコンが入ったと聞いて」

 素っ気なくカコが言うと、あら、と花が零れるような笑み。

「じゃあ今朝運ばれてきた、あの豚ね。美味しいと思うわよ。よく太ってたし。産地も有名な豚よ」

「どこですか?」

「ゲルゲサ。

 崖に向かってくるのをね? 鼻面をぽかって叩くの。そうしたら、ぐう、ってぽとぽと崖から落ちてくる。それを網ですくって捕まえるのね。息のあった、坊っちゃん二人のお手柄ね。

 ザクロ、もう一杯いかが?」

「ありがとうございます。けれど、お昼まだですから」

 勧められるままに、試飲のお代りを飲もうとするミライをやんわりカコは止める。含み笑いをした美女は自ら陶器に口をつけて飲みほし言った。

「心配しなくても、もうそこまで強い効果は無いわ、博識な娘。

 でもそうね。ザクロは薬効が強いから飲みすぎると毒になるかも。たった四杯で元に戻れず、ね」

  改めて売り子の女の人にお礼を言って、高架下を進む。円を書く振動は絶え間なく、反時計まわりを描く。トガを釣るしてある店先と、哲学者たちがサッカー中 継に興じるパブをすり抜けて目的の店先に辿り着いた。白い柱の陰に真っ黒いドアが据え付けてある。ドアノブには「ΑΝΟΙΧΤΟ」の金文字の札が下がって いた。ミライがほうっと息をついた。

「あいかわらずディオス黒いね」

「モダンでいいじゃない」

 カコは戸を開いて仰々しく一礼した。

「さ、女神のお褒めに預かりし美少女様、どうぞこちらへ」

 土曜日の昼下がりは二人とも道草をして、こんな「ありえそうな店」でも昼食をとる。


「あれ?」

 カコが軽い驚きの表情を見せた。調理をしているのがいつもの人では無かったからだった。

  レストランの真ん中に、円卓がある。円卓のカウンターだ。その中央でほりの深い女性が一人で調理をしている。鍋には湯がぐらぐら沸いて、大きなフライパン には炒められてらてら光った茶色い腸詰がひしめき合っている。その隣には金色の油を湛えた鉄鍋が静かに調理を待っていた。脂の焦げたいいにおいが鼻をくす ぐる。席は満席で、ちょうど二人分しか空いていなかった。

「いつ見ても思うけど」

 ミライがカコに耳打ちする。

「ここってほんと回転ずしみたいね」

「それより店主たちはどこ行ったのかしら」

 カコは眉を顰めた。いつもは兄弟がここで調理してるはずなのだ。それが今日は一人きりだなんて。

「一人で回すのは大変よ、このお店」

 並んで座ると、メニューを見る。下まで眺めたミライが、もう一度上からメニューを読み返す。

「ねえ、カコ。ベーコン、メニューにない」

「裏は?」

「無いねえ」

 一人で忙しそうに働いている女性に声をかけるのもはばかられて、二人一緒にメニューを見返す。この店がソーセージの店だというのは知っている。けれど「よいベーコンが入った」という風の噂が嘘とも思えない。隙を見て。

「すいません」

 と声をかけたら女は額の汗を手の甲でちょっとぬぐって尋ねた。

「はい、ご注文は?」

「ベーコンあるって聞いたんですけれど」

「あの、忌々しいベーコンのこと?!」

  毒の籠った女の声に、カコの片眉がぴくんと上がった。カコは売られた喧嘩は買う性質だ。失礼な応対は許さない。片や女は気性が荒いらしい。しかも今は虫の 居所が悪そうだ。あわや一触即発か、とミライが腰を浮かしかけたところ、女はなにか汚い言葉を吐きだそうとしたのを人差し指をピンと立てて抑え、二三度 振って気持ちを落ち着けた。かき混ぜた苛立ちが空気に溶けて、出たのは割と優しい声だった。

「悪かったわ。あなたたちに罪は無いものね。話しかけてくれてありがとう」

  話かけたことに礼を言われるとは思わなかったから、カコは警戒を緩めないまま、けれどそのまま開きかけた口を閉じた。さっきまでの忙しさはどこへやら、女 は一息ついてグラスに水を注いで二人によこす。まるでもう客はカコとミライしかいないみたいに。とりあえず二人は澄んだ水で喉を潤した。女は話を続ける。

「ええ、もう、兄さん達がとってきた豚は確かにベーコンになってますわ。そのせいで私一人が奮闘するはめになっているんですけどね!」

 苛立ちが隠しきれない女にカコが慎重に尋ねた。

「どういうことです?」

「あの二人、捕るだけ豚を捕ってきて、今日も夜勤だからって今頃グーグー高鼾よ。それで妹に全部押し付けてさ。本当に嫌になるわ。娘や息子は頼りにならないし。

 ……まったく、早く蟹の季節になってくれないかしら」

「あのう……」

 ミライが申し訳なさそうに手を上げる。

「ベーコンって、仕込みに一週間以上かかるんですよね? どうやって作ったんですか?」

「そりゃ昨日法を使えば一発じゃない」

 肩をすくめた女は揚げものを始める。メンチカツだろうか。じゅわわーっといい音。

 菜箸で揚げものを弄りながら女は話を続けた。

「昨 日出来たことなら、今日出来ているはずでしょう? どうやって豚肉の脂を削ぐか、塩につけこんでどれくらい寝かせるか、それから処理して燻製にして出来上 がるまでに、肉と脂肪がどう綺麗に変化していくのか。理解していたらそれは今日じゃなくて昨日済んでいたのと同じことよ」

