3-9 罠
庭に出て、火之が興味津々に土を見ていた。土の国では土に加護が施され、たわわに実る稲や果物が、その豊かさを象徴していた。この国の土で育った食物は、味も濃く、瑞々しさもあり市場では一級品の扱いだった。対して、木の加護で育てられた食物もまた、その希少性が評価されている。木の国の皇帝は、自国の食物をさらに特別にするために、土の国を害そうとしてもおかしくはない。動機は十分だ。
「なるほど、これほどまでとは」
「はい、私も最初は驚きました」
キイチゴを摘み取って口に入れると、とてもキイチゴとは思えない甘さがあった。豊かな土は、豊かな実りをもたらす。この火之ならば、手が出るほど欲しいだろう。
「そういえば、知っているかい?」
火之が、キイチゴを口に放りながら、
「加護の剣。あれを五本――つまり、木火土金水、すべてがそろうと、再びあやかしがこの世にはびこる」
水蓮の目の色が変わった。これは挑発だ。この世界を根本から揺るがそうとしている、この皇帝は。だとして、真の目的はなんなのか。
「あやかしの封印が解ければ、火の国も無事では済まないでしょうね」
「そうだな。だが、強い外敵は、国を一つにする」
つまり火之は、この五行の国すべてを牛耳りたいらしかった。吐き気がする。水蓮はよろめきながら、しかし、心を決める。
「そうですね。しかし、私には関係のないことです」
「関係ない? なぜ」
「私たちは、次期皇帝には選ばれなかったからです」
「ほう? というと?」
「弟東宮の土夏さまと、妹の己花が、選ばれました。己花に、土の加護の剣が封じてあったからです」
火之がにこりと笑んだ。その笑みのうらの感情は、読み取ることができない。恐ろしい人間だと思う。何十年も灰夏を苦しめてきた、張本人。灰夏の証言だけでは、誰も火之の悪事は信じないだろう。灰夏が、土の加護を持たない東宮だからだ。だからこそ、火之は水国の皇帝の暗殺の責任を、灰夏にすべて擦り付けた。矢文を送ったのは火之とみていいだろう。灰夏は、土国には害を及ぼさないとの矢文を信じて、あの場に赴いた。しかし、灰夏は水の皇帝を殺してはいないのだ。無実なのだ。それを証明するために、水蓮は動き出した。
「そうか、いやね、私も最近生け簀を持つようになって。水蓮妃は、生け簀の中の魚と同じく、この後宮で生涯を閉じるのでしょうね」
庭の散策はこれまでに。火之が軽い足取りで後宮内へと戻っていく。水蓮が脱力し、金華が水蓮の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「あ、はい。疲れましたけれど」
「まだ会合で顔合わせるけれど、平気?」
コクリと頷いて、水蓮と金華は、火之に続いて後宮内へと歩くのだった。
藍の宮は今日も騒がしく、しかし、火之がぼぼ、と火の加護を爆ぜさせると、みながしんと静まり返った。そして、火之が金華のもとへゆっくりと歩く。
その足取りに、誰もが見惚れた。完璧を演じる火之は、それは美しい。そうして、金華の目の前まで来ると、火之は金華に跪いた。
「辛の皇帝。わたしと婚姻してほしい」
「……は? 私には、宝鈴という妃が」
しかし、火之は立ち上がると、宝鈴を指さして、笑った。
「あのものはおなごです。金華皇帝、おなごは本来、男と婚姻するものです」
その場にいる誰もが頷いた。水蓮と灰夏をのぞいては。火之が金華の手を取り強引に抱きしめる。金華は当然抵抗するも、まるで抵抗になっていなかった。
火之が金華の顎に手を添える。そのまま口づけると、金華の胸に水色の火花が散った。水蓮はおぞ気がする。あの男が、自分と同じだなんて。
火花を抜き取り、火之が顕現したのは、水の加護の剣である。丙と辛が合わさると、水に転じるのだ。
この世界には、加護の剣が五本あるのだと、火之が話していたことを思い出す。火之は、金華を抱き寄せて、その体に加護の剣を収めていく。
「離してっ!」
金華が火之を突き押した。なぜ。あの加護の剣は、お互いの絆がなければ顕現しないはずなのに。水蓮の動揺を察してか、火之が水蓮に向き直った。
「絆など、無ければ作ればいい」
つまり、純粋に好きあう気持ちでなくとも、唇を重ねたことで、あの加護の剣が顕現されたのだろう。どこまでも強引で、どこまでも身勝手な。
涙を流す金華を、宝鈴が抱きしめて慰めている。女同士の婚姻を、よく思わない人間は今も多い。
「干合の加護の片割れなのだから、辛の皇帝も、丙の皇帝と結ばれたほうが幸せなのでは?」
「そうだな、子もなせぬ婚姻に、意味などない」
二人に向けられる心ない言葉に、水蓮は耳をふさぎたくなる。しかし、その場の喧騒をかき消したのは、ほかでもない灰夏だった。
「そうやって、丙の皇帝陛下は、また他者を蔑ろにするのですか?」
「なんだ、出来損ないの兄東宮が」
「ああ、俺は出来損ないだ。だからこそ、おのれの弱さに勝てなかった。だが、丙の皇帝。俺はアナタを、許すつもりはない」
「許すも許さないも、婚姻とは本来政略的なもの。それに、なんだい、灰夏東宮はわたしに恨みでもあるのかい?」
あはは、と笑って、火之は会合を後にした。次の会合はひと月後だ。その前に、水蓮と灰夏、己花と土夏の婚姻の儀がある。そこで、この火之の悪事を暴いて見せる。水蓮も灰夏も、心は一緒だった。
