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元港町昼食  作者: 白石 薬子
一章 春
12/20

缶詰館の秘密【六月の四週目】

「缶詰館って、どんなとこだろうね」

 ミライはうきうきした声で尋ねた。

「こうやって招待状がくるなんてあんまり無いから楽しみ」

 梅雨のあいまの、久しぶりの快晴だ。土曜日の朝、下駄箱の中に入っていた手紙は上等の紙に金色の縁、それから黒々としたペン字で『缶詰館よりのお誘い』と書かれていた。


 土曜日のお二人様へ

 このたびリニューアルいたしました缶詰館にお越しくださいませ

 理性と知性の終結した叡智の缶詰めは多くの人のお腹をくちく致します

 

「お腹いっぱい食べられるのかな」

「缶詰めなんてそんなお腹いっぱい食べるものじゃないでしょ」

 招待状をポケットにしまってカコは呆れたように言う。

 同封されていた地図の通り、商店街の裏路地に入って行くと、そこには銀色のスチール缶のようなものが立っていた。上の部分はドーム状に盛り上がっている。二人が到着した時は、黄色い重機がその側面に巨大な薄いシールのようなものを貼っているところだった。

「なにこれ」カコが呆れて呟くと、離れて見ていた灰色の作業服を着たおじさんが。

「ああ、これはあの建物の壁紙ですよ」と応えた。

「新しく外側のラベルを張り替えているんです」

「なんの為に?」

「定期的にリニューアルするんですよ、ここは」

 二人は顔を見合わせる。外観や内装を取りかえるリニューアルなら知っている。けれど外側からぐるっとシールを巻きつけるリニューアルなんて聞いたこと無かった。作業服の男は鼻をこすって尋ねる。

「ところで君たちは何しにここへ?」

「招待状を受け取ったんです」

「招待状?」

 怪訝な顔をするおじさんに、ミライはポケットの中からくしゃくしゃになった招待状を手渡した。手紙を開いて三度読み返すと、片眉だけ上げて。

「ははあ、理性と知性ね」と苦笑した。

「確かに缶詰めは、知性と理性の結晶ではあるね。中身が入っていればだけれど」

「空っぽの缶詰めなんてあるんですか?」

 招待状を返してもらったミライが尋ねると、彼は笑って応えずに、代わりに自分のポケットをまさぐった。

「これ、どうぞ」

「缶切り?」

 カコが受け取って、眺める。赤い柄で棒状の小さな缶切りだった。ケーキを作るときに、果物の缶詰を開けたりするのに使ったことがある。大体プルトップなのに、たまに缶きりが必要なものがあるからだ。

「必要なら使って。缶切りが無いと、いざって時に開かないからね。

 さ、入るんだったら早くね。ラベル全部巻いちゃったら、入れなくなっちゃうから」

「あ、ありがとうございます」

 意味ありげな笑みを浮かべるおじさんに二人は挨拶して、ぽっかりと口を開けた入口に早足で向かった。ミライが低い声で囁く。

「なんか今日は、あんまり期待出来無さそうだね」

「まあ、食べられるものは出てくるでしょ。基本的になんでも食べられるし。土曜日のお昼なら」

「そういう問題でも無いと思うけどね」

「いいから、早くいかないとラベル巻かれちゃうよ!」

 肩をすくめたミライの手を掴んでカコは走り出す。館に巻かれるラベルは徐々にその全貌を明らかにしていく。真っ白な色に、沈む夕日と溶けていく夕日が重なった図柄だ。つやつやしたスチール色の入り口から建物に飛び込むと。

「オーライオーライ、ストーップ」

 遠くで声がして、背中に奇妙な圧力を感じた。背中の真後ろで自動ドアが閉まったような感覚。けれどカコもミライも振り返るより早く、館内の様子に目を奪われた。

「わあっ!」

「これ、全部缶詰!?」

 目の前に広がっているのは巨大なホールだ。そこに色とりどりの缶がずらっと壁を作っている。一つ一つが全て同じ形なのに、どれ一つとして同じラベルの缶詰めが無い。明かり取りの窓も無く敷き詰められた缶詰めに目を見張る。

