1-8 出自
夕食を終えて、水蓮は灰夏の用意した寝台の布団に横になっている。傍には灰夏、花尚宮、医官が座っていて、水蓮は消えてしまいたくなった。布団はふかふかで、あたたかいのに重さが全くない。絹の布団に挟まれて、夢見心地になりたいのに、現実はそううまくいかない。
「すみません、すみません」
「なぜ水蓮が謝る?」
「私……ただの胃もたれでこんな騒ぎになるなんて」
水蓮は普段、ろくにものを食べさせてもらえない。ゆえに、いきなり灰夏の料理を一人前平らげて、胃がびっくりしたようだった。きりきりと痛む胃袋に、水蓮は倒れてしまったのだ。倒れたときの灰夏の取り乱しようときたら、花女官は、この場の内官・女官たち全員の首が飛ぶと思ったくらいだった。毒を盛られたか、あるいは狙撃でもされたのか、灰夏は水蓮が倒れた原因を突き止めるまで、周りの人間に当たり散らしたのだった。
「だが、そうか。俺も配慮が足りなかった。水蓮。実家ではどういう扱いを……?」
「それは……」
言いたくなくて、水蓮は口をつぐんだ。灰夏の目の色が変わる。傍にいた花尚宮に目で合図を送ると、花尚宮は人知れず部屋を出ていった。
ふたりきりになって、灰夏は医官に聞く。
「水蓮の症状は、大丈夫なのだろうな!?」
「はい、胃もたれの煎じ薬を処方しましたので。今後は食事の量は少量から始められるとよろしいかと」
「わかった。ほかには?」
「ご心配なく。二日もすれば、胃の腑も落ち着きます」
東宮の御用達の医官は、男だ。東宮は男だから医官も男で済むのだが、いかんせん水蓮は女のため、肌に触れて脈診したのは女医だった。ゆえに灰夏は心配で仕方がない。水蓮と痛みを分かち合えないえないことが苦しくて仕方がない。
灰夏が水蓮の手を握る。医者は部屋を後にし、部屋には二人きりだった。
「水蓮、胃の腑は苦しくないか?」
「はい、煎じ薬が効いてきました」
「すまない……明日からは、少しずつ食事を増やしていこう」
「すみません。でも、東宮さまの料理が、本当に美味しくて」
水蓮が笑う。灰夏はほっとしたように水蓮の頭を撫でた。サラサラの髪の毛だ。しかし、光に当たると銀色に光る。その髪の毛を触ったことに気後れして、灰夏はそっと手を引いた。水蓮が不思議そうに灰夏を見上げている。きれいな灰色の目に、まつ毛も白銀だった。この娘の出自は。
「今日は疲れただろう。もうおやすみ」
「はい。……東宮さま、見られていては、眠れません」
「俺は水蓮が寝るのを見届けるまで、ここにいる」
「ええ、それじゃ私、いつまでも……眠れな……」
かく、と眠りに落ちる水蓮を見て、灰夏がふっと息を吐き出すように笑った。
かわいい、大事な妃。じきに婚姻の儀もあげる予定だ。あの時、触れ合った時に水蓮の体から抜き出した剣は、まぎれもなく火の剣だった。この世界には、五行が存在する。五行の中には、組み合わさると別の性質をもつものが存在する。甲己で土、乙庚で金、丙辛で水、丁壬で木、戊癸で火。
しかし、今はそれよりも。
「水蓮、オマエは実家でどんな扱いを受けてきたんだ?」
それは、花尚宮に調べさせている。結果次第では、二度と実家になんて帰らせないつもりだ。そもそも、先ほど水蓮の実家に行った際、あの母親の態度は尋常じゃなかった。大方、ひどい扱いだったことは察しが付くが、確たる証拠が必要だった。
いくら水蓮の親だからといって、水蓮を害するものを、灰夏は許さない。
水蓮が眠ってしばらくして、深夜に花尚宮が灰夏に報告書を渡す。花尚宮の字は美しい。女官は字が読めないものも多いなか、花尚宮は字も読めるし琴も弾ける。女官の中でも、尚宮となる資質を持った者には、英才教育がなされる。したがって、そこらの官吏と同じ量の知識が、花尚宮にはある。書物をそらんじ、政治にも通じている。そんな花尚宮を、灰夏は一番信用している。今回、水蓮の実家を調べさせたのも、花尚宮を見込んでのことだった。
「なるほど、……花尚宮」
「は、なんでしょう」
「今後、水蓮が実家に寄り付かぬよう、世話をしてくれ。実家のほうも、水蓮に近づかぬように、しっかりと見張りを」
「しかし、あそこの家の次女の己花さまも、東宮妃でした。そのように見張りなどつければ争いのもとに」
「いいや。水蓮を守るためなら、やむをえまい」
灰夏は譲らない。いくら水蓮があの家でひどい扱いを受けていても、やはり親は親に変わりはなく、親に言われたら気の優しい水蓮はあの家に戻るかもしれない。それではだめだ。水蓮にだけは、幸せになってもらわねば。やっと見つけた、水の加護を持つ少女なのだから。花尚宮は逡巡して、
「かしこまりました。では、見つからぬように細心の注意を払います」
「そうしてくれ」
灰夏は目頭を揉んで花尚宮の書いた文に目を通す。水蓮の扱いのひどさに目をそらしたくなるが、水蓮のことを知っておかなければとも思う。大事な妃のすべてを受け入れてこそ、伴侶となれる。大事な大事な公主。自分だけの、加護持ちの水蓮。花尚宮からの文を読み終えた灰夏は、その文をろうそくの火で燃やして、火鉢に入れて燃やすのだった。