めざせウィンブルドン!
ウィンブルドンそれはテニスをやるものなら誰でも憧れる場所だ。グランドスラムで最も古い百二十年の伝統を持ち、その芝は二週間行われるウィンブルドン選手権を行うためだけに一年間手入れがされるという。優勝すれば八十五万ポンド(日本円でおよそ一億三千五百万円)が与えられる。まさに富と名声が与えられる大会だ。
ここに一人ウィンブルドンを目指すものが一人現れた。名を木村太陽という。ラケットなど一度も触ったことが無いのだが、先ほどたまたま見たウィンブルドンの試合中継を見てウィンブルドンを目指そうと決意した君塚高校一年木村太陽(十六)のただの馬鹿の話である。
◇
君塚高校のある休み時間のある教室で二人の変態が暑く語りあっていた。
「だからすげえんだって。すげえからお前もやろうぜ」
「太陽くん。君はこの会話中ですげえを十四回も使いましたよ」
木村太陽の親友金本宇宙はため息を吐きながら右手でメガネを押し上げた。
「いや。本当にすげえんだって。だからお前もやろうぜ。すげえからさ」
「だいたい。僕はゲームのテニスならウルトラハードでクリアできる実力派ありますが、リアルではやったことがないですよ」
「それで十分だって。すげえじゃん。お前。そんな感じでいいからさ。頼むよ」
「それにこの学校にはテニス部なんて存在していませんよ」
「え……まじで」
「はい。僕の調査ですと、十年前に当時の部長の消しゴムの万引きが原因で一ヶ月の活動停止になり、その後、再開はしたのですが、思うように部員が集まらずに自然消滅したようです」
「お前相変わらず詳しいな」
「僕に分からないものはありません。ご希望なら校長のカツラのブランドから、担任の奥さんの生い立ちまでなんでも分かりますよ」
金本宇宙はこの学校の情報屋だ。彼に知らないものはない。
「すげえな。じゃあその情報能力で部員集めも頼むよ」
「なぜですか?」
「無いなら作るだけだろ。な。よさそうなやつピックアップしてくれよ」
「相変わらず唐突ですね。いいでしょう。僕の能力を見せてあげます。しばしお待ちを」
宇宙は机の上に置いてあるノートパソコンを開き、キーボードを打ち始めた。その間に太陽は近くにいる幼馴染み声をかけることにした。
「おーい。月陽」
「何! 気安く話しかけないで、私忙しいんだけど」
友人と談笑していた太陽の幼馴染み坂本月陽はトレードマークの三つ編みを振って怒りを顕にした。
「すぐ、済むって」
「何なの?」
「あのな、俺テニス部作ることにしたからお前も入れよ」
「はあ~。なんでテニス? しかも作るって? それに私、もうバドミントン部に入ってるから無理だし」
「バドミントン部は今すぐ止めろ。副キャプテンにしてやるからさ」
「なんで止めなきゃならないのよ。だいたい私テニスなんてやったことないし」
月陽は学級委員のように堅い女だ。実際、月陽は学級委員だった。三つ編みも学級委員だから三つ編みに決まってるでしょという理由だ。太陽には意味がわからなかったが。
「バドミントンと対して変わらないだろ。大丈夫だって」
「あんたテニス舐めてるでしょ。そもそも人生舐めてるでしょ」
「舐めて無いって、いいから頼むぞ」
「え。ちょっと」
うるさい月陽を放って置いて、宇宙の元に戻った。
「できたか?」
「大体はオーケーです」
「まずはコーチだ。誰かいないか経験者が」
「一人います。ただ、中学時代に怪我をしてから今休業中のようですが」
「それで十分だ。行くぞ」
「行くってどこにです」
「その経験者のとこにだよ!」
太陽は当然だろという顔で宇宙に怒鳴った。
「正気ですか」
「俺はいつも正気だ。いいから行くぞ。案内しろ」
「まったく……」
そう言いつつも宇宙は仕方がなく、太陽についていくことにした。こうなった太陽は誰にも止められないことが分かっているので、諦めることにしたのだ。
◇
太陽と宇宙はとある教室の前にいた。
「彼女がその経験者です。北村空。かつては全国まで行ったプレイヤーだったらしいのですが、ボーリング中に隣のレーンの流れ弾に当たってしまい、腕を複雑骨折、現在怪我は治ってはいますが腕が肩より上にあがらないそうです」
「どういう状況で怪我をしたのか。詳しく聞きたいが。まあいい。行くぞ」
「やはり本当に行くんですね……」
「当たり前だろ」
太陽は他人の教室にまるで自分の庭のようにずかずかと入り込んだ。当然クラスの連中には異物が入ってきたような目を向けてきたが、太陽はお構いなしに目標に向かった。
「よお」
「……」
