3-5 羊肉
この件で殺人の容疑者として上がったのは三人。単なる食あたりにしては出来すぎている。ゆえに直近で関わった人間が取り調べられたのだった。
一人目が、羊肉を共に食した火国の皇帝――火之だった。水蓮と灰夏は、ひとりひとりに事情を聞いて回ることにした。最初は火之だ。
「わたしたちは確かに、羊肉を共に食べましたよ。しかし、羊肉を食したのは七日前。今さら羊肉で食あたりなど」
一番怪しいのが火之であるが、確かに同じ羊肉を食した火之がぴんぴんしているところを見ると、どうにも犯人とは言いがたかった。
二人目の容疑者は、肉を提供した金の国の王族、沙である。また、沙は、羊肉を提供しただけではなく、加架が死んだ四日前に、共に酒を酌み交わしていたのだ。
「まさか。わたしは知りませんよ。氷の酒でいいものが手に入ったと誘われたのです」
「氷の?」
水蓮が聞き返すと、沙が慌てて付け加えた。
「加架さまは、氷の酒を、火国の皇帝と飲んだと自慢しておりました」
「なるほど、して。その酒はどんなものだ?」
「はい。エウロプの蒸留酒を、酒で割るのです。夏に氷が手に入ることを、加架さまは私に自慢したかったようです」
沙も同じ酒を飲んだのなら、酒に毒はないだろう。ならば、酒自体に過剰免疫反応があったのだろうか。
いや、過剰免疫反応があったのなら、即日身体に出るはずだ。
「ありがとうございました」
「ああ。わたしは、捕まるのですか?」
「いえ、まだそこまではわかっていませんので、大丈夫かと」
水蓮は沙に礼をしてその場を去った。
最後の容疑者は、加架に仕えていた使用人の無人である。名前からして、加架がだいぶ非道な人間であることが伺えた。この使用人に名を与えたのが、ほかならぬ加架なのだ。
「わ、わたしはなにも! 何年も前から胃の腑がよくないと仰っていて。最後の三日は水すらも飲めずに。ああ、ああ、わたしの旦那さま……」
殺す動機が一番強いと思われたが、使用人とは、幼き頃から主人に雇われているため、外の世界を知らない。どんなに非道な主人でも、忠誠を誓えば裏切ることはない。しかし、なにか引っかかる。
「東宮さま、今日はもう、帰りましょう」
「ああ、そうだな。無駄骨だ」
そうでもない。なにか、なにかきっかけさえあれば、謎が解けそうなのだ。
検死の結果、胃の腑からは消化されていない羊肉を始め、この七日で食べた食物が検出されている。そして、口内と食道のやけどのただれ。あと一歩のところまで、来ている気がするのに。
皇宮に帰ると、灰夏が料理を始めた。今日は、昨日から仕込んでいた煮豚の仕上げをするのだという。
水蓮はいつものように、灰夏とともに厨に立った。先日茹でこぼした豚バラのゆで汁に、分厚い脂が浮いていた。
「豚バラ肉って、こんなに脂が出るのですね」
「ああ。この豚肉は特別な豚肉だから、融点が低く、口の中で脂が溶ける」
何回か茹でこぼしたら、ゆで汁の中で豚バラ肉を冷まして、一晩涼しい場所に置くと、脂が固まる。それを丁寧にすくい取って、調味液で四半刻(三十分)ほど煮込んだら完成だ。本来なら、煮込んだあとにさらに一晩置くと味が染みるが、水蓮が待ちきれないようなので、今日は直ぐに食べることにした。
「さて、豚バラの煮込みに、チンゲン菜の蒸し物を添えて。さっぱりさせるために、熱い烏龍茶を淹れてくれないか?」
「はい。烏龍茶は脂肪を分解しますしね」
「よくわかってる」
羊肉といえば、モルゴという国で主として食べられている肉だった。新鮮なものは臭みがなく、脂がしっかりしていて美味しいのだとか。
脂。脂?
「東宮さま」
料理を机に運んで、さて料理を食べ始めた水蓮は、豚バラの煮込みを口に入れて、はてと首を傾けた。
「どうした?」
「はい。先程、この豚バラの脂は融点が低いとおっしゃいました。それはどういう意味ですか?」
「融点というのは、低いほど人の舌の上で溶けやすい。逆に、融点の高い脂は、溶けにくいから、モルゴの羊肉などは、熱い茶とともに食すのが常だ」
つまり、羊肉の脂は。
「それです!」
灰夏の話が正しければ、羊肉の融点は高く、人肌ですら溶けにくいのだ。それを、加架は氷の酒とともに食した。となれば、胃の腑の中で羊肉と冷たい酒が混じり合い、脂が胃の出口で固まって詰まって食べ物が消化されなくなる。そして、最後の三日は水すらも飲めず、恐らく死因は脱水だ。ひとは飲まず食わずでは三日も生きられない。
「しかし、脂が胃の腑で固まっても、本来なら人間は、膵臓から分泌される酵素で、脂が消化さるるはずなのです」
うーん、と水蓮が顎に手を添えて考える。可能性としては、その酵素がうまく働かない病だった、という線が濃厚だ。水蓮は、今までに灰夏から聞いた話を想起する。そういえば、灰夏の母皇后が身罷られた際の取り調べで、胃もたれの薬を所望していた。使用人の無名も、長年胃もたれがあったと言っていた。その胃もたれの原因が、膵臓の働きの低下によるものだったら。そして、その胃もたれの症状が十年前からあったなら、現在はかなり膵臓の働きが弱っていたはずだ。すべてが繋がる。加架は、膵臓の病ゆえに、固まった脂をうまく消化できない体質だったのだ。
「東宮さま。加架さまは膵臓の病ゆえに、固まった脂を消化できなかったのです。そして、死したのちに加架さまの胃の腑に、熱湯を流し込んだことで、胃の腑を塞いでいた脂を溶かしたんです」
だから、口と食道がやけどでただれていた。そしてこれは、加架に羊肉を食べさせた、火之が犯人だということを示している。
「火国の皇帝陛下は、加架さまの膵臓が弱っていたことを知っていたのです」
故に、冷たい酒と共に羊肉を食べさせ、胃の腑で脂を詰まらせるようにした。この謎が解けたところで、証拠が不十分で火之に罪は問えないだろう。口のやけどは、加架が熱い茶を飲んだのだと言えばいいし、羊肉と氷の酒だって、たまたま食べ合わせが悪かっただけとも言い逃れられる。
「周到ですね、火国の皇帝陛下は」
「ああ。だが必ず、しっぽを出すはずだ」
暴くには、まだ準備が足りない。ふたりは食事の手を止めて、暗い顔でうつむいている。火之の目的は察しがつくが、それを暴くには、現行犯で火之の仕掛けを暴く必要がある。
婚姻の儀の準備はつつがなく進んでいる。衣装も大体あつらえ終わり、しかし、その日は太陽の宮で騒ぎが起きた。太陽の宮とは、己花の住む宮である。土夏が皮肉って付けた名前だ。水蓮は月で、己花は太陽。己花こそがこの国の国母にふさわしいのだと言われている気がして、水蓮はその場所が好きではなかった。
「己花さまがお倒れになった!」
「え、己花さまが?」
その知らせは水蓮のもとにも寄せられて、水蓮はいの一番に妹のもとへとはせ参じた。




