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15 乞食芝居小屋

「こ、これだけ、客が入れば(おん)の字だ」

 木戸口にできた行列をうかがいながら、髷屋友九郎がいつもの絞りだすような声を出した。

 それを聞いて、どぶろくが、

「『百人おどし』も面白いが、幽霊や陰火(いんか)が飛び交うのを見ると、見物もやっぱり沸くな。幻灯機の用意はいいか?」

 はしゃぎ気味に言う。

「ぬ、ぬかりはないて」

「雷の音もよくよく調子を合わせてくれよ。今朝のはちょっとずれていたぞ」

「ふる、古釜の音色なんざ、だ、だれも聞いてやしないて」

「そこはちゃんと盛り上げてくれなきゃいけない。起承転結の転のところなんだから」

 どぶろくこと六三郎は、この乞食芝居小屋の座主であるだけでなく、友九郎とともに大道具小道具一切取り仕切っている。誰も彼の年を尋ねたことはないが、友九郎よりずっと若いくせに対等な口をきく。そんな生意気な態度が娘っ子の気を引くらしく、道を歩いていても芝居小屋でもどこからか熱い視線が送られる。

 乞食芝居なのに、今日も客に若い娘が多いのは、どぶろく目当てであろう。今しも木戸口のほうからきゃあきゃあと嬌声が響いた。

 友九郎も大事な幻灯機のレンズを磨きながら、

「おま、おまえは自分の役を、ち、ちゃんとやっていればいいんだ。む、娘っ子が今日もいっぱい入っておまえの出番を、ま、待っているぞ」

 と、冷やかさずにはおかない。

「娘っ子なんざどうでもいいわ。見物を驚かせたり、怖がらせたりするのが面白いんだ。俺は芝居を仕組みたいんだ」

「た、たかが、乞食芝居じゃないか」

「乞食、乞食、言うな。やぐら銭は札と酒樽でちゃんと収めている。こう見えてもりっぱな宮芝居の興行だぞ」

 どぶろくは背筋を伸ばしながら、

「それに、演じているのも乞食じゃない。藤八五文(とうはちごもん)の薬売りやら、角付芸(かどつけげい)で食い詰めてきた連中だ」

 友九郎が目を合わさず唐突に尋ねた。

「お、おまえ、ど、どこの生まれだ?」

「俺は……もともと辻狂言をひとりで演じて稼いでたんだ」

「つ、辻芸人か」

「まあ、な。その前は……牛馬の解体よ。ひい爺さまの代から死牛馬取得権をお上からいただいて、死んだ牛やら馬やら解体し、皮はなめして肉はももんじ屋に卸してた。俺は牛の解体は得意だったんだぜ。でも、やっぱり芸人だ。俺はずっと芸人になりたかったんだ」

「き、今日日の江戸っ子ときたら、だ、だれしも目立ちたがるからな」

「そうともさ。だれもが人目を引かないじゃ気が済まない。第一、大名行列にしてからがそうじゃないか。毛槍(けやり)や挟み箱をかついだ奴振(やっこぶ)りはおもわず見とれるぜ」

「あ、あの所作は、か、歌舞伎でもまねているな」

 どぶろくの切れ長の目に灯りがともった。

「旗本たちの間でも素人芝居がはやっている。だれが立役(たてやく)だ、敵役(かたきやく)だとうつつを抜かしている」

「ひ、引かれ者すらそうじゃないか。こ、こないだ獄門になった、お、鬼坊主(おにぼうず)譲吉を見たか?」

「おお、見た見た。引き回しの馬上から朗々と(うた)っていたぞ」

「き、肝っ玉が、す、すわっていた」

「声もよかった。あれには路上の見物が聞き惚れていたな」

 どぶろくは遠くを見る目つきになり、

「だれも芝居っけがあって、注目されるのを楽しんでいる。俺の時代はここしかない」

 言って、どぶろくは小屋の中を見回した。

 乞食芝居小屋はこけら()きの平屋で、縦横六、七間ほどである。壁は(こも)垂れで中は薄暗い。

 客は下足のまま土間に入り、板を横にしただけの客席に腰かけて見物する。小屋の正面が舞台で、そこから壁に沿って三方にぐるりと通路を設け、独自の花道に見立てている。その付近には若い娘たちがすでに座を占めていて、さんざめいていた。

 木戸銭は十二文だが木戸はなく、腰の曲がったばあさんが綱を掛けたり引き込めたりして人を通すだけだ。そばに開け放しの窓が設けてあり、通りからも舞台が見えるようになっているから、ただでのぞいていく者も多い。

 こけら落としの日からずっと雨もよいだったにもかかわらず盛況で、今日も朝から出入り口に行列ができていた。深川八幡境内での宮地芝居興行は、晴天の日に限り百日のみ許されているのだが、乞食芝居だから客足さえよければ多少の雨で休むわけにはいかない。参詣に来て雨宿りとなる客も多いのである。

 朝の部との入れ替えで、客席がふさがるまでの座興(ざきょう)として、「百人おどし」が、どぶろくの口上とともにはじまった。どぶろく登場でざわめいているのは若い娘たちである。

「とざい、とーざい。とざい、とーざい。雨宿りのご見物も、退屈しのぎのご見物も、この小屋の暗がりにお集まりいただき、御礼(おんれい)申し上げます。本日ここにお集まりいただいたのは、ご見物のみにあらず、(もの)()もひそんでいることをどうぞご承知おきくださいますよう」

