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3-4 解毒

 皇帝の寝室まできて、灰夏が扉の前で恭しくこうべを垂れた。水蓮の肩を抱き、水蓮は立っているのもやっとのようだった。水蓮も扉の前で頭を下げる。


「灰夏にございます」

「なんだ、入るがよい」


 皇帝の声に、灰夏は水蓮を連れて皇宮に入る。ちょうど、ビワの茶を飲もうとしていたため、水蓮はない力を振り絞って、皇帝に走り寄ってその茶碗を取り上げた。ばしゃ、とビワの茶が床にこぼれた。それは床に染みを作り、皇帝の眉がピクリと動いた。


「水蓮妃? よもや、このビワが、原因だと?」


 皇帝の目が、驚きに染まっていく。水蓮の行動の意味するところをすぐに察したのだ。水蓮がビワの茶を持ち帰った際は、まだビワの茶が原因だとわからなかったため、皇帝は今しがたも、ビワの茶を飲もうとしていたのだった。疑いの段階で、ひとから贈られたものを蔑ろにすることは、この心優しい皇帝にはできなかったのだろう。だからこそ、つけこまれた。


「このビワが、毒だったか」

「はい……私にも、皇帝陛下と同じ症状が出ました」

「なん、水蓮!? ソナタ、なにを」


 だから灰夏には言わなかった。水蓮の額に汗がにじんでいる。水蓮は、このような知識をどこで手に入れるのだろうか。料理が好きな灰夏でさえ、ビワの種に毒があることは知らなかったというのに。それだけ水蓮は、懸命に生きてきたのだろう。五つで父と死に別れ、この土の国に来て、義母に隠れて勉強をして。そうやって水蓮という人間が生きて来てくれたことが、灰夏にはとてもうれしく、申し訳なかった。


「皇帝陛下、空の茶碗はありますか?」

「あ、ああ。参内官」


 内官が茶碗を一つ、持ってくる。そうして、水蓮がその椀に手をかざすと、そこに滾々と水が湧き出てくる。


「解毒の水です。ビワの茶の毒なら、すぐに解毒できるかと」


 水蓮の手からあふれる水を見て、しかし皇帝は顔をしかめた。この加護に、見覚えがある。

 この水蓮という娘は、水の国の遠い祖先がいると聞いていた。人づてに聞いたことだった。水蓮が後宮内で力を暴走させたことは皇帝も報告を受けている。その時の水蓮の水の加護は、雨をも降らす大きな力だったと聞いている。それほど強大な力となれば、遠い祖先が水の国の人間である、というよりは、水の国の王族だ、と考えるほうが自然だったというのに。人の話には尾ひれ背ひれがつく。だから皇帝は、水蓮の加護の暴走も、実際はさほど強いものではないのだろうと、聞き流した。それがどうだ、水蓮の加護は、まぎれもなく水国の人間のそれだった。解毒までできてしまうほどの加護は、王族の証だった。


「解毒の水の加護……そんな、水国の人間は……」


 皇帝の驚きもそこそこに、水蓮がその水を促す。ちゃぷんと水を揺らしながら、水蓮がその茶碗を皇帝に差し出した。


「ご存じであれば。我々水国の人間の加護の水には、解毒作用があることもご存じでしょう?」


 おそるおそる、皇帝がその水を口に含んだ。まろみのある水だった。体の中から潤うようだった。皇帝の体調不良が、嘘のように消えていく。この水を、皇帝は知っている。先の茶葉の中毒の際、解毒のために出されたせんじ薬、あのせんじ薬を煎じた水こそが、この水だったに違いない。そしてこの味は、水国との外交の際に、よく飲んでいた。加護の水の味は、それほど特別だった。


「しばらくは、私の水を飲めば、症状は治まるかと」

「なるほど、前回の中毒も、ソナタの水か。ソナタは水国の人間だったか。どうりで早く毒が出るはずだ」


 皇帝が感心したように声を漏らした。水蓮が水国の人間だと黙っていたことは、咎めないらしい。皇帝の懐の深さに、水蓮はその場で拱手礼をする。


「感謝申し上げます」


 皇帝も、その言葉の意味を理解して、「よい」と小さく吐き出した。隣にいた灰夏が、水蓮に空の茶碗を渡した。


「水蓮、ソナタも加護の水を飲め」


 皇帝の体調が戻るのを見計らって、灰夏が水蓮に促した。しかし、水蓮は首を横に振る。


「いいえ。水国の人間には、水の加護は効かぬのです」


 もしも効いていたのならば、水蓮の父親だって、過剰免疫反応アレルギーで死ぬことはなかっただろう。加護はあくまで他者に与えるもの。その力を悪用せぬように、自身に加護の力は使えない。灰夏が歯噛みした。一刻も早く、水蓮に解毒のせんじ薬を飲ませなければ。


「父上。今日はこれにて」

「ああ、灰夏」

「はい」

「水蓮を、大事にしなさい」


 その言葉が、重く灰夏にのしかかる。灰夏は本当に、水蓮を好いている。その一方で、強い罪悪感も、抱いているのだ。


 月の宮まで水蓮を運んで、灰夏は水蓮を寝台に寝かせた。毒出し用に、利尿作用のある菊花茶を花女官に淹れさせる。そのほか、解毒作用のある食べ物を選んで、粥に混ぜて炊き込む。十五穀米と、ネギとトウモロコシに麦、カブやセリ。今は中毒で呑み込みもしづらいだろうから、粥は柔らかめに炊いて、野菜はくたくたになるまで煮込んである。粥に入れる野菜を別個に茹でてもよかったのだが、野菜の栄養が水に溶けだす性質を知っている灰夏は、粥と一緒に野菜を炊いた。香りのある野菜には、解毒作用があるものが多い。灰夏が寝台に寝る水蓮を起こし、土鍋を寝台のわきの机に乗せた。


「水蓮、苦しいだろうが、食べてくれ」

「もう、お茶だけでタプタプですよ」


 冗談を言う余裕はあるようで、灰夏は安心する。先ほどまで、医官にせんじ薬を作らせていたため、水蓮の腹は薬でいっぱいだった。しかし、薬だけではどうにも落ち着かず、灰夏はおのずから料理を作った。食べなければ体の毒は抜けない。毒は体力との勝負でもある。

 灰夏は寝台に座り、レンゲで土鍋から粥を掬って、水蓮の口に入れてやる。小さな口がモクモクと動く。こくん、と飲み込むのを見て、灰夏はほっと胸をなでおろした。食欲はあるらしい。多少嚥下のしづらさはあるようだが、これなら回復も早いだろう。


「水蓮、苦しくないか?」

「大丈夫です。でも、東宮さま」


 あのビワの茶を渡したのは、誰なのだろうか。水蓮の言いたいところが分かったらしく、灰夏がもう一口、水蓮の口にレンゲで粥を運びながら、


「ああ。あのビワは、加架どのが皇帝に渡したらしい」


 犯人が分かれば、多少なりとも対処はできる。加架。灰夏の母を殺した人間。これ以上、無為に人を殺させてなるものか。水蓮の心中を察し、灰夏が水蓮の口元を手巾で拭った。


「今、加架を取り調べているところだ。のちに、俺も直々に話を聞く予定だ」


 しかし、容疑者として取り調べされていた加架は、その数日後に腹痛に見舞われ、帰らぬ人となった。検死の結果、体に特に異常は見つからなかった。変わった点と言えば、数日前に食べた食事が消化されていなかったことと、口内と食道が焼けただれていたことくらいだった。

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