1、再開①
なんだろう...
空は黒く、真っ暗で、今にも飲み込んできそうな空が、街灯のオレンジ色の光に負けて、今が夜だって感じさせない。見慣れてるはずの景色が、いつもと違うような感じがして、目の裏にしっかりと染み込んでくる。そこかしこから、笑い声が聞こえて、胃にくるような匂いが漂ってる。
たくさんの人に抜かされながら、よく通った道を一周、二周と歩いていく。
気付いたときには、大通りから少し外れた道まで来て、目の前には、昔よく通ったお店があった。所々色褪せたり、傷んでいるところもあるけど、ほとんど昔のまんまだ。柱を触ると、昔に戻ってると感じるほど、懐かしい何かを感じる。店の前を歩いていると、ドアノブに「開店」と書かれた札が、垂れ下がってる。左腕につけている時計の時間を確認すると、12時を過ぎていた。いつもなら閉まっている時間に、不思議に思いながらも、それとは逆に、そのことについて興味も湧いてきた。ある時からか、行くのをやめてしまって以来、一度も来てなかったお店。
私はドアノブに手をのせ、開けるかどうか少し迷ったが、すぐにドアを開けた。開けるのと同時に、鈴の音が建物内になり響き、中の人へ、来客が来たことを告げる。そんな中、目に入ってきたのは、何一つ変わってないお店の景色だった。古っぽい木の匂いもそのまんま。その景色を見ていると、目元がだんだん暖かくなっているような気がした。周りを見渡してると、黒い制服に身を包んだ男の人が、窓側の席に座っていた。そして男の人はこっちを見て一言呟いた。
「お前...七海か」
私は、その男を見た瞬間、さっきまで目元に溜まっていた涙が、自然と目からこぼれた。その男は、 私にとって家族と同じぐらい大切な人だった。忘れることの出来ない、死ぬ前にもう一度会いたかった人。海軍士官学校時代毎日のように一緒に通って、これからについてたくさん話した。ぶつかることもたくさんあったけど、その分お互いを知り合って、仲良くなった。そんな一番の親友だったけど、学校を卒業して以来、会うことがなくなった。その日からか、お店に通うこともなくなって、一度も会えないでいた。そんな中、私が明日、明後日には死ぬかもしれない、そんな時に目の前に彼が現れた。いや、自分が無意識に会いに行ったのかもしれない。そんな男が目の前にいる。
「陸人」
「え、お前大丈夫か」
目から涙がこぼれてとまらなかった。拭いても拭いても涙がでてくる。陸人は椅子から立ち上がって、こっちを心配そうな目で見てる。だけど、自分が気づいた時には、陸人は私の近くにまで来ていて、手にはハンカチを持っていた。
「おい。これで涙拭け」
「うん。ありがとう」
私は陸人からハンカチを貰うと、目から流れてる涙をハンカチで拭き取った。貰ったハンカチからは、陸人の匂い。落ち着くような匂いがして、段々と涙が引いてきた気がする。そこから数分、やっと涙が落ち着いてきた。それまで陸人はずっと立って、何も言わずに、心配そうに待っててくれた。
「ありがとう。結構落ち着いてきた」
「そうか?それならいいんだけど」
私はその場で何もせず、ただ陸人を眺めた。やっぱり数年も会っていないと、身長だったり、体格だったり。昔までなかった顎の髭が、今では結構はえてる。それでも、雰囲気は陸人のまま。昔と何も変わっていなかった。それを思うと、目を閉じただけで、昔に戻ってしまうような感覚になる。私はそれがとても嬉しくて、ずっと陸人の事を眺めていた。すると陸人は、何か困ったような表情で、何もないのに、後ろを確認したりしてる。そんな様子でいると、陸人は近くにあった椅子の前にスペースを作って、こっちを見てきた。
「椅子、座るか?」
「うん」
私が椅子に座ると、陸人は厨房の方に入って行った。私は何もすることがないので、部屋の中を、何か考えながら見るでも、じーっと同じ場所を見るでもなく、ただその場の雰囲気を感じていた。すると、ちょっとしないうちに、厨房から陸人が、飲み物の入ったコップを両手に持って、こっちに来た。
「これ水ね」
「勝手に厨房に入ってよかったの?」
「うん?あぁ別に親父に許可貰ってるし大丈夫だよ」
「ん〜、そっか」
そう言って、陸人はコップに入ってる水を飲みだした。そんな傍ら、私はこのお店を経営してるのが、陸人のお父さんだったことを忘れていたことが、少し恥ずかしかった。陸人のことなら何でも知っているつもりだったのが、忘れていたから。陸人とよく一緒にこのお店に通っていたのも、もう結構昔なんだなと。そんなことを考えていると、陸人が急に椅子から立ち上がった。
「七海。何か食べたいのとかあるか?」
「ん〜、別になんでもいいかな」
「なら、余ってる材料で何かしら作ろうかな」
陸人が厨房の方に歩いて行く。私はその背中を厨房の中に入るまで眺めていた。陸人がいなくなっては、話す相手もいなくて暇になった。厨房からは、包丁で何かを切っている音が聞こえてくる。次に聞こえてきたのは、何かを焼いてる音だった。ジューという音が部屋中に響き渡ると、次にくるのは肉の焼けた美味しそうな匂いだった。私は、その匂いに連れられて、厨房の中を見ることが出来る、カウンター席まで近寄った。目の前には陸人がいて、小さな鍋で、肉を焼いている。横には、一口サイズで切られたじゃがいもや人参があった。
「何作ってるの?」
「ん?...ビーフシチュー。昔よくここで食べてただろ」
ビーフシチュー。私がこのお店に来た時、よく食べてた料理。心が温まるような味、それに加えて肉もたくさん入ってて、とても美味しかった。でも、最近ではどこに行っても、ビーフシチューは高い値段で売られてるか、売ってないことの方が多い。物価が上がってて、作るのに結構なお金が必要だから。
「そんなに肉使って大丈夫なの?今結構するでしょ」
「まぁ大丈夫だ。今日でこのお店も最後だしな」
「それって」
「親父も歳だし。だから最後の客がお前でよかったよ」
陸人は黙々と作ってる。私は、この思い出の場所が無くなるのがいやだった。数年もこのお店に来てなかったのに、このお店も今日で終わりと言われたら、やるせない感覚に襲われる。もっと行っとけばよかった、という後悔が。だけどそれよりも、今、陸人と一緒にこのお店の最後を過ごすことが出来て、一緒に昔よく食べたビーフシチューを食べることができる。そんな、普通で、特別なことを過ごすことができることの方が、なによりもうれしかった。