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十一 樹木魚の章3

 いつの間にか、雨は止んでいた。


 ――村の為に貢献してきたのは俺だ、俺がやりたくも無い汚れ仕事を引き受けたから、あれこれ指示してやったから、この村は豊かになったんだ、もっとでかくしてやろうってのに、困った時だけ泣きついて、どいつもこいつも、大人しく言いなりになってりゃいいんだ、そいつのせいで兄ちゃんが死んだ父ちゃんがしんだかあちゃんがしんだ――


 りんは、ぶつぶつと呟き続ける次丸から梔子に顔を向けた。

 梔子が、がたがたと震えながら箱をりんに差し出す。大切そうにそれを受け取ったりんが左手を翳すと、がしゃん! と派手な音を立て、掛けられていた鎖が弾けた。


(たすけてください。このままじゃ、わたしも殺されてしまうかもしれません。わたし、教えられたとおりにしただけなんです。これがなんなのか、さっきまでほんとうに知らなかったの。死ぬのがいやなんじゃない、奥方様を殺した、こんな男と一緒にされるのがいやなんです!)

「ですが貴女様には、立派に動く手足も、考える頭もおありでしょう。何も知ろうともせず、己の命が零れ落ちてゆくのを薄々感じながらも、言われるがまま緩慢な生に漂い続けたのはご自分の判断でございましょう?」

(知らないのは、わるいことなの? 知ろうとしなかった、わたしがわるいの? こどもの、くちもきけないわたしに、なにができたっていうの? わたしだって、命をけずられているのに)


 必至で訴える梔子に、りんは初めて少し困ったような顔を見せた。


「少しの手違いで命を散らすのが生き物の宿命であれば、己の命に責任を持つのもまた、命の定めではございませんか」


 りんが箱の中からぼろ布できつく包れた塊を取り出す。

 塊にふうと息を吹きかけると、布が裂け、隙間から一尾の魚が顔を覗かせた。目を奪われる程精巧な木彫りのそれが、りんの掌からふわりと浮かぶ。

 優雅に尾鰭を動かしてりんの周りをくるくると泳ぐ姿は、本物の魚よりも本物らしく艶めき、柔らかさすら感じる流線形は、器物と命が矛盾なく同居している。梔子は束の間恐怖を忘れ、その美しさに目を奪われた。

 身をくねらせる魚の眼がギョロリと動き、梔子を捉えた。梔子が喉を引き攣らせる。


「そんなに怯えなくてもよろしいのですよ。先程も申しましたように、これには考える力はございません。多少痛めつけたところで、死ぬこともございません。樹木魚には、貴方様を害する気などないのです」


 りんの口元が、深く三日月に歪む。


「ですが、わたくしは違います。例え、貴女様の行いが貴女様の意に反したもので、境遇が同情に値するものであったとしても、与り知らぬこと。わたくしはただ、同胞の受けた扱いが面白くないのでございます」


 ぐしゃ!


 りんは手に持った木箱を握り潰すと、身を屈め、青ざめた梔子の顔を覗き込んだ。


「何故、これが天候を変えようとするのかお解りですか?」


 目を逸らすことも、泣くことも許されない梔子の目の端で、樹木魚が尾びれを翻す。


「苦しいからですよ。水責めやら火責めやら、苦しくないわけがないでしょう? 水を干上がらせようと雲を払い、火を消す為に雨を呼ぶ。命を削られたとおっしゃいましたが、樹木魚がそうしたいと願ったわけではございません。因が果となって御身に返っただけのことでございます」


 震えながらあやまり続ける梔子の周りで、


 くるくる

 くるくる


 樹の魚が空を舞う。


(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……)

「怯えていらっしゃるのですか? ああ、まるで、わたくしが悪党の様ではございませんか。ご安心くださいませ、わたくしは殺生を好まないと申したでしょう?」


 りんの目が三日月に歪む。


「こういたしましょう。梔子様は、次丸様と同等の扱いは不当だと仰る。わたくしは、貴女様をここから逃がすつもりはない。ですが滞在中、貴女様にはお世話になったのも事実です。お礼代わりと言っては何ですが、誰にも梔子様だと気付かれない様、姿を変えるお手伝い位はしてもようございますよ。現状を知ろうとせず、変化を恐れ、何も行わなかった貴女様に相応しい姿にね」


 りんが片手を梔子に翳すと、少女の身体が次第に変化していく。


(やめて、やめ……)


 少女は梔子の若木に姿を変えた。すっかり暗くなった庭にりんが手を向けると、その動きに沿って若木が空を滑り、雨でぬかるむ土に根を下ろすと、ぶるりと枝を震わせた。


樹木魚それ、を、か、えせ……」


 地の底を這うような声に、りんが振り向く。


(村を護る力。兄の命。俺の魂そのもの。あれは、俺のものだ)


 呼吸も儘ならず口から泡を零し、必死の形相で樹木魚に手を伸ばそうと、有らん限りの力を込めた身体を小刻みに震わせる次丸に、りんが微笑んだ。


「ここ数日、大変お世話になりました。皆様に、何も知らなかったこととしてすぐに村を出て欲しいと頼まれております。お礼もならずに心苦しくはございますが、そろそろ失礼致します」

「だ、まれ、返、せ、返せえ……!」


 樹木魚がりんに頬擦りする。それを優しく撫でながら、りんは目を血走らせた次丸の耳に顔を寄せた。


「もう、よろしいではありませんか。これは貴方様が神から人に還る、最後の機会でございますよ」


 囁きと僅かな樟脳のにおいを残し、りんと樹木魚の姿が掻き消えた。


 雨上がりの空に清涼な風が吹く。既に浮かんでいた月の光にたなびく雲に、束の間細くうねる影が浮かぶが、それを見上げる者は居なかった。幾多の怨嗟は絡み合い、一つの生き物のように屋敷に押し寄せる。

 奥ノ村、先ノ村、そして、次丸が護って来たと自負していた中ノ村の村人が、ぎらぎらとした目で次丸を目指す。

 やがて庭の梔子の若木は踏み躙られ、立ち尽くしたままの次丸は人の波に消えた。

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