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元港町昼食  作者: 白石 薬子
一章 春
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柏餅騒動 四月第二週

 幸い桜はまだ散っていないので、今日は『 』倶楽部のお呼ばれに預かってみた。『』の中身はその時に応じて変わる。

「和歌子さん、楽衣さんようこそ」高等部在籍の倶楽部長が笑顔で迎えてくれた。

「ああ、今はカコさんとミライさんね」

「どちらでも大丈夫です」

 そう言うと、倶楽部長は駄目駄目と手を振った。

「あなたたちは今”土曜日の二人”なんだから、コードネームで呼ぶのが筋というものよ」

 彼女は、持っていた古い藤籠地面に置いて、奇妙に膨らんだ笛を構えた。

「早速ご案内するわね」

 倶楽部長が慣れた手つきで吹き鳴らすと、籠からひょろひょろとロープが伸びた。誰も触っていないのに、蛇みたいににょろにょろと。

「相変わらず見事な印度魔術だね」

 とカコが耳打ちするから、ミライも囁いた。

「あのロープ上ってった子供が、バラバラになって降ってくるやつでしょ?」

 そんな不思議な手品があるのである。ぞくぞくっとミライが身震いした。

「あれ思い出して、いつもこれ怖い」

 二人で天高く上るロープを恐々見上げる。折からの強風で桜はほとんど散ってしまっている。ただこの大きな一本がまだ今を盛りと咲ききっていた。そしてその周りを囲むようにロープの結界が出来ている。ここに腰かけて最後の花見をするのだという。

「どうぞ、上って」

 倶楽部長がにこやかに片手を差し出した。

「大丈夫、上ってもばらばらになりはしないわ」

 『 』倶楽部のお誘いに招かれたら、この程度のロープくらい上りきれないと笑われる。二人だって何度か上ったことがあった。ミライはロープにしがみついてよいしょよいしょと上る。直立したロープは握った瞬間ふにゃっとして頼りないのに、決して倒れたりしない。ときおり少したわんで、スカートのすそがひらひらする。この会が男子禁制なのは、そんな理由だ。

 土曜の昼下がり、二人は道草をしてこんな「あり得ない場所」で昼食をとる。

「こんにちは、二人とも」

 蜘蛛先生が、ロープのジャングルジムの中でおにぎりを握って待っていた。彼女は上河岸田高校の教師だ。時折、二人の通う中等部にもやってきて教鞭をとったりする。普段大人びたスーツを来ている蜘蛛先生が今は緑のジャージなのは、この木の上のジャングルジムを作っていたからだろう。眼鏡をかけた美しい女の人だ。

「海苔とシャケと梅干があるわ」

 そっけなく書記のナナコさんが言った。縁の大きな眼鏡とそばかすが印象的だ。仏頂面で事務的で、よそよそしい空気が流れているくせに、彼女は二人に進んで話し掛ける。

「梅干、あたしの家のなの。お勧め」

 カコもミライも、ナナコさん好きだ。

「あたしたち、和菓子買ってきました」

 ミライが鞄から桜餅を取り出す。本当はパック二つあるけれど、もう一つのパックがしまってあるのは、カコに怒られたからだ。ミライはちょっと季節感が無さ過ぎる、と。

「あら、ありがとう」

 よいしょよいしょと自分もロープを上ってきた倶楽部長が礼を言った。

「長命寺ね。くるんってしたのがいいわね」

 木の間に張ったロープのジャングルジムが昼食の会場だ。枝が痛まないよう巧みにロープが括ってある。他の会員の姿がいないので尋ねたら。

「実は倶楽部の本会は明日でね? 今日お二人をお招きしたのは、この会場の強度を確かめる為なの。実際ここで食事をしても大丈夫かって」

 倶楽部長が悪気なく言った。

「ごめんなさい、試すような真似して。でも土曜日の二人なら、いいかと思って」

「こんな素敵なリハーサルなら大歓迎よ」

 カコが笑って応えると、ナナコさんがほっと息をついた。大丈夫よナナコさん、私達そんなことで怒らない。

「降り始めた桜を、見るのにちょうどいいでしょう? この位置だと」

 いつもの怜悧な表情を崩して蜘蛛先生が言う。まるで子供みたいにおにぎりにかぶりついている。校内でファンが多い大人の女性なのに、彼女のこんな姿は土曜日の二人と『  』倶楽部の上層部しか知らない。

