3-8 真実
だというのに、この灰夏という男は過保護で、水蓮について離れない。休むために月の宮に来たというのに、あれやこれやと世話を焼きたがる。
「水蓮、なにか食べたいものはあるか?」
「いえ、食欲はないです」
「しかし、昼の食事は作らせてもらうぞ?」
「はあ」
あの言葉が引っかかる。陥れる? 陥れたのはどちらだ。己花をあんな目に遭わせて。もしかすると、水蓮がヒノキの釉薬の器を作っていることが筒抜けなのだろうか、あの釉薬は、木国の王族の加護で作ってもらった、特別なヒノキだ。水蓮の動きを知るのは、木国の人間か、土国に密偵がいるか。
水蓮が考え事をすると、ふと、灰夏の髪が、月明かりに照らされて淡く光った。今日は満月でやけに明るい。
「……!?」
あの日、父が亡くなったあの日、過剰免疫反応でもがき苦しむ父を見下ろしていた、赤茶の瞳。赤ではない、茶色みを帯びあたたかい色が、限りなく怖かった。あの目に、確信がなかった。あの時あそこにいた青年は、赤茶の瞳に銀色の髪の毛を有していた。月に照らされたせいで金色だと思っていたその髪の毛は、金国のものとは違った淡い色味を帯びていた。そしてなにより、水蓮はその青年を『同じ水国の人間』と思って走りよろうとした。つまり、髪の色は、初めから水国と同じ、銀色。月夜に輝いたのは、赤茶の髪ではない。銀色の髪と赤茶色の瞳を有する人間は、そう存在はしないだろう。
知っていたはずだ、この瞳を、髪を。今まではその瞳が濁っていたから、確信が持てなかった。きらりと輝いた瞳は、あの頃と同じく、純粋で美しく、そして憎らしい。違っていて欲しかった。だから傍にいて、確かめていた。あの日の青年は、灰夏ではないと、どこかで願っていた。青年と灰夏の面差しが重なった。
「東宮さま。東宮さまは、水の国に来たことがありますか?」
厨で料理をする灰夏の背中に言う。月の宮にも厨があり、灰夏は水蓮のために料理を作っている。その背中が、こちらを向かずに答えたのだった。
「ああ、一度」
あの日のことだ、と直感する。あの日、火の国の皇帝から献上された食器の釉薬には、父の過剰免疫反応を引き起こす、梅の木が使われていた。そして、父は過剰免疫反応で死んだわけではない。
水蓮は、簪を抜き出し、灰夏の背中に歩み寄る。一歩、二歩、三歩。真後ろまできて、灰夏が振り返る。水蓮の簪が、灰夏の喉元にかざされる。
「殺しに来たか、水の公主」
「なん……知っていて私を、この後宮に迎え入れたのですか?」
あの日、過剰免疫反応で苦しむ父に、とどめを刺したのはこの、灰夏なのだ。あの時父は、こう言った。
「ソナタらは、なにも知らずに何者かににそそのかされた」
灰夏は、あの陶器づくりに一役かんでいたのだ。知っていたら、あんな陶器は作らなかっただろう。自分の国の土で作った陶器で水国の皇帝が倒れた。その器は、水国の皇帝の生誕祭で使用された。謀ったように、灰夏の元に矢文が送られた。その日は土国の双子の東宮の初めての外交だった。五行の国では、十五で成人と言われる。水国に来た灰夏に、矢文が送られたのだ。水国の皇帝が過剰免疫反応で倒れたゆえに、五行の王族が安全な場所に避難され、そのうえで、灰夏に送られた文。文には、水国の皇帝が死するのは、土国のせいだと書いてあった。しかし、
「その文には……水の皇帝を殺せば、土国の罪は問わぬと」
すべて仕組まれたことだった。土国は――灰夏は罪を背負っている。誰にも話せない、苦しみ。
だからこそ灰夏は、水蓮を保護した。水国の皇帝の遺言だ。
「私の娘だけは、助けてくれ」
