第2章:忘れ香の塔編ー第2話:鈴香と記録の狭間で
記録塔で発生した“記憶を封じる香”による事件。
玲華の残した調香帳には、既にその香の存在が記されていた――。
静華は、母が追っていた“鈴の音の記録”に手がかりを求める。
記香庁の地下資料庫。
そこには、香に関する極秘記録や、特例扱いとなった香材の履歴が眠っている。
静華は、香童ユウと共にその扉を開けた。
「ここに、玲華母さんが最後に調査していた記録があるはず……“鈴香”と呼ばれていた香が」
記録は膨大だったが、静華は一点だけ、目につく異変に気づいた。
「この年の調香記録……一冊だけ、丸ごと欠けてる」
「盗まれたんですか?」
「……いいえ。これは“意図的に削除された形跡”」
背表紙に“抹消”の文字が書かれた調香記録。
だが、その一冊の中にだけ、日付が飛んでいる。
まるで“事件があった日”を切り取るように。
その記録の余白には、玲華の手書きが残っていた。
――《記録の隙間に、鈴の音が残っていた。忘れてなどいない。香は、すべてを覚えている》
静華はふと、記録棚の奥にある古い香壺を見つけた。
それは封印香で覆われていたが、かすかに――
(……鈴の音?)
耳に聞こえたわけではない。
けれど、香気の中に“鈴の気配”が確かにあった。
静華は封を切らず、香壺をそっと香包に包んだ。
「ユウ、この壺は調香庁に持ち帰る。中に何があるかは、まだ私にも分からない」
ユウは小さくうなずいた。
その夜、観香庁での試香。
静華は最小限の火で、香壺の香を焚いた。
立ち上る香気は透明で、静かな花の気配がした。
だがその奥に――何か異質なものがあった。
胸の奥に鈴が響いたような錯覚。
(これは……記憶を呼び起こす香と、記憶を“縛る”香が混ざってる?)
玲華が遺した“無名香”とは明らかに違う性質。
もっと冷たく、強く、意図的に“記録を固定”しようとする力。
(こんな香が、記香塔で使われていたとしたら――)
静華の脳裏に、玲華の死の直前に記された記録がよみがえる。
――《鈴の音は、記録の奥で鳴っている。あれを止めなければ、香が人を殺す》
「……母さんは、誰かが香を“記憶の拘束”に使うことを知っていた」
それは、香によって“嘘の真実”を作る行為。
真実を消し、別の記憶で上書きする。
人の記憶すら、香で捏造できるとしたら――
(香が、香調師の手を離れて、“誰かの武器”になろうとしてる)
ふと、ユウが香炉のそばで声を上げた。
「この香、どこかで嗅いだ……。でも、どこだったか……」
記憶の断片。
それはユウが“母と別れた日”に感じた香と、同じ気配。
つまり――玲華の“死”に関わる香でもあるのかもしれなかった。
静華はそっと香壺に蓋をし、決意を込めてつぶやいた。
「香は記憶を守るもの。でも、悪意が混じれば、香は記録を殺せる」
「……私は、その香の正体を突き止める。母さんが見つけられなかった真実を、必ず」
夜の観香庁に、静かに香煙が漂っていた。
そしてその奥で、確かに――鈴の音が鳴った。
ここで物語は、「香による記憶操作」というテーマの核心に踏み込みます。
次回からは、香に記憶を封じられたもう一人の人物が登場し、玲華の死の真相へと一歩近づく展開が始まります。