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元港町昼食  作者: 白石 薬子
一章 春
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貝気楼のあさりご飯 五月第一週

「待った?」

「待った」

 五月に入ったのに長袖を着ないといられない寒さが続く。寒いのが苦手なミライは、今日はマフラーまで巻いてきた。深緑とピンクの花柄。片や待ち合わせの街灯の下で文庫本を手繰っていたカコは、長袖は着ているものの、さっくりした軽装だ。タートルネックのシャツがうっすらと成長途中の少女のラインを浮かび上がらせている。男の子みたいなぶかぶかなズボンのミライと対照的に、膝小僧どころかふとももの半分まで顔を出すような短めのキュロットスカートだった。

 ミライが勢いよく頭を下げる。

「ごめん!」

「嘘。今来たとこ」

 冷ややかにカコは手をひらひらさせる。握ってみろ、という意味らしい。ミライがそっと手を握ると、カコの手のひらは温かだった。

「ね?」

 カコが寒い中、一人待っていたわけで無いことがわかって、ミライは安堵の息を吐いた。

「びっくりさせないでよ! もう!」

「ちょっとは待ったよ。遅刻は覚悟で本持ってきたし」

 にやりと微笑してカコは眼鏡を直すと、文庫本をポケットに入れてミライに背を向けた。

「さ、お昼食べに行こう」

  土曜の昼下がり、二人はゴールデンウィークに待ち合わせて、これから「あり得ない場所」で昼食をとる。

「柏餅でも食べる?」

 ミライが聞くと、カコから険しい顔で睨まれた。

「当分、柏餅はごめんだわ」

「大丈夫だよ、鯉のぼり、空に繋がってるじゃん」

「そういうものじゃなくて、気持ちの問題よ」

 ひと月近く前のあの事件を思い出してカコの眉間に皺がよりっぱなしだ。事の発端を引き起こしたのはミライだ。花見の席に不用意に時期のずれた柏餅なんかもってきたせいで、鯉のぼりが桜の花を食い散らかしてしまったのだ。幸い学校の大桜は事なきを得たので花見には困らなかったと聞くが、カコはあの醜態を恥としていていまだに『』部長に頭が上がらないのだ。

 空の海で鯉のぼりが薫風を食っている。元港町にもマンションや高い建物があるけれど、鯉のぼりを上げる手間を惜しむ家は一つも無いと言っていいだろう。

「元は海だしね」

 カコは肩をすくめる。

「野良がいてもおかしくないし」


 駅前にでも出ようかと話をしていたとき、ナナコさんとばったり出会った。制服を着ていたのが不思議だったけれど、ナナコさんは制服が似合うからこれもいいなと思う。

「これからお食事ですか」

 どこか近寄りがたい、眼鏡の少女がぺこりと頭を下げた。おそらくその雰囲気は彼女の表情が変わらないせいだろう。『』部長の忠実な部下で有能なサポートである、ということ以外で校内に知られていないのは、もったいないなあとカコとミライは思っている。挨拶を済ませて、カコはお誘いした。

「そうだ、ナナコさん、もしお暇なら一緒にお食事どう?」

「土曜日の二人の昼食に、参加してもよろしいのかしら」

 頬に人差し指をあてて、首を傾げてナナコさんが尋ねる。ミライが目を丸くする。

「なんで今さらそんなこと聞くの? この前、ナナコさんたちの誘いに乗ったじゃない」

「お二人の昼食の力が、あたしたちの役に立ちそうだからお誘いしただけよ。もっともそのせいで鯉のぼりを呼び寄せてしまったけれど」

 それだけ聞けばナナコにとって、カコもミライも利用するだけの同級生に過ぎない、という意味に取りかねないがそうではない。ナナコは不安なのだ。

「あたしが加わっても、お二人のお役には立てないと思うよ」

「いいのよ。別に、利用する為に呼んだわけじゃないんだもん」

 ミライが朗らかな声を出した。

「私たち、ナナコさんのこと好きなんだもの」

「それじゃあ喜んでご一緒します」

 表情が全く変わらないそばかすの少女に、ミライはちょっとだけ苦笑いが出た。

 少しでも嬉しいって顔になってくれたらいいのに。


 前砂浜まで少し歩くと、ドーム型の白い建物が見えてくる。

「ここはどんなお店なの?」

「貝気楼。お味噌汁が美味しいお店なの」

 少し寒いので温かいものが美味しいお店、というチョイスのもと、白羽の矢が立ったのが貝気楼だ。春から初夏にかけて、深川飯をごちそうしてくれる。

「いらっしゃい」

 ぬめるような白い肌の女将が笑顔で三人を迎え入れた。

「あとちょっとで出来たてが出るからね」

 あさりご飯三人前が出るのは決まっているからわざわざ注文は取らない。熱いほうじ茶を啜って三人とも息をついた。ぱっと見はカフェのようだ。それもサーファーカフェ。壁中に窓がついていて、周りの住宅の庭が見える。マフラーを取ってミライは椅子にかける。冷えた手を小さくこすってナナコさんも着席する。