 きゃあと若い娘たちの嬌声で客席が沸く。

「まずは『百人おどし』にて、物の怪退散!」

 最初に、舞台手前の数列ほどの客の手をつながせる。若い娘が多かったから、客席に和気あいあいの笑い声や軽口がもれた。

「さて、これなる雷電瓶(らいでんびん)。南蛮渡来のエレキテルを製造する器械にございます。こちらにそっと手を近寄せると」

 手をつないで輪になった客たちの両端の客の手を引き、箱から突き出た真鍮(しんちゅう)の棒に近づける。すると、手をつないでいた三十人ほど全員の毛髪が逆立った。()い髪の部分はそのまま、ほつれ毛や後れ毛がスーッと直立したのである。

「おおっ」

 奇怪な様子を見て、小屋の中に驚きの声が上がる。

 さらに、両端の客を促して、真鍮の棒に今度はそっと触れさせる。

 その途端、

「わっ」

 輪になっていた客たちが一斉に手をひっこめる。中には席からころげ落ち、しりもちをつく者までいる。感電の衝撃が伝わったのである。

 どっと笑い声。

 つないだ手をさする者。両手のしびれを身振りで表そうとする者。衝撃を声高に説明する者。客席がどよめく。

 それが、ひとしきり静まると、どぶろくが友九郎に合図し、いよいよ今日の出しものの怪談狂言に変わる。

 まず、芝居で中間役(ちゅうげんやく)を演じる者たちを、

「このところ(あい)つとめまする役者の替名(かえな)

 と、ひとりずつ紹介する。乞食芝居といっても、どの役者もそれなりに若侍風に装い、せいいっぱい華やかである。

 続いて、芝居の前口上。出しものは、怪談本「(おい)(つえ)」から取った小話で、どぶろくと友九郎が芝居に翻案したものである。

 とある大雨の晩、宿直(とのい)の若い中間(ちゅうげん)どもが暇を持て余し、百物語をして肝試しをしようということになった。まず、五部屋ほど奥の大書院に行灯(あんどん)を用意し、百筋の灯心を入れた。詰め所でひとり一話怪談を語っては、暗い部屋部屋を通って大書院まで行き、灯心を一筋消して戻ってくる。ひとり、またひとりと続いていくのだが、八ツ(深夜二時)を過ぎるころ、怪異が起きる。

 折から、乞食芝居小屋の外はぽつぽつと雨が降り出し、濡れまじと駆け込んでくる見物もいる中で、鋭く打たれる()(かしら)。チョン、チョン、チョン、チョン……

 それを合図にするすると幕が上がった。

 場は上州厩橋(うまやばし)の城内。若い中間どもの詰め所。

 宿直の夜。激しい風雨の音がする。これは裏方が友九郎とともに、小石を結わいつけた雨団扇を懸命にゆすったり、葉のついた大枝を振ったりして効果音を出しているのである。

 見どころはなんといっても花形役者どぶろく演じる中原忠太夫(なかはらちゅうだゆう)という凛々しい若侍。中間の座中の先輩格で勇猛果敢、肝試しの言い出しっぺである。

「世に化け物はありと云ひ、無しと云ふ。此の論一定しがたし。今宵はなんとなく(すさ)まじきに、世に云ふところの百物語といふことをして、妖怪(いづ)るや(いで)ざるや、ためし見ん」

 台詞を言うや、前席の女どもが顔を紅潮させてきゃあきゃあ言う。

 話も進み、いよいよ忠太夫が肝試しをする番となり、舞台下手から伸びる花道とおぼしき通路を中ほどまで行く。その歩調に合わせ、古釜をこすって奇妙な音を出し、雰囲気が盛り上がってきた。

 折しも、乞食芝居小屋の外では遠雷が響き、薄暗い小屋の中にも何やら怪しい生臭いような風が吹いてくる。

 突如、古釜を叩くドンガンドンガンという大音鳴り響き、同時に小屋の外でもいなづまが走り、客席の女たちから悲鳴が上がった。

 そこに、天井から白いものがするすると下がってくる。薄暗い中、それに触れて確かめる勇気絶倫の人、忠太夫。

「さても世にも無きことは云ひあへぬものなり。これや妖怪といふものなるべし」

 と、あわてることなく奥へ進み、行灯を一筋消す。

 その途端、天井いっぱいに尾を引いて飛び交いはじめるいくつもの陰火。これは友九郎が、小屋の中央に置いた幻灯機で影を映しているのである。

 戸外の雷鳴と小屋の中で古釜を叩く音とが和してゴロゴロと鳴り響き、どちらがどちらとも判別がつきがたい。その中を行く忠太夫の黒い影。

 そのうちに、天井から下がった白装束の袖口から、さかしまに女の白い首がそろりと伸びて、

「うらめしい、うらめしいぞへ」

 と、そのとき、突然、後部席の片隅で居眠っていた浪人者が跳ね上がり、大声を出した。

「うぬ、化けやがったか!」

 後部の客たちがざわつく。

 外では雨がざあっと本降りになり、(こも)でおおっただけの屋根から盛大に雨が漏れ始めた。

 客がわぁわぁ言いながら立ち上がり収拾がつかない。

 まるでそれを待ち受けていたかのように、幕切れの拍子木が打たれた。


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