「よおって」
「ワタシに話かけてんの?」
北村空は男のような短い髪を振ってこちらに視線を向けてきた。その視線はとてもきつい。これが、数々のテニスプレイヤーを沈めてきた目なのかもしれない。
「そうだ。北村空ってお前のことだろ」
「そうだけどワタシに何の用?」
「俺、この学校でテニス部を作ることにしたんだ。だから、入ってくれないか?」
「なんでテニス部作ろうとしてんのか知らないけどさ。ワタシは入んないよ。悪いけどワタシ怪我してんの」
「ああ。知ってる。それでいいから頼むよ」
「それでって怪我してんの。分かる?」
北村空は軽く、右手を肩の少し前まであげた。どうやらそこまでしかあがらないらしい。どうやら噂は本当のようだ。
「ああ。分かるよ。怪我は治ってるんだろ。頼むよ。一緒にウィンブルドン目指そうぜ」
宇宙はよくこの男は恥ずかしげもなく、ウィンブルドン目指そうぜなんて言うのだろうかとある意味尊敬してしまった。
「あんたウィンブルドンがどんな場所なのか知ってるの」
少し、空さんは怒っているようで語尾が幾分強かった。確かに馬鹿みたいな男が馬鹿みたいにうぃんぶるどんなどと言っているのだ。怒るのも当然だろう。
「ああ。昨日見たから知ってるよ。馬鹿にすんな。ロンドンにあるんだろ」
「昨日見たって……」
「じゃあ。頼むぞ。放課後にテニスコート集合な。来なかったら迎えに行くからな」
「え! あ、ちょっと」
太陽はまるで納得していない空を突き放して、教室から出た。
◇
北村空の教室から出て、再び太陽と宇宙は自分の教室に戻った。
「えーと。次は?」
「あの……太陽?」
「なんだ?」
「本当に集めるの?」
「当たり前だろ。早く次だ。ウィンブルドン目指すには時間が無いんだ」
「……」
宇宙は数秒の内に太陽にテニス部再建を諦めさせる方法を四十四万通り考えたが、どの方法もうまく行かずに諦めた。
「どうした?」
「いえ。次はですね、スピードのある人を入れましょう」
「おお、いいな頼むぜ」
◇
太陽と宇宙は校舎から出て、校庭の前に来ていた。校庭では野球部とサッカー部、陸上部にアメフト部、カバディ部が練習をしていた。
「十文字夏美。将来有望の短距離選手です。県記録保持者でもあり、高校生とは思えない体型が有名でミスロリとしても有名です」
見ると、小学生とも見える女の子がツインテールをふわふわと揺らして走っている。
「なるほどな。キャラとしても素材として十分だな。よし、行くぞ」
躊躇なく、練習中の十文字夏美に近づいて行った。宇宙はこの人は度胸があるのか。ただのアホなのかどちらなのか考えた。二秒考え、ただのアホだと結論づけた。
「おい。止まれ。お前十文字夏美だな」
「……」
「だから、止まれって俺が疲れるだろ」
太陽は十文字夏美と並走しながら、話しかけていた。
「はあ。はあ。なに? ボク練習中なんだけど」
「すぐ済む、だからよく聞け。あ、おい」
十文字夏美は太陽を置いて走りだした。太陽も負けずに夏美を追った。
「なんで、走るんだ」
「はあ。はあ。なんでついて……これるの? ボク全力ではしってるのに、しかも息もきれてないし」
「いいから、聞け。あのな。俺な、あ……おい!」
止まったかと思うと夏美は再び走りだした。当然、太陽も夏美を追った。
「待てって」
太陽は夏美をものすごい速さで追いつき、捕まえた。
「だからなにー! ボク練習中だって言っているのに」
夏美は激怒していたが、全く怖くなかった。むしろ可愛かった。
「だから、すぐ済むって、俺な、テニス部を作ることにしたんだ。だからお前も。っておい!」
夏美は再び走りだした。太陽はすばやくウィークポイントのツインテールを両手で掴み、鹵獲した。
「だから、なんで走る」
「ぜい、ぜい、ぜい……痛いよー。掴まないでよー」
「おい。何とか言えって」
「しゃべれない……んだって……なんで君付いて来れるのさ」
「それはお前の足が遅いからだ」
「がーん」
夏美はショックを受けていた。こんな訳の分からない男にお前は遅いなどと言われたのだ。ショックを受けるのは当然だろう。
「俺に勝ちたかったら、テニス部に入るんだ。放課後待っているからな。絶対に来いよ。出ないと、お前は一生俺に負けたことになるからな」
「がーん……」
「聞いているのか」
夏美の焦点が定まっていなかった。余程ショックらしい。
「とにかく、放課後、テニスコート前集合な。頼むぞ」
「あんたすげえわ」
「何がだ」
「いえ。なんでもないです」
改めて宇宙は感心していた。いろんな意味で……。