「どのお庭も整ってますけれど、どうしてこんな窓?」

 ナナコさんの疑問を、カコとミライはにやにやして見守っている。二人はその答えをしっているからだ。

「それよりも、これやってみない? 蜃気蝋燭」

「なにそれ」

 ミライは卓上にある木の箱から蝋燭を取り出すと、百円を硬貨穴に入れた。カコが側にあるマッチを手にとって説明する。

「蜃気楼の作り方、知ってるでしょう? 冷たい空気と温かい空気がレンズの役割をして、遠くの物を近くに見せたり、物の形を歪ませたり。これはそれと同じ原理でね? 蝋燭の火にゆっくりと息を吹くと、心の奥底にある願望が蝋燭の火に浮かびあがって目に見えるのよ」

「よくわからない」

「やってみればすぐよ」

 赤い蝋燭を立てて火をつける。さっそくミライがふーっと息を吹くと、蝋燭から溶けだして燃える蝋の煙に色がついて部屋の中がうつった。

「なにこれ」

 ナナコさんが尋ねるのも当然だ。カコとミライがベッドにもたれかかって昼寝している姿が映っているのだから。二人は手を繋いでいる。気持ちよさそうに寝息を立てている。カコは冷ややかに言った。

「食べてすぐ寝ると、牛になるよ」

「いいじゃん。じゃあカコやってみてよ」

 ふーっとゆっくり吹いたカコの息からは、テストの答案用紙が滲み出てきた。ミライの口からため息が出る。

「また中間テストまで三週間あるじゃん」

「今のうちから勉強しておかないと、いい点とれないでしょ。ミライもちゃんとやらないと、別々の高校行くことになるわよ」

 たしなめるカコに、ナナコさんは「へえ」と声を出した。

「二人とも、別の高校に行くんだ」

「いや、そのまま上河岸田高校行くよ。でも、選択肢は多い方がいいじゃない?」

 カコは残ったほうじ茶を飲みほして、ナナコさんに手を差し出す。

「ナナコさん、吹いてみて」

 こわごわナナコさんが蝋燭に息を吹き掛けると、もやもやした煙がきらきら輝いて、笑顔のナナコさんが出てきた。

 思わずカコとミライはナナコさんの顔を見る。

 無表情なナナコさんの顔が青ざめている。

 幻想の、笑顔のナナコさん。

 その側に立っているのは『  』部長だ。

「フッ!」

 カコが、強く息を吹いた。

 蝋燭の火が消えて、ゆっくりと笑顔の影が溶けて消える。残ったのは沈黙するカコとミライ。それから目からぽろぽろ涙を零すナナコさんだった。

 先に口を開いたのは、ミライだった。

「ナナコさん、なんていったらいいのかわからないけど、私たちナナコさん好きだよ」

 ナナコさんは泣きながら激しく頭を振る。カコは口元だけでミライに「バカ」と吐き捨てる。そういう問題じゃないでしょ。気まずい空気に二人ともうつむいてしまう。永久に続くのではないかと思われるような薄暗い空気にふと光が差し込んだ。まず顔を上げたのはナナコさんだった。

「え? これ」

 ふうっとカコが鼻から息を吐いた。

「忘れちゃった? ナナコさん。前砂浜は元は海だったのよ」

 白いドームが口を開く。屋根が無くなって青空が覗いている。そして潮風。

 周りに広がる、海。

「貝気楼は、海の夢を吐き続ける食堂なの」


 三人で潮の香りを嗅ぎながらあさりご飯を食べる。お吸い物からは濃厚なハマグリの味。

「いつ食べてもここのお吸い物、いい出汁出てるよね。ハマグリはいっていないのに」

 ミライがふうふうしながらお椀に口をつけていると、カコが目を細める。

「女将さんの出汁なのかもね」

「めずらしいね、カコの下ネタ」

「いや、民俗学的な話としてね。ハマグリ女房ってね」

 二人が繰り広げるいつものたわいない会話に、ナナコさんは入っていけない。ただもくもくとあさりご飯を噛んで。

「美味しい」

 と微笑した。

 三人そろってお代りを頼む。

 食べ終わる頃に蜃はゆっくりとかつての海を閉じる。


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