「あなたが理解してるんですか?」

「とんでも無い。食材に理解させるのよ。

 昨日出来てたことは一昨日出来てて当然でしょう? 一昨日出来てたことはそのまた前に。とっくり説明して、判らせるの。知識は力なり。ベーコンなら、やってくれるわ」

 ミライはカコと顔を見合わせる。カコもちょっと首を傾げて、まだ女が話に付き合ってくれそうなのを確認してから尋ねた。

「これが円卓なのも、何か関係あるんですか。昨日法に結び付くような」

「そりゃそうよ。円卓は普遍的だもの。どこにでも顔を向けられるでしょう?

 あなたに接客しているのは、あなたのお友達に接客しているのも同じことよ。ということは、私はみんなに接客出来ると言うことになるわ。

 同時に、あなたに時間を割くってことは、他の人にも時間を割かなくちゃいけないでしょう? ということは、あなたたちに時間を割いているのと同様に、他のお客様にも時間を割いているってことになるわけ」

 ミライが難しい顔をする。女の言っていることがよくわからない。

「え? でも時間は限られてますよね。一人と話しながら、例えばあそこの口髭の人の接客は出来ないでしょ?」

 ミライのもっともな問いに、女は困ったような顔をした。当たり前の答えが出せない生徒を見るような目つきで説明する。

「判らないの? ここなら。円駅なら可能なのよ。それ以外なら確かに難しいかもね。

 さ。

 で、おしゃべりはこの辺にして。何を食べるの? ベーコン? どうやって食べるの? メニューに無いから、希望あるなら聞くわよ」

「揚げ焼きした目玉焼きにたっぷりベーコン。それからタラコとマッシュポテトのサラダ」

 カコが注文すると、ミライも「あ。あたしも」と手を上げた。ミライはいつもカコと同じ品を頼む。カコが食べていると、ミライも食べたくなってしまうからその予防策として。でも今日はそれに付け加えて。

「今揚げてるの、それメンチカツですよね」

「ええ」

「じゃあそれも!」

 と追加の注文。


「たくさん食べたねえ」

  満足げな声でミライは言うと、ドアの外でお腹をぽんぽんと叩いた。白い神殿はすっかりいつもの駅前になって、土曜の午後を過ごす人達がエスカレーターを 上っている。駅を彩る壁は元港の砂浜と海を表す青と白と砂色。壁面を見ながらエスカレーターを上がると、まるで海面に顔を出したような気になる素敵な模様 だ。

 ほっと息を吐いてカコはうつむいたまま言った。

「さっきの神殿ね」

 静かな声だった。

「もっと色とりどりでも良いんだと思うの。

 昔の神殿って、思った以上に色とりどりだったんだって本で読んだ。

 ただの白なんて寂しいわ。

 神話の墓場みたい。

 喪の白に塗られてたから、あんなに神々しいとすれば悲しい」

「カコはほんと優しいね」

 ミライは肩で、カコの肩を軽く突く。ウェーブを描く美しい髪がさらりと揺れた。そのままカコの華奢な肩に頭を乗せて腰に手を回し、力強く言った。

「それでも、みんな、あんなに楽しそうに居たじゃない。喪の白でも、飾られる色があるならそれは素敵なことよ。

 それにね? 彩りを与えるのは、塗りたくられた柱じゃ無いわ」

 そうかしら、と囁くカコの背中をぽんぽんと叩いてミライは優しく断言する。

「いつだってカラフルなのは人よ」


 元港町の、昼を告げる空砲が轟く。

  目を閉じれば、さっきまでの光景がありありと瞼に浮かぶ。神殿の乾物、青銅器、武器、ざくろジュース。黒い店のカウンターで、カリカリ手前で引き上げられ たベーコンに絡んだ二つの黄身や、潰れたポテトに混ざって桜色になったタラモサラタたくさん、揚げたてのメンチカツは半分ずつで、パンはしっとりと重い。

「電車乗って帰ろうか」

 ミライが問いかける。

「食べすぎちゃったしね」

「いいの。歩いて行こう」

 立ち去りがたいカコの心を気にかけてくれる、ミライの思いやりが嬉しかった。だからカコは精いっぱいの笑顔を作って言う。

「だって帰る時は、後ろを振り向いちゃいけないのよ?」

 二人並んで元の道を帰る。腹ごなしに、グッチョッパーしながら。

 背中から遠く、微かに聞こえる電車の音。

 鈍行が駅をゆっくり反時計回りしていく間に、急行が中央を走り抜けるのが聞こえる。

 父の日のプレゼントに、ギリシャ火のライター買えばよかったと後で思う。

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