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八 りんの章

 空気が変わった。


 キン、という耳鳴りに顔を歪ませる次丸と梔子の視線の先で、ひょろりとした影が揺れる。


 りんは自分の胸元を見つめると、三日月に歪む口角を更に持ち上げた。ゆっくりと右手を小刀の柄に添え、胸に生えたそれを無造作に引き抜き、床に放る。

 次丸と梔子は眼を瞠った。

 吹き出す筈の血の代わりに、透明な液体が切り裂かれた服にじわじわと広がり、独特な匂いを放つ。

 眩暈を覚える程の強い樟脳のにおい。

 りんは何事も無かったように飄々と、 


「わたくしを埋めるとは、人買いと同じ様にという事でしょうか? それとも、奥方様の様に? 庭のイチイが嘆いておりましたよ。『恨みを持った亡骸が近くに埋められている。いかに永きを生きても、その穢れで自分は龍になれないだろう』と」


 梔子が息を呑んだ。大きくまなこを開いた次丸の脳裏に、二年前の出来事が甦る。



 次丸が半端者から口のきけない少女を買ったのは、偶然からだった。


 奥ノ村より先の、貧しい集落から売られていく子供は珍しくない。

 人買い達は、商品である子供を必要以上に乱暴に扱うことも、村で騒ぎを起こすことも無く、村人から彼等に話しかける事も無い。互いに、まるで存在していないかのようにやり過ごすのが暗黙の了解だった。それでも見知った彼等が村を通ると、「言う事を聞かない悪餓鬼は、人買いに売り払うぞ」と説教をされて育った子供らは、どんな悪童でも慌てて家に逃げ帰る。

 村と人買い達は、そう言う付き合いだったのだ。


 あの日現れた若い人買いは、村で初めて見る顔だった。


 そいつは、集落への行きがけにも若い娘にちょっかいをかけたりして、村の若者と一悶着起こしかけたが、帰りはもっと酷かった。何が面白いのか、買って来た少女を乱暴に扱ってはゲラゲラと笑い、それに村人達が眉を顰めると、見せつけるように少女に手を上げる。挙句、日暮れる前に寝床を用意しろと大騒ぎを始めた。

 次丸は仕方なく男と少女を屋敷に招いた。


 二人を屋敷に招き入れて直ぐ、妻の()()が少女が口がきけない事に気が付いた。「口無し」なら余計な事を吹聴する心配は無かったし、夫婦に子は居ない。次丸は、「いざという時の備え」として、その少女を買う事にした。

 だが、目の前に用意された金を見て、流れ者は欲をかいた。下種な勘繰りで次丸をとんだ好色者と嘲笑い、倍額払えと言い出した。

 男のニヤニヤ笑いと馬鹿にしたような口調が、次丸を苛立たせた。気付くと次丸は、男の顔を思い切り殴り飛ばしていた。尻もちをつき、後じさる男の襟を掴み、何度も殴った。拳の皮が破れ、血が滲もうが、構わず殴り続けた。

 奥の部屋で少女を寝かしつけていたたえは、客間に戻ると、夫の背越しに見えた部屋の惨状に息を呑んだ。慌てて夫の背に縋りつく妻を、次丸は振り返りもせず強く突き飛ばし、男を殴り続けた。

 疲れで腕が上がらなくなり、漸く次丸は手を止めた。肩で息をしながら立ち上がり、顔を血で真っ赤に染め、弱々しく呻くだけで動くことも出来ない有様の男を、冷たく見下ろす。

 ふと次丸が振り返ると、おかしな角度に首を曲げたたえが箪笥の角に凭れていた。抱き起してみるも、見開いたままの目からは既に光が失われている。

 視線を感じ、次丸が振り向いた。腫れ上がった瞼の隙間から怯えた目を向けあとじさる男の姿に、ゆっくりと立ち上がる。まともに動くことも出来ない男に血塗れの手を伸ばし……。



 まざまざと甦る、動かなくなった妻の濁った眼と男を縊った感触。土の匂い。次丸の声が僅かに震える。


「出鱈目を……イチイに聞いた? 龍? 莫迦な……何を言っている?」


 眼を血走らせた次丸に、


「先日は、古木が龍と成る話をお聞かせ下さいましたね。実は、あれには余談がございます」


 りんが、にい、と笑った。


「龍に変じ、天へと昇る際、彼等は時折落とし物をすることがございます。何せ、大抵が森の中から飛び立つものですから、身体のあちこちを周りにぶつけ、弾みで鱗が剥げ落ちることがあるのです。落ちた鱗は龍の気を帯びてはいるものの、それだけでは天に昇れるほどの力も、深く物事を考える知恵もございません。龍にも成りきれず、樹にも戻り切れず、それでも何とか身体に還ろうと、鱗は姿を変じて彷徨うのです」


 がしゃり


 梔子の腕の中で、箱が小さく跳ねる。

 

「木彫りの魚によく似た姿でくうを泳ぐそれは、『樹木魚じゅもくうお』と呼ばれることもあるそうでございます……お判りでしょう? その箱の中の正体でございます」


 じゃらじゃら!


 箱がひときわ大きな音を立てた。

 びくりと震わせた次丸と梔子の肩を、隙間風のような声が撫でる。


「龍を求めるのは樹木魚だけではございません。龍もまた、己の鱗を取り戻したいと考えているのです。たかが鱗であってもその性質は龍、世の廻りに徒なすこともございます」


 何より、鱗が抜けたままでは格好がつきませんでしょう……と、くすくすとりんが笑った。


「ですが、龍の姿のままそれを探すのは、都合が悪うございます。ですから、己の鱗に代わりを命じたのです。龍体にたった一枚だけの特別な鱗、荒ぶる鬼子に」


 次丸の手足が石よりも重くなった。ゆっくりとりんが近付き、身動きの取れなくなった次丸の顔を覗き込む。

 顔を赤黒く染めた次丸を覗き込む縦に伸びた瞳孔と、緩んだ布から覗く木目か鱗の年輪を思わせる透かし模様が浮いた、光沢を帯びた硬質な肌。強い樟脳のにおい。


(苦しい……うまく、息が、出来ん……)


 人ならざる眼をした()()が、ゆっくりと告げる。


「貴方様は、龍の『げき()()』に触れたのでございますよ……」

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