「まさに叡智の結晶だね。世界中の缶詰が集まってるんじゃないかしら」

 感嘆の声を漏らすカコに、ミライは首を傾げた。

「カコ、本当に。本当に、なんかちょっと変じゃない?」

「変って?」

「なんか、よく判らないけれど、ちょっとおかしい感じ」

「やあ、どうぞいらっしゃいました」

 二人の話を遮るように、ホールの向こうから一人の男が現れた。

「土曜日のお二人ですね! わたしがこの缶詰館のオーナーです。

 かの名高いお二人のお墨付きを得られればわたくしどもこれ以上の喜びはございません。どうぞこの缶詰館の美味をご賞味ください」

 高そうなスーツに身を固めた男が愛想よく二人をテーブルに導いた。広間中央に置かれた、二人の為だけの席がなんだかこそばゆい。

「では我々自慢の平和と幸せの缶詰をお持ちしましょう」

 大げさな物言いに、カコとミライはちょっとだけ顔をひきつらせた。

 カコが土曜日の昼下がりは二人とも道草をして、こういったなかなか「あり得ない店」で昼食をとる。


「ねえ、カコ」

 缶詰を取りにオーナーが立ち去った後、ミライが鼻をひくひくさせてから訝しげに言った。

「缶詰って、選べないのかな」

「え?」

「これだけたくさんラベル貼ってあるのに、選べないっておかしくない?」

 ミライの言葉にカコもぐるりと周囲を見渡す。缶詰だ。隙間なく缶詰がある。どれを見ても食欲がわきそうな赤と写真で彩られている。

「どれか選ばせてもらってもいいと思うんだけどね」

「ん?」

「お水も出てこないしね」

「ん」

 カコは上の空で宙を眺めている。ずらっと並べてある缶を。何考えてるのよ、と拗ねるミライに、不服そうに顎を突き出して肘をついた。

「ミライの違和感。

 私にはよく判らないんだ。ところで」

「ん?」

「なんでさっきから鼻をくんくんやってるの?」

「なんか、変なにおいしない、ここ」

「さあ、お待たせしました、お待ちかねの缶詰でございます」

 また二人の会話を遮るようにして、声の掠れたにこやかな中年男が、美しい白磁の皿の上に置かれた缶詰を差し出す。ミライが変な顔をしている。鳩とオリーブが描かれた缶の表が見える。

「これ、なんですか?」

「鳩とオリーブの水煮缶ですよ」

「てっきり、開けてきてくれるのかと思った」

 難しい顔をしたミライが缶を取りあげてふんふん嗅ぐ。

「なんか腐ったにおいしない?」

「缶詰から腐ったにおいするわけないでしょ」

 呆れたようにカコは言ってから、もう一度改めて部屋の缶をぐるっと見回す。

「あそこに飾ってある缶詰って食べられないの?」

「あれは食べられません」

 素っ気ない返事にカコは口をつぐむ。ここまで冷ややかに断られたことなんて今まで無かったから、それ以上聞くのが怖くなる。ミライは不機嫌な表情を露わにして。

「なんで食べられないの」

「あれは備蓄分だからです。貧しい人が現れたら手渡す分だからなのです」

「え?」

 思いもかけない言葉に、今度はミライの声が出なくなる。そうか。そうだよね。缶詰だもんね。頬が熱くなる。優しい声で中年男はミライに囁いた。

「飢えで苦しむ人の為に缶詰は用意されているのです。決してただ興味を満たすだけのために作られているわけではありません。例えば、あなたの食い意地のためとかにね」

「……そうですね」

 なんて恥ずかしいことを言ったのだろうと突っ伏してしまいたくなる。今まで自分が感じていた奇妙な感覚がすうっと遠のいていく。食べられない誰かに想いを寄せられなかった自分はなんて恥ずかしいんだろう! その照れ隠しもあって、ミライは素朴な疑問を出した。

「例えば、どんなところに出荷してるんですか?」

「え?」

「世界にたくさん困ってる人、いますよね。例えばこの国にも。最近の大きな地震で食べることもままならない人もいたって聞きました」

「世界中で飢えているたくさんの人達に配っているんだよ。君なんかが知らないような国もたくさんある。そういうのは自分で勉強するべきだと思うよ」

 ふんわりした返答にカコは微かに頷く。けれどミライの疑問はまだ解けない。ちょっと考えてぽんと手を打った。

「ああ、そうか。困ってる人はもう居ないんですね」

「え!?」

 ギョッとした顔でカコがミライを見る。そんなわけないでしょ、今も世界のいたるところで飢えている人はいる。この国の中だって、餓死の話が出始めているくらいじゃないか。それでもミライは平気な顔だ。だって見てよと壁の缶詰を指差す。

