1-3 容疑者
当時疑われたのは、傍付きの尚宮と、宰相の加架、それから食事を運んできた内官だった。
「治尚宮。ソナタは毎日皇后さまの宮に朝に昼に晩に、様子を見に行っていたと。なにか不審な点はなかったのか?」
捜査の指揮をとったのは、ほかならぬ灰夏である。灰夏は、疑わしき人間を三人まで絞り、各々を監察部に呼び出して尋問した。一人目は治尚宮だ。
「わ、わたくしは、ずっと皇后さまの皇宮の扉の前から、中に向かって呼びかけたのです」
「それで?」
「はい。ご遺体が見つかった三日前から、お返事がなく」
「それまではあったと?」
「はい。風邪をひいたと、ガラガラの声で、お返事なさいました」
やはり、三日前に殺された、という筋が濃厚なのだろうか。治尚宮が嘘をついていたとしたら。いや、しかし、検死の結果とは一致する。皇宮は死後三日との断言された。暑い夏だったので、腐敗が進み、腐臭もしていた。
「しかし、十日前にはお元気な姿でした」
「十日前というと、母上が人を入れぬように指示した日か」
「はい。その日は、文を書くからと、紙を所望されまして」
その後、皇后は人を一切後宮に入れなくなったのだという。
「誰に文を?」
「はい。加架さまに。十日後に、調度品を届けてくれるからと、直々にお礼を」
となれば、加架が怪しいのだろうか。
次に、加架を呼んで、事情を聞き出す。加架は、遺体が発見される三日前、部下たちと酒盛りをしていた。殺されたとされる日の前後二日間、家族以外の他者と共にいた。少し出来すぎな気もする。家族と共にいたとなれば、それは証拠にはならない。家族は家族を守るものだからだ。しかし、加架には他者と会っていた記録もある。酒場の主人も証言者のひとりだ。
「加架どの。ソナタは、遺体の第一発見者だったな」
「はい。わたしは皇后さまに呼び出されておりました。人のいない夕刻に来るようにと」
加架はその日、皇宮の調度品であるタンスを新調する約束をしていたのだ。大きな荷台に詰んだタンスを、加架はひとりで運び込んだ。
「そこで、皇后さまが、亡くなっていたと?」
「はい、驚きました」
ふと見ると、加架は手を捻ったのか、手首に包帯を巻いている。自分で巻いたのであろう、不格好で、それは手首だけでなく手全体をぐるぐると分厚く覆っていた。
「捻挫、ですか?」
灰夏が指さすと、加架がさっと手を机の下に隠すように下げた。その手をさすって、
「タンスを運ぶ時に、捻りました」
「さようか」
「時に東宮さま」
あからさまな話題転換に、灰夏は加架をにらむように見た。
「胃もたれに効く薬はご存知ですか?」
「さあ。わたしは医学には詳しくない。後ほど医官を遣わせるか?」
「いえ、大丈夫です。単なる慢性的な胃もたれゆえ」
怪しい点はあるが、加架は限りなく白だろう。
最後に呼んだのが、衣内官である。小太りの宦官で、皇后の一番の腹心だった。
衣内官が、涙ながらに訴える。
「皇后さまは、十日前から、ひとりにして欲しいと……」
「母上は、なぜ急に?」
「わたしも詳しくは。灰夏さまに関することとしか。しかし、房にこもる前、矢文が届いたのです。わたしは不可抗力で見てしまったのですが」
三年前、殺した、水。口外。殺。
それだけで、皇后がなにに脅されていたのかを、灰夏は悟った。これは、灰夏への牽制だった。皇后は、灰夏の秘密に、気づいてしまったのだ。
「ほかに気づいたことは?」
「はい。皇后さまが亡くなる七日前に、加架さまのお姿が後宮にあったのです」
「七日前? それで?」
「あとを追っていないので詳しくはわかりませんが、出ていく時には、大きな荷車を引いていました」
七日前に、加架の不審な行動。となれば、怪しいのは加架であるが、衣内官が言い逃れのために嘘をついた可能性もある。それに、治尚宮の証言も怪しい。最後に会ったのは治尚宮だ。そもそも、この件は、三年前の灰夏の秘密も絡んでいる。
最終的に、すべての人間は無罪となり、この件は自殺として処理されたのだった。
「しかし、夏にしては遺体の損傷が少なく。いや、そういえば体の皮膚が剥がれてはいたが」
「皮膚が? 遺体を誰かが運んだのですか?」
「いや。先も言ったが絞殺で、発見されるまで誰も気づかなかった。しかし、絞め傷以外にも、太ももに傷があった」
「傷から血は?」
「血というより……体液が」
死体の皮膚はもろく、すぐに剥けて体液が溢れる。血ではなく体液が流れ出ていた。だとしたら、手足に傷がつくとなれば、背負って遺体を移動したか。
