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元港町昼食  作者: 白石 薬子
一章 春
14/20

元港町昼食【星明かりの食堂車で食べる素麺】七月の一週目

 涼しい音を立てて卓鈴を鳴らすと、白い女性がお代りを持ってきた。

「素麺ってどうしてこんなにするする入るんだろう」

 ミライが箸を伸ばす。カコも続けて一口とる。

「美味しいってより、気持ちいいよね、素麺」

 車窓には大宇宙が広がっている。真っ暗な闇の彼方に星が瞬いている。星明かりの中を突き進む鉄道はどこへ向かうか知れない。果てもない。白いテーブルクロスに置かれた深い蒼の平皿に、綺麗な氷と透明な水が張ってあってそこに素麺が丁寧に盛り付けられている。白い光沢のある麺に夜明け前の空のような蒼が微かに透けて見える。

 ミライとカコは気づくとこの食堂車に乗っていたのだった。

「すいません。素麺のおかわり大盛りで。後、おつゆとお椀、お箸も合わせて一つ追加で」

 カコが追加注文しているあいだ、ミライはふと一枚の短冊を取り出して難しい顔をした。人形のような少女の真剣すぎる眼差しに、カコは。

「まだ悩んでるの?」

 と呆れた声を出した。

「だって迷うじゃんさー」

 七夕祭りの笹飾りだった。期末試験が終わった後で学校ではささやかな「七夕祭り」を実施する。

「『七夕祭り』倶楽部長が張りきってるし。なんか御利益ありそうじゃない?」

 やる活動で部の名前が変わる『 』倶楽部、その倶楽部長がずいぶんな熱の入れようなのだ。お願いを書く用の短冊と、飾り付ける笹の葉っぱ製作用の緑の折り紙三枚を、一週間前に書記のナナコさんがクラスに配っていったのだ。上河岸田中学の笹は、笹までも作りものなのだ。切り抜きの笹の葉はミライも提出したものの、短冊のお願いは未だに書けないでいる。ミライがぶつぶつ言った。

「カコのお願いを、あたしのにすればよかった」

「だから、『カコと一緒の高校に進学できますように』でいいでしょ。私が『ミライとずっと美味しい昼食を食べられますように』なんだから」

 残った最後のひと固まりをするすると啜るカコをミライが睨む。

「高校進学は来年書く」

「じゃあ私と同じこと書けばいいじゃない」

「お願いのダブりってなんかもったいないじゃん!」

 ミライが口を尖らせたところで、給仕の素麺が届いた。カコは微笑して。

「一緒に召し上がりませんか?」

 と声をかけた。

「折角の星の海の食事ですから。ご一緒していただけると嬉しいです」

「あ、うん。ぜひ!」

 眼鏡をかけた少年のようなカコと、フランス人形みたいにかわいらしいミライの誘いをうけて、素麺を運んできた女は「あ」と小さな声を上げた。何故お椀の追加をカコが頼んだのか悟ったからだ。

「お二人の頼みなら、断れませんね」

 と、ちょっと困った笑顔を浮かべた。そのままカコの隣に腰掛ける。

「お素麺いただくのなんて、本当に久しぶりだわ」

 土曜日の昼下がりは二人とも道草をして、こんな「あり得ない場所」で昼食をとる。


 いただきます、と素麺を一口啜った彼女にカコが尋ねた。

「ずっとここで働いているんですか?」

「いいえ。あたしは本来は旅客だから」

 彼女は目を伏せて素麺を口に運ぶ。カコとミライは慌てて謝った。

「ご、ごめんなさい」

「いらっしゃいませ、なんていうから、ここで働いているのかと思って」

「いいのよ。あたしだって楽しかったわ。久しぶりにお店のまねごと出来て。

 あたし、昔はお店やってたのよ」

 一緒に食べて、と促す彼女と一緒に、カコとミライはまた箸を伸ばす。きりっと冷え切った素麺をつゆにつけて舌から喉に通す。流れていく冷たい夏の風物詩。

 白いブラウスに黒いチョッキ、腰回りから脚までぴったり包む黒いズボンにカフェエプロンの女性。もしかして同い年かな、とカコは思う。立って動いていた時はそうも感じなかったけれど、隣に座ると、年齢は自分達変わらないみたいだ。