◇
太陽と宇宙は柔道場の前にいた。ここに次の部員がいるのだ。
「では次はパワー系を入れましょう。柔道部のホープ徳川大地。日本代表に選出されたこともあるのですが、高所恐怖症で飛行機に乗れず日本代表は断念したようです」
「よし、行くぞ」
何の躊躇もなく、柔道場に入っていく。この人はたぶん人間として何かが欠けているような気がすると宇宙は思った。
「おい。徳川大地はどこだ」
「誰だ? お前?」
近くに居たモヒカンの柔道部員が怪訝な顔をしていた。ごもっともです。
「俺が最初に質問しているんだ。徳川大地はどこだ?」
「大地ならあそこだけど、だからお前は誰なんだよ」
「ありがとう、林君」
「おい。勝手に入るな。それに俺は林じゃねえぞ!」
太陽は坊主頭の柔道部で一番ごつい男の元へと向かった。
「おい。寝技中悪いが、話がある」
「……誰だ」
徳川大地は相手の足を締めながら、こちらを振り向いた。さすがは格闘家の目だ。鋭い。
「そのままでいいから聞いてくれ。俺はテニス部を作ることにしたんだ。だからお前も入れ」
「……なぜだ?」
「ウィンブルドンを目指すためにパワーのある選手が欲しいんだ。頼むよ」
「……意味がよくわからなかったんだが、もう一度頼む」
「ウィンブルドンを目指すためにパワーのある選手が欲しいんだ。頼むよ」
「……意味がよくわからなかったんだが、もう一度頼む」
「ウィンブルドンを目指すためにパワーのある選手が欲しいんだ。頼むよ」
「……意味がよくわからなかったんだが、もう一度頼む」
「ウィンブルドンを目指すためにパワーのある選手が欲しいんだ。頼むよ」
「……意味がよくわからなかったんだが、もう一度頼む」
(中略)
「……」
「ウィンブルドンを目指すためにパワーのある選手が欲しいんだ。頼むよ」
五十二回程、同じやりとりを繰り返していた。忘れそうになりそうだけど、大地君は寝技をかけている最中です。
「それは……もういい。お前がウィンブルドンを目指していて、オレにテニス部に入って欲しいということはわかった。分かったが、なぜオレがテニス部に入らんといかんのだ」
当然の理由であった。
「それは。よし、宇宙頼む」
「え! ここで振るのですか……いいでしょう。お任せください。理由はこの学校であなたが一番パワーがあり、あなたなら練習次第で二百キロを超える最速最強サーバーになれる素質があります。それが理由です」
「……意味がよくわからなかったんだが、もう一度頼む」
「このやりとりは不毛です。止めましょう」
「……そうだな」
大地は少し、残念そうに見えた。
「とにかく、放課後にテニスコート前に集合な。待っているからな」
「おい! オレは行かないぞ」
「コーラとハンバーガー食べ放題ですよ」
ぼそっと宇宙がつぶやいた。宇宙は彼の弱点は全てお見通しであった。
「本当か……」
「ええ」
「いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいや。その手には乗らんぞ」
大地は寝技の相手を振りながら、首を振っていた。
「待っていますよ。炭酸たっぷりのコーラ……肉汁たっぷりなハンバーガー」
「ぐぬぬぬ」
「では邪魔したな」
太陽と宇宙は苦悶の表情をしている大地を置いて、次なるメンバーを探しに柔道場を後にした。
◇
再び、自分の教室へと戻った。
「次は、この学校の天才を入れましょう」
「なんだそれは?」
「この学校には部活の掛け持ちをしている人がいるのですよ。その人が入れば、勝てない試合も勝利し、解けないパズルも解けると言われています。報酬は取られますが」
「報酬?」
「報酬は僕が用意しますので、ご心配なく行きましょう」
疑問は残りつつも、天才と呼ばれる人物へと向かうために教室を後にした。
◇
体育館前の自動販売機前で頭が金髪な男を見つけた。
「あの人です。長谷川隼人。学校のなんでも屋と言われ、どんなスポーツでも少しやっただけで、プロ並みにこなせると言われています」
「それはすげえな。よし、行くぞ」
「おい。ちょっといいか」
「おたく誰?」
「俺は、木村太陽ウィンブルドンを目指している男だ。こいつは金本宇宙、二次元を目指している」
「はあ? で何のよう?」
だんだん分かってきたが、みんな同じ反応をするなと宇宙は思った。
「お前に依頼を頼みたい。なんでも屋なんだってな」
「そうだけど? 何やるの?」
「俺はウィンブルドンを目指すためにテニス部を再建することにした。お前にはその手伝いをしてもらいたい」