つかみどころのない火の皇帝の次の行動は、おそらく――
今日は水蓮と灰夏の、婚姻の儀の当日だった。同じ日に己花も婚姻を挙げるため五行の国以外からも様々な国から王族貴族が集まった。その席で、使われた食器は銀製のものであったし、灰の釉薬の食器など使える余地もなかった。もとより、水蓮がヒノキの釉薬を作っていたのは火之を混乱させるための罠だった。
祭壇の上から、水蓮は下々を見下ろす。ここにいるのは、今日で最後だ。
「ああ、本当にうれしいです」
火国の皇帝――火之にとって、今日は絶好の機会に違いない。この婚姻は、火之にとっては好ましくないものだ。つまり、土国は遅かれ早かれ、水国のように滅ぼされる。その足掛かりに、今日の宴を利用するだろう、というのが灰夏の見解だった。
「でも、うまくいくでしょうか」
「ああ。大丈夫だ。この件は、話してある。集中しろ」
「はい」
それでも、これを買って出てくれるとは思いもしなかった。不安げな面持ちで、水蓮が隣の己花を見ている。一段と美しく輝く妹。その妹を危険な目に遭わせるのは、最後まで悩んだ。
縁もたけなわ、魚の揚げ物が運ばれてきて、それを口にした己花が、過剰免疫反応で倒れたのだった。
「東宮妃さま!?」
「大変だ、また己花さまに毒が盛られた!」
今日、食べたのは魚だけである。しかし、己花には、魚の過剰免疫反応はない。ならば、なぜこのような――あんずの過剰免疫反応が起きているのだろうか。誰もがそれを、天罰だと恐れた。しかし、水蓮と灰夏は、顔色一つ変えなかった。
「己花、これを」
土夏が、あらかじめ用意していた水蓮の加護の水を、己花に飲ませる。それさえも計算内なのだろう、火国の皇帝――火之は一切動じない。
水蓮が立ち上がった。
「この魚を毒にしたのは、火国の皇帝陛下です!」
凛とした声が響く。しかし、誰も聞く耳を持たない。兄東宮は無能の子ゆえ、その妃もまた、嘲笑の的だった。
しかし、土夏が同じことを言う。
「火国の皇帝。わたしが秘密裏に、火国へ赴き、今日出されたものと同じ干し魚を手に入れました。火国の皇帝の生け簀で育てた魚を、干したのです」
そうして火之の前に、とある魚料理を届けさせる。なんの変哲もないふたつの魚だった。塩竃焼きにした、ふっくらとした魚だった。もうひとつは、己花に出したものと同じ、揚げた魚。
「丙の皇帝陛下。この魚を、食してください」
「なんだ、こんな魚。東宮妃さまと同じ――」
「この魚は、特別のものだそうです」
土夏が水蓮を見やる。水蓮は、祭壇を降りて火之の真ん前にたつ。今日のためにあつらえた衣装が重くて仕方がない。せっかくの婚姻の儀なのに、こういう風に、別れたくもないのに。水蓮は泣きたいのをこらえる。その瞳に、迷いはなかった。
「この魚のどちらかには、ヒノキの粉末を食べさせて育てました。もう一方は、己花さまの魚と同じです」
「なん……」
「火国の皇帝陛下には、ヒノキの過剰免疫反応がおありですよね? そして、先日東宮妃――己花さまの過剰免疫反応を起こさせたのは、陶器に使った釉薬の灰に、あんずの木を使用した。違いますか?」
水蓮の凄みに気圧されて、火之の額に汗が流れる。この魚のどちらかがヒノキだとしたら、火之には食せない。過剰免疫反応は命を奪いかねない重篤なものだからだ。こと、火之の過剰免疫反応は、水の国の皇帝と同じくらいに重く、ヒノキの木に触れただけで、命にかかわる症状が出る。火之はがたた、と立ち上がって、
「陰謀だ! そもそも、私が過剰免疫反応で死したら、火国が亡びる! これ以上五行の均衡を崩せば」
「それはもう、対策済みです」
「東宮さま?」
この件は、水蓮も知らされていなかったらしく、祭壇から降りてくる灰夏を呆けて見ている。しかし、灰夏は、水蓮の胸に手をかざすと、その胸に散る火花から赫灼の剣を抜き取った。相も変わらず神秘的ないでたちは、ここにいる誰もを魅了した。この加護の剣は、どうやっても五本そろえてはならない。それこそが火之の目的だからだ。現在は、水蓮と灰夏の火の加護の剣、己花と土夏の土の加護の剣、火之と金華の水の加護の剣。あと二つも、火之なら無理やりにでも顕現させることだろう。それでは遅いのだ。火之は今、ここで止めなければならない。
「これは、火の剣。わたしと水蓮。ふたりは土であり水であり、そして合わさると火になるのです」
「なん……」
「大かた、火国の王族すべてが、共謀者なのでしょう? ならばわたしは、今日こそ正しい行いをする」
灰夏が、土国の皇帝陛下に向き直った。土国の皇帝陛下は、祭壇の上から灰夏を見降ろす。その目に、迷いはなかった。皇帝陛下もまた、こたびの件を、知らされている。火之の目論見も、灰夏の罪も。
「皇帝陛下。わたしは、十三年前、水の国の皇帝陛下を手にかけました」
「それは! 違うのです! 皇帝陛下っ!」
水蓮が必死に説明する。あれは自害であったこと、灰夏も陥れられていたこと。皇帝陛下が嘆息する。火之が魚料理を食べないことから、今回の己花の過剰免疫反応の犯人は、火之で間違いないだろう。
「この件の処遇は、あとで決める。火国の皇帝よ、ソナタを拘束させてもらう」
土国の皇帝が、この場を丸く収めて、水蓮と灰夏はその場をあとにする。もう、仲の悪かった兄弟姉妹はそこにいない。そもそも、ふたりともが和解していたのだ。