「あ! 流れ星!」

 車窓を眺めていたミライが歓喜の声を上げた。カコは呆れた声を出す。

「流れ星は大気圏で燃え尽きる宇宙の塵のことよ? 彗星じゃない」

「流れてるから流れ星でいいじゃない」

 はしゃぐミライに、カコもどれどれと車窓から眺める。星の海の中、白い一本の筋が走っているのが見えた。

「素麺みたいね。あっ」

 闇にふっと消えさった光の筋を見て、カコが声を上げた。こわごわ宇宙に目を凝らす。

「燃え尽きたのかな」

「辿り着いたのかもよ。自分の終着駅に」

 素麺の手をやすめて、彼女が言った。

「もしかしたら、この列車と同じ、どこまでもいく乗り物かもしれない」

「この列車はどこまでも行くんですか?」

 尋ねるカコに、彼女は軽く頷いて見せる。

「どこまでも」

「一人で?」

 ミライの質問に目を逸らす。がらんとした食堂車はこの三人しかいない。虚空を走る列車の、規則正しいゴトンゴトンという音だけが聞こえる。彼女は素麺に細かく刻んだネギを足した。一気に啜って、大きく息をつく。

「あたしは一人ぼっちの列車に乗ったから仕方ないの」

 それから素っ気なく。

「この列車は、私しかいないのよ。運転手も車掌も居ないの。不思議でしょ?」

「友達は?」

 ミライが心配そうな皺を眉間に寄せる。

「友達は、いないの?」

「遥かかなたに居る」

 彼女は無表情のまま答えた。

「もう居ない」

「その方は、亡くなったんですか?」

 カコが静かに問うと、彼女は笑った。

「多分、まだピンピンしてるわよ。どうしてそんなこと聞くの?」

「いや、なんか、もう二度と会えないような声を出していたから、つい……。すみません」

 気まずい空気になって黙り込む二人の前で、彼女は低い声で。

「闇のなか」と呟いた。


闇のなか輝く川のほとりで

女は一人 機を織る

岸辺の向かいで牛飼いは

日がな一日眺めおる


一週間が毎週

七の魔術

七つで時の一区切り

七と七とが重なって

白鳥が一日だけ川を渡す


 自分を見つめる二人の視線を誘導するように、彼女は反対側の車窓を眺めた。

「ああ、天の川よ」

 わあっという声がカコとミライの口から洩れた。向こう側の車窓に、真っ白な星の運河が見えたからだ。食堂車の椅子から立ちあがって、二人は窓際に寄る。ミライがきょろきょろと顔を動かした。