「もし缶詰がいろんなところに配られているなら、ここにある缶詰も減っているはずでしょ? でもびっしり天井まで積み上がっているんだもの」

 確かに缶詰は隙間なく積んである。この数十年動かされた跡など無いように。オーナーはまたも冷ややかに言う。

「ああ、それは見本ですから」

「さっき備蓄分って……」カコが口を挟もうとすると。

「備蓄分はもうどんどん飢えている人に配布しているのでここには無いのです。だからここには見本を置くしかないんですよ」

 確かに筋は通っているように思える。でもころころ変わる言葉に、どうも二人は腑に落ちない。ただ勧められるまま缶を手に取って、それから二人顔を見合わせた。カコが問う。

「これ、中身入ってますか?」

 軽い。何も入っていないみたいに軽いのだ。縦に横にと持ち帰るカコとミライに、男はさも当たり前というように。

「入ってますよ。美味しい香りが入っています」

 と説明した。

「この鳩とオリーブの水煮缶はすばらしい缶詰なのです。まずこれは一斉に作ることによって、環境汚染になっている二酸化炭素の量を二十五パーセント減らすことが出来ます。更に香りだけを閉じ込めることで軽く、かつ香りだけなので絶対に腐らないという長期保存が可能な品物なのです」

「でも、こんなこと言うとなんか意地汚いみたいですけれど、香りだけじゃお腹いっぱいにならないですよね」

 おそるおそるミライが言うと、それは一笑に伏された。

「あなたはそのようにおっしゃいますがね。この飽食の国で食べないと死ぬなんてことがありますか? 世の中にはもっと飢えて苦しんでいる人がたくさんいるんですよ? 時には香りだけ楽しんで、誰かに分け合うことが大事じゃありませんか」

「でも、被災地や困っている人にもこの缶詰が送られているんですよね。この。

 いい香りしか入っていない缶詰が」

 ミライの言葉に、男は急に馴れ馴れしいにやにや笑いを浮かべる。

「そうだ。付け合わせにホワイトラディッシュの若芽はいかがですか? もちろん安全は保障されていますよ」

「缶詰を御馳走してくれるんじゃなかったんですか」

「もちろん! しかしあなた達が足りないというのなら、おまけしないといけませんからね。

 ここで扱っているのは、無駄を切りつめた効率のいい品ばかりです。決して腐らない理想の缶詰。

 さ、どうぞお召し上がりください」

 威圧的な笑顔に、改めて手に取った缶詰を見る。缶詰の裏にはプルトップがあって、引けば簡単に蓋が開く。けれどカコは手を止めた。

「さっき、絶対腐らないって言いましたよね」

「ええ」

「それじゃあなんで、この缶詰少し膨れているんですか?」

「北欧の方にそういう缶詰がありまして……」

 はーっ、とカコの口から深いため息が出た。ミライも気まずそうな顔をしてチラチラカコを見ている。時計の秒針が一回り。静まり返ったホールでカコは告げた。

「結構です、ごちそうさまでした。もう帰ります」

 カコが椅子から立ち上がると、ミライも眉を顰めてそれに倣う。オーナーはにやにやしながら。

「缶詰、召し上がらないんで?」と首を傾げた。

「ああ、もう結構です。帰ろ、ミライ」

「うん。ここ、なんか腐ったにおいするしね」

「帰るって、どこへですか?」

 オーナーは肩をすくめる。ニヤニヤが止まらない。

「ここに出口なんてありませんよ? ちゃんと缶詰を食べてください。テレビや新聞がこの缶詰館のことをほめたたえているんですよ? 低リスクミドリリターンで、みんなのお腹が膨れるんです。その中のガスを吸ってごらんなさい。吹き飛ぶほどのガスでお腹がパンパンに膨れますよ」

 はっとして入口のあったところを振りかえると、さっきまで無かった扉があった。立体感の無い妙にぺらぺらの、描かれたもの。触ってみるとカチカチに固かった。

 ――閉じ込められた!

