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元港町昼食  作者: 白石 薬子
一章 春
8/20

元港町昼食【元港プラネタリウムの蛍食】五月の四週目

 元港プラネタリウムは駅から外れたところにあって、土曜日というのにがらんとしていた。中に入るともうすでに薄暗い。

「今年こそけいしょくしようよ」

 と誘ったのはミライだ。そんなにいつも重いもの食べてたっけ、と怪訝な顔をするカコに笑いかける。

「蛍食だよ、蛍食」

「ああ」

 それで納得がいった。二人で町はずれのプラネタリウムへと訪れた。

『いらっしゃいませ』

 上等な水あめのように伸びが良く澄んだ男の声が二人を招いた。

『そろそろ銀河が溢れます。よい蛍食になりますよ』

 土曜日の昼下がりは二人とも道草をして、そんな「あり得ない店」で昼食をとる。


 元港プラネタリウムは町はずれにある。今日は蛍祭りの日だから、蛍食をとって行こうという人がいた。といっても元港町の蛍は居ない。その代わりに小さな蛍 電灯を何万匹も川に放つのだ。この日は街中の人が夜更かしをして、海に流れ出す蛍電灯を追いかけたり、竹ぼうきをつかって川から拾い上げたりする。午後一 番でパレードが始まる予定だ。

 プラネタリウムの中は、蛍食への静かな興奮で満ちている。座イスは全て取り除かれて、立食用のテーブルがぽつんぽつんと見えた。そこで静かに談笑している人もいる。どこからかカメラのシャッターを切る音が聞こえた。

「あれ、ミネルバさんじゃないかな」

 ミライが囁いた。ミネルバはカメラマンだ。離れ離れになってしまった友達を探していると以前話をしたことがある。彼女とは星に関わるところでよく出会うから、その連想だ。ところがカコが奇妙な表情になっているのでミライも怪訝な表情を浮かべた。

「どうしたの?」

「いや、別に」

「もしかして、カコはミネルバさん苦手?」

 直球すぎるミライに、カコは苦笑した。

「ちょっと距離感がね。すぐ抱きつくし。嫌いってほどじゃないんだけど……」

 その時、複眼を持つ鉄アレイのような形状の光学二球式投影機がぐるんと動いた。ドームにはすでに銀河が映っている。

『ご覧のような銀河は、七月七日の晩、晴天だった場合に見ることの出来る、未来の天の川です』

 天空に現れた矢印が、乳白色の柔らかな帯をぐるりと指差す。売り子からサイダーを受け取って、カコとミライは空を見上げた。

『ご存じの通り、光はおよそ秒速三十万メートルで進むことが出来ます。私達は遥か過去の光を見ているわけですね。

 それではもう少し近づいてみましょう』

 ぐいっと銀河が近寄ってきた。一瞬のうちに木製のお腹をかすめ、太陽を通り抜け、プラネタリウムは太陽系を脱する。

「大きいねえ」

 ミライは羨望の眼差しを向ける。カコは怖いような気持ちになって、息を止める。それほど宇宙は広く大きく、自分はちっぽけだった。

 ナレーションは話を続ける。

『美しく澄んだ星の川に蛍は住んでおります。さあ皆さま、そっと口に含んで、存分にご堪能下さい。』

  言うか言わないかのうちに、闇からぽつりぽつりと光が生まれた。物おじせずミライがそっと舌を出すと、光が止まる。口を閉じると、ぽおっと光がミライの頬 を内側から照らして、そっと喉に滑り込んでいった。カコはそっと手をかざして光を包み込むと、口元にあててそっと飲む込む。熱いような冷たいような感覚 が、通り過ぎて行って、お腹の中でぽおっと灯っている。次の光を口に入れた。その次も、その次も。もう一つを口に含んだとき、ぱしゃっと一枚写真を撮られ た。喉を詰まらせそうになって目を白黒させるカコ。

「ミネルバさん!」

 ミライが嬉しそうな声を出した。白いブラウスとジーンズのスポーティーな女性がにっこり笑ってミライも撮った。ミネルバが立っていた。喜色満面でミライが駆け寄った。

「やっぱりさっき写真撮ってたの、ミネルバさんだったんですね」

「二人とも来てると思ってたよ」

 彼女にぎゅっと抱かれてミライは嬉しそうだ。ミネルバとの再会の抱擁を堪能してから顔を上げる。

「でも今日はどうしてここに?」

「星光の欠片を撮りにね」

「蛍じゃないんですか?」

 カコが尋ねると彼女は首を傾げる。

「みんなそう言ってるけれど、どうしてなんだろうね? 飛んでる光が、似てるから? どう思う? カコちゃん」

「私は、もう居ない蛍の魂かと思ってました」

 不意に瞳を覗きこまれて、ドキドキしながらカコが応える。やっぱり、彼女の距離感、苦手だ。そんな考えなんてまるでお見通しみたいに、ミネルバはカコの肩をぽんと軽く叩いた。

