第5話 トリガーは些細なとこに。
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「ここまで来れば、大丈夫ね」
「はい……本当に、ありがとうございます」
僕とニーナは、夕暮れの校舎裏に立っていた。女子寮からの脱出は成功。けれど、心臓のドキドキはまだ収まらない。
彼女の機転がなければ、今ごろどうなっていたか……。
──この人の秘密は、絶対に誰にも言わない。
そう強く決意した僕は、並んで歩き出す。エクス学園の敷地は、想像以上に広かった。
中世の装飾に近未来的な魔術技術が融合した街並み。花壇には見たこともない花々が咲き誇っている。
──これから、ここで生活するんだ。
少しずつ、胸の奥に“期待”という名の熱が灯る。
「着いたわ。ここが男子寮よ」
ニーナが指さした建物は、まるでリゾートホテルだった。木目調の外壁、緑の並木道、ガラス張りのラウンジ──ここが、僕の新しい“家”。
「めっちゃ綺麗ですね……」
「でしょ? さすがエクス学園。……にしても、あなた転校生だったのね?」
「え、あ、はい。それで、寮の場所もよくわからなくて……間違って女子寮に……」
「……そういうこと。なら最初から言ってくれればよかったのに」
「すみません……」
「まあ、仕方ないわ。この学園、ほんと無駄に広いから。女子寮も裏口から入ったんでしょ?」
「……あれ、裏口だったんですか……」
違和感を持たれないように軽口を交わしていると、ニーナがふと僕の顔をじっと見つめてきた。
「ねぇ、なんでそんなに敬語なの?」
「えっ?」
「同級生でしょ? 敬語なんてやめなさい。堅苦しい」
うっ……確かにその通りだけど……女子と話すときって、敬語じゃないと逆に失礼というか、何か……安心するというか……
「わ、わかった……気をつける……よ」
「その調子。じゃないと──いつまで経っても友達できないわよ?」
──その言葉だった。
心の奥の、封印された引き出しが開く音がした。
「……友達、できない」
***
―――中学二年、四月。
クラス替え直後で、教室全体がまだ緊張していた頃の話だ。
誰もが静観しながら様子をうかがっていた。
そんなある日、廊下で友人が何気なく言った。
「なんかこのクラス、全然仲良くないよな……ギスギスしてるし」
ただの愚痴だったと思う。聞き流せばよかったのに、僕はなぜか、その言葉に"使命感"を覚えてしまった。
──クラスを変えられるのは、僕しかいない。
──この空気を壊して、新しい風を吹かせるんだ。
中二病全開の思考。勘違いヒーローの誕生だった。
僕はその日から、自分に“役割”を課した。
それは──「クラスの中心となること」
もちろん誰にも頼まれてない。自称。それどころか、誰もそんなこと望んでなかった。
朝の登校。誰よりも早く教室に来て、ドアの前に立つ。
そして、「おはようございます!!!」と大声で叫ぶ。
返事はまばら。というか、だいたいシカトされた。けど、僕は「みんなまだ照れてるだけ」と解釈していた。
次は“挨拶革命”。ハイタッチだ。
僕は登校してくるクラスメイトに片手を突き出し、
「元気よく、ハイッ!」と笑顔で手を叩こうとした。が、手を挙げる相手は誰一人いなかった。
ある女子には「やめて」と素で言われた。けど、僕は「彼女はツンデレだから」と勝手に脳内で補正をかけていた。
昼休み。隅っこで黙っていた女子数人に「なんかあったら僕が聞くよ」と突然介入。
結果、全員にフルシカトされ、昼食中の空気が冷蔵庫の中みたいに凍った。
極めつけは、ホームルーム中の出来事だ。
当時、僕が“孤立している”と勝手に思っていた男子──奥山くんを見かねて、挙手した。
「先生、いいですか!」
そして、言った。
「みんな、奥山くんのこと避けてるよね!? それって、すごく良くないと思います!!」
……教室が凍った。
次の瞬間、奥山くんが机を蹴って立ち上がった。
「はぁ? 避けられてねーよ! てめーが一番ウゼェんだよ、正義マン気取りが!!」
ドッと沸くクラスの笑い。冷ややかな目。
女子たちはあからさまに引いた表情を浮かべていた。
その日から僕は、“空気読めない正義バカ”“偽善者”として完全に浮いた。
見下していたクラスメイトに笑われ、以前のいじめを思い出して血の気が引いた。
僕に愚痴をこぼしたあの友人も、今や「見てらんねーわ」と鼻で笑う側に回っていた。
全部、自分のせいだった。
少し勉強が出来るだけの自分が“特別”だと思い込んでた。
誰よりも正しく、誰よりも優しい人間のつもりだった。
でも、本当は──誰よりも空気が読めてなかった。
誰よりも、滑稽だった。
***
「……あ、いや、今のはその……」
意識が戻ると、ニーナが死んだ魚のような目で僕を見ていた。
「……これが、あなたの魔法ね」
彼女は言いたいであろう数々の言葉を飲み込んだ、冷静すぎる声が、心に刺さる。
「う、うん。“共感性羞恥”っていう……恥ずかしい記憶を、強制的に見せちゃうスキルで……」
「……地獄のような能力ね。しかも制御できてないでしょ?」
「ごめん……まだ最近、発動したばかりで……」
「魔法は精神を安定させることが最重要よ。この調子じゃ、みんなにあなたの魔法がバレるわよ。取り返しがつかなくなる前に制御しなさい。」
「……はい」
彼女はため息をつきつつ、小さな端末を差し出した。
白く光るその板のようなものはまるで、
「連絡先、交換しときましょ。秘密、共有してるんだから」
「あ、うん……ありがとう」
僕は制服の胸ポケットに入っていた端末を取り出した。異世界版のスマートフォンのようだ。
操作は全部彼女任せになったが、ちゃんと繋がった。
「私の秘密、絶対守りなさいよ」
「もちろん。……墓場まで持っていく」
「ふふ、言ったわね。じゃあ、また明日」
そう言って、金髪を揺らしながら、彼女は夕焼けの中に消えていった。
中身まで、美しい人だったな……。
──僕には、消し去りたい記憶や過去が山ほどある。
見知らぬ土地でただ1人。魔法も、異世界も、まだ全然わからない。
でも、もう大丈夫だ。
この世界で、最初の“味方”ができたから。
異世界生活、一日目。
悪くないスタートだった。