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2-5 あんず

 店内はヒノキで作られていて、清潔感があった。それに、独特の料理の香りが鼻腔をくすぐる。ヒノキと言えば、火国の皇帝はヒノキに過剰免疫反応があると言っていたっけ。水蓮は、献立表を見てうんうんうなっている。どれも未知な食べ物ゆえに、興味深々なのだ。


「みんなが頼んでる、サシミってなんでしょう」

「ああ、それは俺のおすすめゆえ、頼もう。ほかには?」

「えーと、トウフ? これ、ダイズ――豆で作ったって書いてあるんですけど、柔らかくて美味しいって。豆が?」

「では、トウフも。あとは、煮物と味噌汁もお勧めだ」

「じゃあそれで」


 慣れた様子で、灰夏が注文を済ませる。店員を呼び止める様子は、東宮というよりは料理人と言った感じで、灰夏はここの料理も自分の料理に生かしているのだろうかと思った。

 水蓮は、周りの客の料理を見ながら、今か今かと待ちきれんばかりに目を輝かせていた。まるで子犬のようで、また、灰夏が無遠慮に笑った。


「東宮さま、笑いすぎです!」

「ソナタ、ここでは『灰夏』と呼ばないと、俺の正体がばれてしまう」

「な、え。東宮さまをお名前で呼ぶなど」

「しかし、ソナタは俺の妃ゆえ」


 しかし、妃になるなんて約束、したくてしたわけではないのかもしれないと水蓮はためらった。灰夏に隠し事をしている以上、本当の妃としてふるまっていいのか、水蓮は思い悩んでいる。成り行きで流されて妃になることになってしまったが、じゃあ水蓮は、なにがしたいのだろうか。


「水蓮?」

「東宮さま。私、加護がなかったら、妃になることも、東宮さまに出会うこともなかったんですけど」

「……?」

「昔は、この加護が大嫌いでした。死んだ父と母を思い出すので」


 灰夏が困ったように眉根を寄せた。いつかはそういった話をしてくれるとは思っていたが、それが今とは。灰夏の目が悲しみに染まる。心の底から同情してくれているのがわかる。この東宮は、なんてお人よしなのだろう。灰夏はそのまま、水蓮の頭に手を乗せて、


「泣きたいときは、泣いていい」

「な、泣きませんよ。子供じゃあるまいし」

「実際子供だろう。俺から見れば」


 そうはいっても、水蓮はもう十八歳だ。しかし、この東宮は幼く見えても二十八。歳の差なんて普段は気にしたことはないが、妙に悔しくなってくる。十も違えば、生きてきた世の中はだいぶ違うだろう。今は昔ほど移民や身分に厳しくはないのだが、それでも、加護を重要視する慣習は変わっていない。加護を持たなかった灰夏は、どのようなことをされて、言われてきたのだろうか。


「ああ、来たぞ」

「え。え、ええ!?」


 しんみりしかけたとき、料理が運ばれてくる。水蓮はぱっと顔を明るくした。そうでもしないと、泣いてしまいそうだった。

 運ばれてきた、サシミ、味噌汁、煮物、トウフを見て、水蓮は案の定絶句した。特に生の魚だ。これは、食べ物なのだろうか。透き通るような白身の魚と、赤赤した魚の切り身。生のため、ふにゃりとした見た目で、味なんて想像もつかない。そもそも、お腹を壊しそうで、水蓮の箸はまったく動かなかった。


「どうした? うまいぞ」

「げ。食べられるんですか? 生ですよ? お腹壊しますよ」

「大丈夫だ。ここは港の近くゆえに、新鮮な魚が手に入る。流通管理をしっかりすれば、このように生の魚でも食せるのだ」


 そうはいっても、流通で氷は必須だろう。そうだ、灰夏は夏でも氷が手に入ることを、料理人なら知っていたはずなのに、氷室のことを知らないのは、料理以外には興味がないからだろうか。灰夏の母皇后のことを思い出すも、ふるふると首を横に振った。今は食事を楽しまないと。それに、食わず嫌いは損だ。あの灰夏が美味しいというのだから、きっとおいしいに違いない。

 ああだこうだ迷い、やはり箸が出ない水蓮を見かねて、


「ほら、口を開けろ」

「や、自分で食べます」

「いいから。ほら」


 箸で挟まれた刺身にしょうゆをつけて、灰夏が水蓮の口におのずから運んだ。水蓮は仕方なく、小さな口を開けて刺身を口に入れた。ぐにゃ、とした食感だった。しかし、悪くはない。好ましい食感だった。水蓮の小さな口が、マグロを咀嚼し、もくもくと動く。舌の上に上品な油が流れていく。


「生臭――く、ない。あれ、美味しい」

「そうだろう? 今度は、わさびを付けて食べてみろ?」


 気をよくして、水蓮が箸を持ち、わさびを刺身に小指分乗せる。それを口に運ぼうとするのを見て。灰夏は慌てて、


「わさびは辛いから、少しでいい」

「でも、薬味は多いほうが美味しいですよ」


 言うことを聞かず、水蓮は大量のわさびとともに刺身を口に入れた。この国でも、唐辛子を使った料理は存在するし、辛子を使った料理もある。麻婆豆腐の豆板醤は、塩気と辛味をつけているし、辛子は野菜を和えるのに使う。水蓮は辛いものも甘いものも好きだ。だから、わさびもたくさんつけた方が美味しいと思った。しかし、わさびを大量につけてマグロを口にれると、からい、というより、