「どうしても木の上でお花見したかったの。いいでしょ?」

 おにぎりは絶妙な柔らかさで美味しかった。めいめいロープに引っかかって食べた。倶楽部長は蜘蛛先生の腕に抱かれて、食べさせてもらっていた。長い蜘蛛先生の手が倶楽部長に絡んでいる。書記ナナコはそしらぬ顔で煮た海苔の入ったおむすびを食べている。時折お茶を入れる。さすがにお茶は倶楽部長が自分で飲む。温かい緑茶を啜って倶楽部長が満足げに言った。

「いいお茶ね」

 倶楽部長に褒められて、ナナコさんが赤くなる。

「それにしても、今日桜餅でよかったわ」

 蜘蛛先生は沢庵を噛みながら言った。

「だって、もうスーパーとか、子供の日の音楽流してるのよ? 花も散ってないのに、もうこいのぼりよ。誘われて柏餅なんて買ってたら、大変なことになってたわ」

 カコのおにぎりから、シャケが転がり出て、地面で砕けた。後で拾わないと。バツの悪そうな顔でミライがおにぎりをもぐもぐする。

「柏餅の、何が拙いんですか?」

 倶楽部長の問いに先生は驚いた顔をした。

「だって、花を泳いで鯉のぼり来るでしょう?」と言う。

「鯉のぼりは柏餅大好きなのよ? こんな桜で空が花浸しの日には、泳いでやってきてしまうでしょ」

「……その、鯉のぼりって、そんなに鼻がいいんですか?」

 聞こえるか聞こえないかの声で尋ねるミライに、蜘蛛先生は眉間にしわを寄せて答えた。

「光陰矢の如し、よ毛海もうみさん。時は先に先にと進もうとするの。鯉のぼりだって、そうよ」

 そうなのか。

 ミライを元の名字で呼ぶ先生の目は、教え諭す教師のそれだった。「はい」とミライは拝聴するしかない。ただ、そういうことなら告白しなければならないことがある。「あの」と割って入ろうとしたカコを押しとどめて、蜘蛛先生は話し続ける。

「鯉のぼりがきたら、枝に身体をこすって花を全部落としてしまうわ。そしたら明日の会が台無しになってしまう」

「あの、先生、実はですね……」

 ミライの言葉は最後まで続かなかった。先生の顔、驚きに見開かれた。

「鯉のぼり! どうして?!」

 何時の間にか桜の木の下に、色とりどりの鯉のぼりがわだかまっていた。風を孕んで、大きな目で空を見上げて。

「だからやめとけって言ったのに」

 カコは溜息をついて、ロープをはっしはっしと渡り、ミライのところに行った。そして枝に引っかけてあるミライの鞄の中から柏餅のパックを取り出すと、ぽいぽいと宙に放った。鯉のぼりの群が、どどどと花を食い破って空に昇る。

「ちょっと! 二人共、明日の会はどうしてくれるの!?」

 倶楽部長が肩を怒らせて叫んでいる。書記ナナコはポケットに入っていたデジカメのフラッシュを焚いて、突然の花嵐を撮影している。あまたのロープをたぐって、明日のお花見会場を補強、維持しようとしている蜘蛛先生の姿はもう見えなかった。カコとミライは鯉のぼりに跨って、そのまま逃亡したからだ。


「先生、怒ってるかな?」

「知らない。月曜日謝りに行けばいいよ」

 空を、花すれすれを飛ぶ鯉のぼりの背中にごろりと横になって、カコは鼻からずれた自分の眼鏡をなおした。その髪についた花びらを、ミライがとる。お詫びに先生と倶楽部長を、先週のカレー屋に招待しようと、計画を立てた。

「とりあえず、お昼の続きどこかでしよう。もう少しおにぎり食べたい」

「カコに賛成!」

 デパートの屋上で鯉のぼりに降ろして貰って、正解だった。午後を告げる空砲が鳴って、鯉のぼりの群は驚いて散り散りになったからだ。

 デパートの地下で、おにぎりを買ってむしゃむしゃ食べながら帰り道を行く。ペットボトルのお茶を飲みながらカコは「あ」と声を上げた。ミライが首を傾げる。

「どうしたの?」

「私、ナナコさんの梅干まだ食べてない」

「すごく美味しかったよー」

「嘘!?」

 ご飯が喉につかえる。ミライがカコの背中を叩く。桜はほろほろ散っている。どこかからアナウンサーの声が聞こえる。「明日桜はぐずつき、昼過ぎ関東圏では、最後の集中豪花が始まるでしょう」

 蜘蛛先生と倶楽部長と『 』倶楽部のメンバーと、それからナナコさんの為にもう一日桜がもてばいいのに、と思う。


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