「織姫と彦星、どこだろうね」

「地球から見た視線と違うだろうから、判らないわね」

 くるりと振り返ったミライが彼女に笑顔を向けた。

「会いたい? 友達と」

 真正面から突き付けられた質問に、彼女は驚いた顔をして。

「会いたいよ」

 とはにかんだ。その後、暗い声が出た。

「でももう会えないし」

「そうかな?」

 弾むようなステップでテーブルに戻ると、器に残った伸びかけの素麺をすくい取って、立ったままミライが啜り込んだ。

「夢の中で再会したりして」

「夢の中でも再会出来ないのよ」

 彼女は顔をくしゃっとさせて泣きそうになった。

「だってあたしたちが出会ったのって、夢の中なんだもの」


 元港町の昼過ぎを告げる空砲が鳴って、カコとミライは目を開ける。カコが一番初めにしたことは、ミライの足を蹴ることだった。

「イタ!」

 眼鏡の奥から睨みつけて、カコがもう一度ミライを蹴飛ばす。

「痛いって、やめてよ!」

「あんたはいつも踏み込み過ぎなのよ!」

「まさかあれで泣くなんて思わないじゃない! カコはどうしてあの人が泣いたのか判ってるの?!」

 言われて、カコは不機嫌な顔のまま、……知らない、と言った。黙り込む二人。そこによく通る声が割って入った。

「ちょっと! 楽衣! 七夕の短冊は?」

 『 』倶楽部、今日は『七夕祭り』倶楽部の部長である彼女は両手を腰に当ててミライに迫ってくる。そのきつい目つきは、『 』倶楽部担任の蜘蛛先生に段々似てきている気がする。

「ご、ごめんなさい……ちょっとまだ……」

「提出期限は昨日よ! 高校の先輩たちの分も全部つけ終わってるし。あなただけよ、未提出なの!」

「でもどうしてここだって判ったの?」

 カコが訝しむ声を出す。部長はフフンと鼻で笑って。

「勘よ」と言って。

「ううん、嘘。推理!」と胸を張った。

 二人が居た部屋、第二理科室として使われていたこの部屋は、天井から壁まで藍色に塗られて春夏秋冬の星座が所狭しと書き加えられている。少子化のせいもあって殆ど使われることのなくなったここは、別名「星の物置」とも呼ばれている。七夕祭りの準備に狩りだされた生徒達は皆運動場や昇降口に集まって作業中だ。だから。

「こんなところでお昼してるのって、「土曜日の二人」しか居ないはずじゃない?」

 自分の推理の正しさに勝ち誇る部長は、さっとミライに手を突き出した。

「さあ! 短冊! さっさと出して下も手伝って!!」

「……ところで、この短冊って、飾ったら願いが叶うものなの?」

 強張った笑顔で尋ねるミライに、部長は腕を組んで表情を緩めて。

「叶うよ」

 と答えた。

「元々、七夕のお願いはお供えだからね。

 運命の織り手である織女が織りなす歴史のタペストリーに、自分の願いを描いてもらうべく依頼するのよ」

「織姫の伝説は?」

 ミライの言葉を、部長は鼻で笑う。

「親父に駄目だしされて、自分から恋人に会いに行けないだらしない女なんて知らないわ! もし本当に会いたかったら、私なら機じゃなくてロープを編むね。そして恋人のところに行って二人でタダレタ毎日を送るんだ。

 第一、牽牛は何やってんだよアルタイル。お前、鷲なんだから飛んで来いってのよ」

 憤然とする倶楽部長に、ちょっと待ってとミライが短冊を取り出した。

「今、いいこと思いついた!」

 それからミライはゆっくり丁寧に青い短冊に何か書き記して倶楽部長に手渡した。変な顔をして倶楽部長が言う。

「あんたら、一緒にいるじゃないの」

「あたしだけの話じゃなくて」

 どれどれとカコはミライの短冊を見て、フッと鼻で笑う。倶楽部長もつられてニヤッと微笑した。

「そうだね。これはこれで悪くないわね。

 意気地無しの織姫も、きっと喜ぶ」


 三人で、午後の七夕祭りの支度に加わる。お祭りの本番は日曜日の夕方だ。演劇部がお芝居をし、吹奏楽部が演奏し、日中には手芸部や調理部のバザーまである。最後に、願い事の書かれた笹を運動場で燃してキャンプファイヤーするのだ。煙が上って、願いを天に届けるようにと。

 『七夕祭り』倶楽部長の操るロープに乗せられて空高く上り、書記のナナコさんが最後の一枚、ミライの短冊の飾り付けをする。


 離れ離れになった仲良し同士が 再会を喜びあえますように 毛海 楽衣


 雨が降ると体育館で、文化部の発表会になる。キャンプファイヤーは取りやめになる。日曜日晴天になるようにミライは手を合わせる。あの彼女の涙で、空が曇らないようにカコも祈る。


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