「あんたは相変わらず考え過ぎだね。それにちょっと悲観的。

 まあそういうの、嫌いじゃないよ。中学生くらいって、そんなだもんね」

「じゃあこれ、なんですか?」

 ミライの質問に彼女はあっさり答えた。

「これは星の光が砕けた欠片だ。生き物じゃないし、心があるわけでもない。ただ、きれいに光るけどね。

 あたしは食べたことも無い。

 カコちゃん。そんなに美味しい?」

 無邪気に尋ねられると、つい正直に答えてしまう。少し恥ずかしいけれど。

「胸の奥の方がぽおっとなって、なんだか気持ちいいんです」

「ああ、ずいぶん光ってるからね」

  言われて初めて、胸元が光っているのに気付いた。それどころか、ゆっくりと身体が浮いてくる。ぽん、と床を蹴ったらふわふわと上がっていった。慌ててミラ イが手をつかむと、カコに引っ張られてゆっくりと上昇していく。なすすべもなく二人でばたばたしてしまう。ミネルバが、叫んだ。

「力を抜いて。プラネタリウムを支点にして飛ぶんだ!」

 ミネルバも床を蹴って、宙を回り始めた二人を追う。

「ほら、みんなそうしてるでしょ?」

 見れば、プラネタリウムに居た人達は皆光って宙に浮いている。頭上の銀河はなおその姿を近づけて、いつのまにか周りを光が回っている。光っていないのはミネルバだけだ。彼女は微笑する。

「あたしは星の欠片、食べてないからね」

「どうしてそれなのに飛べるんですか?」

 ミライが驚くと、ミネルバはにかっと笑う。

「衛星の回り方なら、心得ているからさ」

 今度はフラッシュが焚かれて、ミネルバが親指を真上に立てた。

「よし! ちゃんと、二人撮ったよ!!」

 グルンと動く、投影機。

 星と光の欠片と星になった人達が飛び回る。胸に灯った火が乱舞する。

「わぁっ!」

「きゃあっ」

 みんな、笑う。カコもミライの手を握って二人で。

 やがてくるくると回転して、一人二人と着地する。やがて……。

『……東の空に明けの明星が見えます』

 遊び疲れた土曜日の二人が投影機に腰かけた時、ナレーションが静かに語りかけた。

『それもどんどん薄くなっていって、朝が訪れました……』


 二人でプラネタリウムの側に腰かけている。蛍食を堪能した人達が乱れた髪を櫛で整えながら川へ向かって行く。これから蛍祭りに参加するのだろう。カコの隣で、ミライは膝を抱えて言った。

「ねえ、カコ。蛍祭り行く?」

「私、あのお祭り嫌い」

 眼鏡をかけなおして低い声で応える。

「蛙も鳴かない川に、蛍電灯なんて悪趣味だわ。あの川に蛍なんて来ない」

 拗ねたようなカコにミライは呆れたような声を出した。

「元から蛍なんていなかったじゃない。海が近いんだから」

「わかってるけれど、嫌なの」

 カコが一度へそを曲げたら、しばらく治らない。肩をすくめてミライが言った。

「じゃあ、帰ろうか」

「ちょっと待って! た、たしかめてみて!」

 おそるおそる立ちあがってカコが尋ねる。

「……どう?」

「まだ光ってるね」

 カコのスカートの裾から、光が漏れている。布が透けておしりが光ってるのが判る。ミライがため息をついた。

「カコは食べすぎだよ。本物の蛍みたい」

「じゃあ帰れないよ」

 カコが絞り出すような声を出す。ミライは珍しく怒った顔をした。

「だからミネルバさんに送ってもらえばよかったじゃない」

 車で送って行こうか? と彼女に言われたのに、カコはやんわり断ったのだ。二人で話があるから、と。ミネルバは強いて誘わなかった。その結果こうなったのは、自業自得といってもいいかもしれない。カコはそれには応えず、うつむいて頭を膝につけて言った。

「ミライ、先帰っていいから」

 黙ってミライはカコを引き寄せる。本当はミネルバさんと一緒に三人で、光って飛んで、銀河まで食べた話を楽しくしたかったのに。こんな打ち沈んだカコと一緒にいるのは辛い。でも「それじゃあまた来週」って置いて行くのはもっといやだった。


 午後を告げる空砲が鳴る。

 命無い蛍狩りを楽しみにする人達のパレードが、祭り開始の目印にする。


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