「それ、冬なら死後十日は、腐敗しないのですよね」
「なにか当てが?」
「いえ……日元国では、夏でもかき氷を食すといいます」
「かような時に、料理の話など……」
水蓮のこれを、確かめる術はない。ないのだが、どう考えても、おかしい。夏なのに遺体の損傷が少なかった。絞殺後に縄に吊るすならば、体を抱えるときに脇下や体の側面に傷がつくならわかる。太ももの裏側に傷がついたのは、死後何日かしてから、遺体を背負って運んだ、と考えるのが自然だ。
「氷室、という、氷を貯蔵する地下を持てる土地さえあれば、死体の腐敗を遅らせることが、可能ではあるのです」
「それはまことか!?」
灰夏が水蓮の肩を掴んだ。恐れ多くも、東宮に触れたことに水蓮は身を捩らせ、恭しくこうべを垂れた。灰夏の手に力が籠る。無理もない、実の母親の死が、もしかしたら他殺だとわかるかもしれないのだから。しかし、それでも十年前の話だ。犯人はもう、捕まらないだろう。
「推測です」
「だが、ならば」
双子の東宮はいがみあっている。それは土国では有名な話だった。しかし昔は、灰夏も弟の土夏も、仲が悪かった訳ではない。母が死したあの件から、土夏は心を閉ざしたように思う。だからこそ、灰夏はこの件の真相が知りたいのだ。
「灰夏さま、は。私の妹をご存知ないですか?」
「オマエの?」
「東宮さま――土夏さまの妃候補として、本日のお茶会に招かれました」
「なるほど。面白い。ソナタ、名は水蓮と申したな?」
「はい」
灰夏が水蓮に興味を示す。まるで、最初から決めていたかのように、なんのためらいもなく、
「ソナタ、俺の妃にならないか?」
「は? 私はただの平民です。加護もなければ、なんの役にも立たない……」
加護がない、とは嘘をついた。面倒事に巻き込まれたくない。
「そんなことはない。先の死体の腐敗の件、見事だった。それに、氷室のことも」
「そ、れは……私は単なる平民にすぎません。己花さまが正式に東宮妃に決まれば、私は後宮に女官として入ることになっています」
灰夏が水蓮の手を握りしめた。赤切れだらけだった。痛々しく、灰夏はその手を優しく撫でた。撫でたところで赤切れは消えない。しかし水蓮は、人間として認められたような気持ちになった。涙を堪えたからか、水蓮の腹がくぅ、と鳴った。不本意だ。慌ててお腹を押さえても、お腹の虫は収まらない。
「はは、なんだ、腹が減ったか?」
「申し訳ありません、今朝からなにも食べておらず」
灰夏は考えるまでもなく、懐から懐紙に包んだ月餅を取り出し、水蓮に渡した。水蓮はおろおろするばかりで、それに口をつけない。月餅は高貴な人間の菓子だ。水蓮が躊躇うのを見かねて、灰夏が懐紙を開けて、水蓮の口に月餅をちぎってねじ込んだ。
「東宮さま!? 東宮さまからこのようなほどこしなど」
「いい。俺はオマエが気に入った。知識もある、推察力もある。水蓮か、名は覚えた」
水蓮は灰夏を見る。やはり美しい。けれどこの東宮があの、噂の双子とは。
双子が生まれたのは五行の国始まって以来で、不吉だというものもいれば、吉だというものもいる。異例の東宮を、しかし皇帝はいつくしみ育ててきた。
「俺は、皇位は弟が継いでもいいと思っていた。だが、弟の土夏は、皇帝になれば、俺を殺すだろう」
「そんな……! それじゃ」
「それはもう、覚悟していた。だが、俺とて、母の死因を知りたい。そして、弟とのわだかまりを解きたい」
おおかた、灰夏と土夏を仲違いさせるために、宰相がふたりの母親を殺したといったところだろう。月餅を飲み下して、水蓮は複雑な表情をしていた。甘い餡なんて味わう余裕もない。
そもそも土夏は、妃の己花のことは大事にするだろうが、そのほかの人間は奴隷のように扱うだろう。母皇后が死して、土夏は冷淡になった。弱いものには目もくれない。
「水蓮、力を貸してくれないか」
「私が……?」
「そうだ。水蓮と俺で、母の死の真相を暴く。それ以外に、この世界を安寧に導く道はない」
水蓮は逡巡する。そんなたいそうなこと、自分にできるはずがない。はずがないが、やらなければ少なくとも、目の前にいる灰夏が死んでしまう。今日会ったばかりの、見ず知らずの東宮。水蓮は目立たぬように生きてきた。しかし、必要とされる喜びを、知ってしまった。なにより、この東宮は、水蓮の『探していたひと』かもしれない。水蓮は拳を握りしめて、
「わかり、ました。私も微力ながら尽くします」
「ああ、水蓮。オマエのことは俺が死んでも守る」
水蓮の不安をかき消すように、灰夏が水蓮を抱きしめた。