20 執 刀
どぶろくが、よく研いだ小刀で開腹し、これもよく研いだ植木ばさみであばら骨をバキンバキンとはさんだ。そのうえで臓器の位置や様子を指し示して見せる。
古来より、腑分けは禁止と明文化されていたわけではないが、けがれ思想があることから死体を毀損すること自体長く避けられてきた。そのため、腑分けに実際手をくだすのは非人たちとされ、医者たちはそれに立ち会うのみとする習わしであった。
医者たちは、手にした『医範提要』と照らし合わせながら、
「人間の体は外側より内側のほうが存外きれいなものですな」
などとうなずきあっている。
このように、腑分けといっても実際に執刀するのはどぶろくで、医者たちはその手元を食い入るように見つめ、これはなに、あれはなにと、どぶろくから説明を受けるだけである。
心、肝、胆、胃それぞれをどぶろくが指し示し、名前を知らない臓器については、「名称についてはわからないが、これまでもいずれの腹内にも、この位置にはこれが、あの位置にはあれがあった」と、説明する。それを聞いて、医者たちは手元の医学書と照合して納得し、大腸小腸の区別や、気管が食道の裏にあることなどを確認して記録した。
そのうち、息を詰めるようにして身を乗り出していた医者のひとりが、ふいと、
「おまえ、女子か?」
と、どぶろくに声を掛けた。
どぶろくが思わずうつむき、身を固くしているのを見て促す。
「いや、手が女手だったものでな。続けてくれ」
先ほどまで空高く飛んでいた鳶の姿はいつの間にか消え、死臭を嗅ぎつけたのか、たくさんの黒い鳥影があちこちの木立に見える。鳴くでもなく、神妙に人間のやっていることを見守っているふうである。
「あれは鴉か?」
非人たちは不思議がった。
「では、例の腎臓の実験にまいりましょう」
そう言って、医者のひとりがどぶろくを促した。
腎動脈とおぼしきところを切らせ、そこにじょうごをあてがって墨汁を注入する。それをしばらく溜め込んでから、
「どぶろく、やってくれ」
腎臓をぐっと絞ると、尿管から澄んだ水が出た。それを何度かくり返し、医者たちは微笑みながらうなずいた。
「なるほど、これで、腎には小便を漉す働きがあったことが確認できましたな」
「腎虚だの精力減退だの、生殖とはなんの関係もなかったのですな」
口々に実験の成果を賞賛した。
動脈、静脈それぞれの血管を認め、副腎などの位置や形も確認した。
人々の影が長く伸びはじめ、夕刻が近づいた。
陰になった手元を少しでも明るくするため手燭を灯すと、それまで黙って見学をしていた若い塾生たちが小さくざわめいた。死人の目元に変化があったようである。
「やあ、灯りを近づけたら瞳が小さくなったぞ」
「なるほど、猫の目のようだな」
「死んでもこうして、黒目のところが黒々と広がったり、小さくなって閉じたりするのだな」
と、灯りを死人の目に近づけたり離したりしている。
それを確認して、塾生のひとりが手控えにこう書き記した。
はや、暮れ六ツに至りて手元覚束無く、蠟燭ともし、死骸の眼に射し向けけるに、黒目の中央,点のごとく小さくなりぬ。死ぬるとも、かく灯りに感応するものと一同感じ入りぬ。そも本邦の言葉になく、思ひめぐらし、かの部位中央を「瞳孔」、その周囲を「光彩」と銘々す。後学のため、手下の非人に命じ、かの部位を切り取らしむ。




