第2章:忘れ香の塔編-第4話:封印の香階
第三記香塔の最上階は、通常の記録官でも立ち入りが禁じられていた。
静華は、香調司の調査権を用いて、事前に申請を出し、わずか一日だけの“内部確認”の許可を得た。
(玲華母さんが最期に訪れた場所……鈴の音が響いたという、記録塔の頂)
塔の上階へと向かう階段は狭く、曲がりくねっていた。
灯りはなく、光は携帯香灯の柔らかな明かりのみ。
途中、香気の濃度が変化する場所がいくつかあった。
(……隠し香。入室を防ぐために、意図的に“拒絶の香”を焚いてある)
軽い吐き気や眠気を催す香だったが、静華は香濾布を口元に当て、慎重に進んでいく。
やがて階段は途切れ、黒漆塗りの古い扉が現れた。
そこには、封印香の痕跡と、誰かが残した刻印があった。
《香留之印》――
「記録を止め、香を封じる」意味を持つ、古式の封印。
(やっぱり……ここに何か“封じられていた”)
静華はそっと香包を開き、玲華が遺した“無名香”の小壺を取り出す。
封印に対応する香を用いてのみ、この扉を開くことができる。
もし玲華がこの香を調合した目的が、“扉を開くため”だったのなら――
静かに蓋を開け、香を焚く。
その香気が封の文様に触れた瞬間、重々しい扉がわずかに軋んで動いた。
「……開いた」
扉の先にあったのは、予想外の空間だった。
そこは、資料庫ではなかった。
小さな香室。壁一面に香壺と香札が並び、中央には香炉と鈴が置かれていた。
天井からは、薄く霞のような香煙が垂れている。
「まるで、“香を記憶させるための部屋”……?」
静華は香壺に近づき、そのひとつに触れた。
札に書かれていた文字は、淡くかすれていたが読めた。
《玲華・記録香 第十一式》
(……玲華母さんの記録香? でも、記録にない……)
さらに隣にあった札には、見慣れない名前が記されていた。
《リュウ・記録香 第七式》
「……リュウ?」
その名に覚えはなかった。
だが、札の裏にはこう書かれていた。
《“香を記録する者は、己の記憶を燃やす”――鈴の女》
静華は背筋が凍るのを感じた。
(ここは、記憶の“墓場”……鈴の女が、誰かの記憶を封じ、香として保管している?)
何かが、静華の中で繋がりかけたとき――
――チリン……。
鈴の音が、耳元で微かに響いた。
「……誰?」
背後に気配を感じ、静華は振り返る。
だがそこには誰もいなかった。
ただ、扉の奥からほんの一瞬――冷たい香風が吹き込んできただけだった。
(これは、“誰かがまだここにいる”という証)
静華は香壺を一つだけ手に取り、封印香でそっと封じた。
それは、《玲華・記録香 第十一式》。
玲華が何を記録したのか――それは、まだ香の中に眠っている。