 カコの額からどっと汗が噴き出す。滅多に無い事態にミライを見ると、彼女は長い自分の髪を後ろで結わえて。

「カコ! アレ!」と手を伸ばした。

 ハッとしてポケットを探ると、さっきの缶切りが手に当たる。すかさずミライに手渡す。ミライはにやっと唇の端を曲げて缶切りを咥えると、そそり立つ缶の壁を上り始めた。

「その丸天井からどうやって抜け出すと言うんだ! バカな真似はよせ!!」

 下からオーナーが叫ぶ。ミライは缶の凸凹に指を立てて必死に壁を上って行く。上って行って、一番初めに覚えた違和感の理由が判った。

 この缶は全て同じ缶詰だ。

 どれも全く同じ、鳩とオリーブの水煮。ただラベルが違うだけ。形も大きさも同じ形で、ラベルだけがリニューアルされている。

 やがて辿り着いた天井で一息つくと、口から缶切りを取り出して、天井と壁の境目めがけて突き刺す! イライラしながらミライの様子を見ていたオーナーが悲鳴を上げた。

「やめろ! 中のものが漏れてしまう!! そんなことは止めるんだ!!」

 カコはテーブルの上の缶詰を手に取って、よたよたと駆けだすオーナーに回り込むと、プルトップを引いて蓋を開けた。ほんのちょっとの隙間。その隙間から猛烈に強烈なにおいのガスが噴き出して男にぶち当たった。たまらず男は吹き飛ばされて壁に当たる。それとミライの持っていた缶切りが天井に穴を開けるのは同時だった。

 ぼかぁ―――――――――――ん!!

 強烈な音と共に天井が吹き飛ぶ。その圧力に巻きこまれてカコもミライも遠く空まで吹き飛ばされてしまう……。


 元港町の半ドンが鳴り響く。

 青空をくるくる回りながら二人が落ちたのは、丘の柔らかい草原の上だった。

 虚脱した二人の耳の奥はまだじーんとしていて、ほとんど音なんて聞こえない。自分の手のにおいを嗅いで、ミライが泣きそうな顔になった。でもカコの顔を見て笑っていいのかいけないのか悩んだような顔になった。カコが首を傾げる。ミライは自分の目の周りで二つ円を描いてみせた。

「!」

 慌てて顔を抑えるカコ。けれどいつも顔にあった眼鏡はどこへいったのか。目を瞬かせて慌てて探し始めるカコに、ミライはけだるく言った。

「無理だよ。あたしの見える位置でも、無いもの。どこかに飛ばされちゃったんだよ」

 愕然としてため息をつくと、強烈なにおいにカコは大きくせき込む。心配そうにミライが言った。

「丘の下に、小さな沢みたいなの無かったっけ? あそこでちょっと洗おうか、手とか顔」

「下水道みたいになってるアレ? 厭よ。早くシャワー浴びたい。帰る」

 半泣きのまま立ち上がったカコがふらふらしているから、ミライが慌てて駆け寄って肩を貸した。

「とんだ招待状だったね」

「……そうね」

 忌々しそうにカコは言うと、ミライの肩に頭を乗せて「死にたい」と囁いた。

「缶詰館の天井、ドーム状になってたのは、あの缶詰館の中身がすでに腐ってたからなのね。だからちょっとつついただけで、天井が吹き飛んだのよ」

「うん、いまだにひどいにおいだね。あれで飢えている人を救うっていうんだからね」

 ミライは虚ろな声で応える。

「ほんとうに、嘘つきの缶だよ」

 青空の下で、心地よい風が吹く土曜日の昼下がり、最悪の気分で二人は家路をたどる。ミライはまず、眼鏡を無くしたカコを、家に届けなければならない。自宅に帰るのはそれからだ。道行く人に鼻をつまんで避けられる姿を横目で見ながら、心の底からみじめな気持になる。

 二人で汁を垂らしながらとぼとぼと進む道沿いの家から、窓を閉めるきつい音が聞こえる。幸福な食後の一時を邪魔する胸の悪くなるにおいがする。

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