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元港町昼食  作者: 白石 薬子
一章 春
4/20

藤見のシャボンエレベーター 四月第四週

 深水寺の藤が綺麗だという噂を聞いて二人で出掛けた。午後から雨が降るかもと聞いていたから、やや駆け足気味だった。濃紺のワンピースが風をふわりと孕んだ。

「お蕎麦にしようか」

「葛餅もいいわね」

 深水寺の周辺は節操がない。薄曇りの中、寺の周りに古今東西に流行した出店がかわるがわる立ち並ぶ。赤、緑、青のカラフルな傘に、蕎麦も葛餅の看板も見当たらなかったので仕方なくドネルケバブを頼んだ。

 ヨーグルトソースとトマトソースの混じり合った羊肉とピタのもちっとした食感が美味しい。零れないように注意して一口、歩きながらもう一口。口の周りをソースでべたべたにしたミライが、天から美しく垂れ下がった藤を指差した。

「カコ、見て! 今日、シャボンエレベーター出てるよ!」

 土曜の昼下がり、二人は道草をしてこんな「あり得ない場所」で昼食をとる。

 藤棚は高くにあって、カコが眼鏡をずらして目を細めてもその入り組んだ屋根は見えなかった。ただ藤はその豊かな紫色の房をいたるところに垂らして、真下の池にその姿を映している。その池のたもとで詩人がシャボン玉を吹いていた。

「乗せてもらっていいですか?」

「どうぞ」

 ふうっと一吹き。

 大きなシャボン玉が現れて、そっと戸を開けてくれる。乗り込むと、も一度ふうっと息を吹いた。水の上をシャボン玉が滑って行く。

「どうする? 空に上る?」

 ミライが首を傾げると、カコはちょっと考えて。

「もぐろう」

「賛成」

 深水寺の水は透き通って清い。

 シャボンエレベーターがゆっくりと下がっていくと、水泡の一つになって水下から藤を見る。ゆらゆら揺れる水面に一面の藤。一ひら落ちる花弁が波紋をつくる。その波紋に、空にぱあっと舞ったたくさんのシャボン玉が揺れて見えた。

「きれいだねえ」

「ほんとねえ」

 シャボンエレベーターの中は狭いから、二人で足を絡めあって座っている。空を舞うシャボン玉は七色に変じて藤棚へと上っていく。

「私たちもやろうか、シャボン玉」

「賛成」

 飲みほしたジュースのカップからストローを引き抜いてシャボンエレベーターの外に突き出すと、せーの、で一緒に息を吹いた。小さな泡が大きくなってストローから離れる。シャボン玉出来た。カコとミライのシャボン玉はそれぞれゆっくり上っていって、ちょうど真上で寄り添いぴったりとくっついた。玉と玉がきれいに合わさった形、それは。

「ハートに見えるね」

「そうだねえ」

「もう一回ためす?」

「賛成」

 今度は強く細かく吹く。頭上でたくさんの、うっすら赤く色づいたハートが生まれて、ふわふわっと空に舞い上がる。

 記号化された、命の形。心の姿。恋の印。

 うっとりと陶酔していたミライはふと不安な顔をした。カコが眉間にしわを寄せて、ミライをじっと見ていたからだった。おそるおそるミライが尋ねる。

「カコは、ハート、嫌い?」

「ううん、好きだよ」

「二人でハートつくるの、いや?」

「そうじゃなくて、どうしてあのハートに色が付いているのか考えていたの」

 カコの唇がふっと緩んで、それからポケットから取り出したハンカチを手に、ぐいとミライへと身体を寄せた。

「ミライの唇、トマトソースで真っ赤よ」


 本格的に小雨が降り始めて、池の面を騒がせる。

 雨が止むまでと言い訳して、二人でシャボン玉を作る。ハートが池から飛び立って、やがて藤のそばでぱちんぱちんとはじける。雨の重さか、藤にあたったのか、それとも儚いシャボンの寿命がきたのか誰もわからない。けれど暗い空の色を映して今度はシャボンは銀色に見えた。

 それがふっと虹色に輝く。

 四月最後の週末を明るい日差しが照らす。シャボンエレベーターがゆっくりと空に向かう。二人でハートのシャボン玉を吹きながら、ふわりふわりと。空高く上るシャボン玉に追いつけないまま、垂れ下がる藤を仰ぎ見てミライがまた尋ねた。

「ねえカコ、もし私一人でシャボン玉吹いたらどうなるかな」

「割れるわ」

 カコの言い方があまりに素っ気なかったから、笑った。涙が出た。


 割れずに飛んだシャボン玉は、藤棚を越えて戻ってこない。

 命も心も恋も彷徨い出てきらめいていずこかに溶け去る。

 二人で飽きるまで吹いて、今年の春、最後の週末を過ごす。

 うっすらと額に滲んだ汗にはりついた髪をかきあげて、カコはミライと「しゃぼん玉」歌う。


 かぜかぜふくな。

 しゃぼんだま、とばそ。


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