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ガチ稽古

 放課後の和室。そこには、昨日までの「ゲーミング茶会」の喧騒が嘘のような、静謐を通り越して「凍結」に近い空気が流れていた。部員全員が正座し、一筋の私語も許されない。その視線の先には、一人の老婦人が座っていた。楠シズ。舞の祖母であり、楠流の現家元。その背筋は定規を当てたように真っ直ぐで、穏やかな微笑みを湛えているが、眼光だけは名刀のような鋭利さを失っていない。


「……あ、あの。お、おばあ、あ、先生。本日は、わざわざご足労いただき、恐悦至極に存じ上げ奉ります……」


 聞き慣れない、蚊の鳴くようなか細い声がした。発信源は楠舞だ。いつもの「イエーイ!」という騒々しさは微塵もない。髪はきっちりとまとめられ、膝の上で揃えられた指先は小刻みに震えている。僕はその様子を、いつもの鉄面皮を維持したまま、心の内で深く観察した。舞は祖母が来るといつもこうなのだ


 舞の祖母は時々、うちの高校に茶道を教えに来てくれる。しかもタダで。別にこれは舞が実の孫だからとかではなく、舞や僕が入学する前から行われている地域奉仕の一つだそうだ。


「舞。言葉が不自然ですよ。普段通りになさい」

「は、はいっ! 普段通り……そう、普段通りですわ! ほほほ」


 舞の引きつった高笑いが和室に虚しく響く。僕は横に座る佐々木をチラリと見た。彼は案の定、真剣な顔でメモを取っている。『部長……。楠先輩のあの喋り方は、古式の、何か、特殊な秘伝の呼吸法なんですか?』


 そんなわけがあるか。ただの「猫被り」だ。それも、虎がシャムネコのふりをしているレベルの無理がある。


「柊君」


家元に名前を呼ばれ、僕は居住まいを正した。


「はい」

「一か月ぶりでごめんなさいね。最近足腰が弱くなって。舞が迷惑をかけていませんか? この子は昔から、目を離すとすぐに伝統に余計な色を塗りたがる」

「……いえ。彼女の独創性には、部員一同、日々『刺激』を受けております」


 僕が最大限のオブラートに包んで答えると、家元は満足そうに頷き、舞に視線を戻した。ちなみに今、シズさんは正座をしているが、本人の言う通り、足腰が弱い人用のとても小さな椅子、『正座椅子』を使っている。これを使うとぱっと見は正座をしているように見える


「舞。柊君のような落ち着いた方が部長で良かったですね。ほら、せっかくですから、皆様にお茶を点てなさい。家元代理としての所作を見せてあげなさい」


 舞の顔から血の気が引いた。昨日、彼女が点てたのは『抹茶味のお湯』だ。さらにその前は『抹茶ラテ』たしかその前は『炭酸抹茶』という名の劇物を作ろうとしていた。  舞はロボットのようなぎこちない動きで茶釜の前に座った。


「……楠」


 僕が静かに声をかけると、舞が「ひいっ」と短い悲鳴を上げた。


「何かな、部長……? 私、今、とっても集中しているのだけれど……」

「そうか。今日の君は、まるで『静寂』を具現化したような、素晴らしい副部長だな。昨日、茶釜の隣で七色に光るランタンを振り回していた人物と同一人物だとは、到底信じられない」

「ちょっ……! 弦、今その話は……!」


 舞が必死に目配せしてくる。家元の前で「ゲーミング茶会」の話が漏れれば、彼女の命(とお小遣い)が危ういのだろう。しかし、攻勢を緩めるつもりはない。


「倉本、君はどう思う。今のしおらしい楠を」

「えっ、あ……。は、はい。舞先輩、とっても綺麗で……まるで別人のようです」 「だろう? まるで『中身が入れ替わった』か、あるいは『高度な教育を受けた猿』を見ているような気分だ」

「弦! 言い方!!」


 舞が思わず素の声で叫び、ハッとして口を押さえた。家元の眉がピクリと動く。 「舞。叫ばないの。……それから、お点前が止まっていますよ」


「申し訳ございません、おば、先生……!」


 舞は再び、借りてきた猫……いや、借りてきた深海魚のような暗い表情で茶筅を振り始めた。その様子を見かねたのか、佐々木が純粋な好奇心で追い打ちをかける。


「先生。楠先輩は、家ではいつもあんなに雅なんですか?」

「ええ。家では……そうですね。基本的には大人しいですが、時折、部屋から『重低音』が漏れてくるのが悩みどころですわね」


 家元の言葉に、和室が凍り付いた。舞の肩が、目に見えてガタガタと震え始める。 (……楠。貴様、家でもトランスを聴いていたのか。隠し通せていると思っていたのは自分だけだったようだな)

 僕は、舞が必死の形相で点てた、人生で一番まともであろうお茶を一口飲んだ。

……苦い。彼女の冷や汗と絶望が凝縮されたような、至極まっとうな苦味だった。


「美味しく頂戴しました、楠『副部長』。……このまま卒業まで、そのキャラを維持してみたらどうだ?」

「……一分で、死んじゃう……」


 舞の消え入りそうな呟きが、西日の差し込む和室に、心地よい敗北感と共に溶けていった。

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