「ふむふむ。つまり部員になれってか」
自動販売機で買ったサイダーを振りながら、長谷川隼人はうんうんと頷いていた。
「そうなるが、別に助っ人要因でも構わない」
「別にいいけど、ただ報酬はもらうかんね」
長谷川隼人は振ったサイダーの缶の蓋の上に画鋲で穴を開けて、ちびちびとサイダーを飲み始めた。なんだ。その奇妙な飲み方は。
「報酬?」
「うん。デリシャス棒」
「デリシャス棒……」
有名な某駄菓子。この何でも物の値段が上がる世の中で十円という金額を維持している奇跡のお菓子だ。
「試合なら一試合に付き、十棒かな」
「それでいいのか」
「うん」
「契約成立だな。とりあえず今日の放課後、テニスコート前に来てくれ」
「りょーかい! んじゃ放課後にねー」
長谷川隼人はどこかにいってしまった。あれがビジネスライクか。
「成功しましたね」
「そうだな。あっさりと」
太陽と宇宙は拍子抜けをしていた。とりあえず、喉が乾いたので自動販売機でジュースを買って、しばし休憩をした。
◇
「何か疲れてきたな」
太陽は自動販売機に凭れかかって呟いた。
「そうですね」
「もう一人くらい欲しい所だが……うーむ。お、あいつでいい」
アホそうな女の子を太陽は発見した。
「おい。お前」
「うちですか」
「そこにはお前しかいないだろ」
「確かにそーですね。なんですか?」
「ここから先にテニスコートがある。悪いが、今からそこに行って立っていてくれないか」
「うちは構いませんけど、ちょっとうち馬鹿なのでよく分からないです」
「お前は考えなくていい。いいからさっさといけ」
「は、はい……」
名前も知らない女の子はテニスコートに向かって行ってしまった。疑問に思わないのだろうか。
「あれでいいんですか」
「ああいったタイプは三ヶ月後くらいにそういえば、うちってテニス部に入ってる? という疑問をもつくらいでちょうどいいんだ」
「そういうものですか」
「そういうものだ。とにかくメンバーが揃ったぞ。これでウィンブルドンが目指せる」
「本当にウィンブルドンが何か分かってるのかな。この人は」
宇宙は思わずモノローグが声に出てしまった。
◇
放課後。テニスコート前。
「みんなよく集まってくれた。これよりテニス部は活動を再開する」
太陽は当然だといった顔しているが、予想外に全てのメンバーが集まっていた。元バドミントン部の坂本月陽に爆弾を抱えたテニスプレイヤーの北村空。元陸上部の十文字夏美に元柔道部の徳川大地。それに加えて、なんでも屋の長谷川隼人に近くを歩いていた見事なアホ毛の少女。
「それより、説明しなさいよ!」
「見に来ただけだ」
「ボク、負けてないからね~。勝負! 勝負!」
「おい! コーラとハンバーガーはどこだ!」
「集まってあげたんだからさ。三デリシャス棒ねー」
「あの~。うちいつまで立っていればいいんでしょうか」
口々に不満を言い始めた。
「だまらっしゃい! 我々、テニス部はウィンブルドンを目指す。そのためには一分一秒でも時間が惜しいのだ」
「その前にさ。君の実力みせてほしいんだけどさ」
北村空が挑発的に太陽に言った。
「いいだろう。俺の渾身のウィンブルドンサーブを見せてやろう」
「ぐふ…ぷふっふふ」
宇宙はここは笑ってはいけないと思ったのだが、笑いがこらえられなかった。なんだよ。ウィンブルドンサーブって。この人は真面目に言っているから余計に笑える。太陽は本気でそう思っているのだ。本気で。
太陽は一人コートに立ち、構えた。左手でボールを掴み、トスをあげた。ボールは宙へと舞い上がり、太陽の持ったラケットの軌道は一目散にボールへと向かった。
「おお! ……」
どよめきがあがった。太陽のラケットは大気を切り裂き、全ての時を止めた。テニスボールは太陽の足元をあざ笑うかのように転がりまわり、コートの外で止まった。
「……。君、空振りって」
太陽はサーブを見事に空振りし、全てを成し遂げたかのように仁王立ちしていた。これがウィンブルドンサーブなのか。宇宙には全くの対極にあるものに見えた。
「もしかして、君、テニスしたこと無いなんて言わないよね」
「俺は……」
「お、おお」
「俺は……今日、初めてラケットを握った」
「やったことないんかいー!!」
みんなの声が重なり木霊した。これが、君塚高校のテニス部の始まりであった。
熱血スポコンコメディーを目指しました。よろしくお願い致します。
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