そうして、父は灰夏に殺された。ように見えた。しかし、実際は、父は最後の力を振り絞って、自ら刃を喉に突き立てたのだった。父皇帝の過剰免疫反応は、触っただけでも重篤に表れる。それを、口という敏感な粘膜に触れたことで、致命的な過剰免疫反応が起きてしまった。過剰免疫反応が解毒不可能と悟るや、水国の皇帝は、土国の少年を助けるために、自刃したのだった。
「なんで、東宮さまだったのですか。土夏さまは、皇帝陛下は」
「土夏や皇帝を脅しても、この暗殺はうまくいかなかっただろう。誰にも信用されていない俺に陶器を作らせ、過剰免疫反応で水国の皇帝を害することで、俺が自責の念から水国の皇帝の件の罪を、隠し通すだろうと思ったのだろうな」
それを知っているからこそ、灰夏は、水蓮を後宮に迎え入れた。黒幕から守ろうとした。最初から、灰夏は五行のいずれかの皇帝が黒幕だと、わかっていて水蓮を見守っていたのだ。あの日灰夏は、幼き日の水蓮と母皇后がが逃げ出すのを、見て見ぬふりをした。そして目に焼き付けた。その公主を。
「ソナタの父上との約束があった。ゆえに、ソナタをここでかくまいたかった」
「なんで、なんで。なんで今更!」
そんな風に言われたって、今更だった。水蓮はもう、この灰夏の優しさを知っているし、この企ての黒幕は灰夏が吐いたも同然だった。火国の皇帝だ。ふたりは黒幕を知っているのに、なにもできない。
「そこで、提案がある」
「……?」
「それから俺を殺しても、遅くはあるまい」
それからしばらく、灰夏は後宮を空ける。海に向かい、魚を手に入れるためだった。くしくもそのそばには、水蓮の姿があった。
「金華さん、こんにちは」
「あ、水蓮。どうしたの?」
最近は、姿を隠していた水蓮が、久しぶりに会合に現れたかと思えば、
「金華さんって、木の国の甲の皇帝とは親交がおありでしたよね?」
要領を得ない水蓮に、「水臭いな」と金華が耳打ちした。金華の息が耳にかかってくすぐったい。
「火の国の皇帝と木の国の皇帝は、私も警戒してるから。なにが知りたいの?」
「はい……丙の皇帝のなにか変わった点と、木の皇帝とのかかわりを」
「了解。少し待っていてね」
現状、加架が死んだとなれば、次は自分に容疑がかかると、丙の皇帝はなにか策を講じるはずだ。金華は持ち前の明るさで、火の皇帝、木の皇帝と話している。ふと、水蓮が金華に手招きされて、水蓮はその場に歩く。
「こんにちは。丙の皇帝陛下と甲の皇帝陛下」
「ああ。わたしとは久しいな」
「はい、甲の皇帝陛下」
恭しく拱手礼をしてから、金華が自然な流れで水蓮に言った。
「木の皇帝陛下は、最近は草木の灰を作っているそうだよ」
「へえ。釉薬ですか?」
あえて釉薬の話題を振った。案の定、火之も緑陽も一瞬だけ顔を強ばらせた。しかし次にはいつも通りの表情を貼り付ける。
「はい。草木の灰は、薄くきれいな青色になりますから」
金華が今度は火の皇帝に続けた。
「その薪を灰にするのが、火の皇帝陛下なんですよね」
「ああ、そうだ」
ふうん、と金華が頷いた。水蓮も同じく、深く考える――より先に、火の皇帝に手をつかまれて、
「せっかくだから、共に後宮内を案内してくれぬか?」
「や、私は」
「いいね、じゃあ、私も一緒に」
金華が水蓮と火の皇帝――火之の間に割って入る。ほっとしたように水蓮が脱力する。金華には宝鈴という妃がいるのに、火之との間を取り持たせるのは、最後まで悩んだ。金華は、辛の皇帝だ。辛は丙と、干合する。
「本当に、君が水の王族だと知っていたら、私に欲しかったよ」
水蓮が癸の公主だと、もう誰もが知っている。緑陽のにこやかな顔には、うらがあるのだろうか。