「痛い! 舌が痛いです! 鼻が! 鼻が!」

「ふ、あはは。ソナタ、本当に面白い」


 灰夏は、水蓮に味噌汁を渡して、水蓮は味噌汁でわさびを洗い流す。しかし、口の中が刺すように痛む。鼻の奥と目の奥がじんじんと痛む。くしゃみが出そうになるのをこらえる。もう、あっちこっちが痛くて、水蓮はまた、味噌汁でわさびを流し込んだ。


「東宮さま、私、サシミは好きですが、わさびは好きじゃないです」

「慣れたらこの辛さが癖になる」

「ええ、東宮さまは異国の料理に『も』寛容なんですね」


 その言葉の真意を、灰夏は聞けなかった。まるで、水蓮が異国の人間だと言いたげな、そんなうらをはらんだ言葉だったからだ。


 料理屋で気分転換した水蓮は、数日たって出来上がった襦裙を身にまとう。今日は水蓮のお披露目のお茶会である。灰夏が選んでくれた襦裙は、どれも水蓮の顔立ちに似合っていて、水蓮は自分が少しだけ好きになれた。

 いざ、お披露目のお茶会が開かれると、水蓮は違った意味で注目を集めた。


「あの娘がこうも変わるとは」


 水蓮は、決して派手な襦裙ではなく、灰夏が似合うと言った、あの青みがかった赤茶の襦裙姿で現れたのである。帯の色に水色を取り入れることで、水蓮にも襦裙がよく似合っている。水色は水蓮の色だ、と灰夏が選んだのだ。それに、化粧も今日はいちだんと華やかにしたのが、意外だったようだ。

 いつもと違う雰囲気に、周りの人間が興味を示した。華やかな雰囲気の彼女もまた、魅力的だ。灰夏は隣の水蓮と腕を組み、今日の親睦会に参加している。


「似合っている、水蓮」

「だって。これ、似合うって言ったの東宮さまですよ」

「だが、言う通りにあわせるとは思わなかった」

「ええ、私も意外でした」


 水蓮はてっきり、ほかの色の襦裙にすると思っていたのだが、灰夏が一番似合うと選んだ赤茶の襦裙を身にまとっているのだ。それほど、灰夏を信じてくれているのだと思うと、灰夏の頬が自然と緩んだ。水蓮が灰夏に笑いかけると、会場中が水蓮に注目した。あんな風に柔らかに笑う人間だったのだろうか。

 貴族の一人が水蓮に話しかける。その人物に、灰夏の顔が曇っていった。


「水蓮嬢。わたしは貴族の加架と申すもの」

「あ。加架さま……!」


 灰夏にとっては敵の男だった。水蓮は加架に向き直り、襦裙を翻してあいさつした。加架は出張ったお腹をさすって、水蓮を舐めるように上から下に見渡している。


「李・水蓮です」

「噂は聞いておりましたが、お美しい」

「お世辞でもうれしゅうございます」


 水蓮の周りにはいつのまにか人だかりができていて、水蓮は挨拶だけでてんやわんやだった。しかし、灰夏は水蓮から片時も離れず、不都合な声掛けがあると、灰夏が割って入って話題を変える。水蓮にいやらしい視線をよこそうものならば、灰夏はそれらを排除し、水蓮を守った。

 結局水蓮が自由になったのは、食事がふるまわれる、正午のことだった。


「水蓮妃、一つ飲み物を交わしませんか」

「ええ、喜んで」


 水蓮は一生懸命外交に励んだのだが、何分緊張は隠せない。今度話しかけてきた王族は、木国の皇帝、緑陽である。緑色の髪と瞳が、たいそう美しかった。柔和な顔つきで、水蓮の警戒が緩むのが分かった。


「平民なのに妃になってどのようなご気分ですか?」

「灰夏氏とはどんなご関係で」

「妹の己花妃と水蓮妃はどういうご関係で」


 どの問いも、「はい」とか「いいえ」としか答えないので、水蓮は腹のうちが読めないしたたかな妃だと会場中が噂する。

 緑陽が、己花のことばかり聞いてくるので、水蓮は気が気じゃない。この緑陽は、己花に近づくために、自分を利用したのではと思うほどだった。


「ああ、水蓮妃。己花妃にくだものを持っていきたいのだが、なにか嫌いな食べ物はありますか?」

「己花さまは……あんず以外なら」

「ほう、あんずがお嫌い、と」

「いえ、命にかかわるので、絶対に食べさせないでください」


 それは、水蓮が姉だから知っていることだった。己花には、あんずの過剰免疫反応アレルギーがある。今日出されているくだものの中にもあんずがあったため、水蓮は緑陽に釘を刺すのだった。

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