2-1 ある女官
二
後宮に新しい女官が入ってくることはさほど珍しいことではなく、その日も新人の女官が炊事や洗濯にいそしんでいた。見慣れない赤茶の髪は簡単にまとめられて、それなのに瞳の色は白銀だ。稀にこういう人間が生まれる。この土国の東宮のように、両親ともに土の人間なのに、その髪が赤茶ではない、特異な人間。
「東宮さま。婚姻の儀まで時間がありますし、私、調べたいことがあるのです」
水蓮は、手放しにこの状況を喜んでいたわけではなかった。水蓮は、なにを隠そう水国の最後の公主だ。その素性を隠して生きてきたが、東宮妃となれば、この先水蓮に危険が及ぶのは明らかだった。ならば、先にその芽を摘んでおこうと思ったのだ。
あの日、水蓮の父である壬の皇帝は、過剰免疫反応が原因で弱り、死んだ。
ふうとひとつ息を吐き出して、水蓮は洗濯場の水を流しに捨てた。ここは土の国の後宮、洗濯場。井戸の周りに女官が集まり、ああ私はいつか尚宮になるだの、皇帝の側室のなるだのと話に花を咲かせている。そのどれもが、美しい赤土色の瞳と髪を有している。だから新人のこの女官は、ほかからさげすまれ話に入っていけなかった。しかし、そのくらいでちょうどいい。
新しい女官が入ってきてひと月が過ぎようとしている。最近、兄東宮の妃は、めっきり会合に顔を出さなくなったと噂されている。なんでも、妹の己花妃に気後れして、引きこもりになってしまたのだとか。
太陽が南中するころには、洗濯物はみな洗い終えて、木と木の間にぶら下げた紐に襦裙を広げて太陽にさらす。
「ああ、でも。水の国の皇帝は、残念だったわよね」
女官の一人が口にして、ハッとしたように口を結んだ。
この世界は五つの国で成り立っていた。いた、というのは、現在は四つの国に減ってしまったからである
それぞれの国には、五行からとった名前が冠される。木国、火国、土国、金国、水国。それが、十三年前に、不慮の事故で水の国の皇帝が亡くなったから、いまは実質四つの国が手を取り合って暮らしている。
五行には、相生の関係と相克の関係とがある。つまり、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む。そして、木は土を剋し、火は木を剋し、土は水を剋し、金は木を剋し、水は土を剋す。この力の均衡が保たれていたことで、世界は安寧、平和だった。
「聞いた? 皇帝陛下がお倒れになったそうよ」
「聞いたわ。なんでも、心の臓に不調がおありらしいわ」
女官たちの噂話を右から左に流し、新人の女官――水蓮はふと空を見上げた。水の国がなくなったから、水不足が危ぶまれたが、今は水を金の国が生み出している。金属には水滴がたまる。金の国では、金属が産出される。なにより、ここにいる女官たちは知らないのだ。
「皇帝陛下って、いつもお茶をお飲みでしたよね」
先ほどまで黙りこくっていた水蓮が、珍しく皇帝に言及したため、女官たちは彼女を鼻で笑った。滅びた水の国の不吉な瞳を持つ新人女官の正体を、誰もが知らない。水蓮の顔を知るのは、あの会合で顔を合わせた王族貴族くらいであるが、そもそも女官たちは水蓮の顔を知るすべもなく、水蓮は女官の仕事の方が性に合ってると嘆息する。
「ああ、水蓮。アナタって、なんで土の国の人間なのに、名前に水なんて付けられたんでしょうね」
「さあ、それは私にも」
水蓮は、皇帝の症状を聞き、一つの仮定を組み立てた。ひと月前、水蓮は灰夏に頼み込んで、後宮の女官として働きだした。皇帝陛下の体の不調について、調べたかったからだった。水蓮は現状、灰夏の妃ではあるが、昨日今日で妃になった水蓮に、皇帝が信頼を置くとも思えなかった。それに、皇帝の一挙手一投足を把握するには、女官とういう立場が一番手っ取り早かった。女官たちの噂話は、一晩でこの広い宮中を駆け巡るのだ。
「あの、今から皇帝陛下は、お茶のお時間でしたよね」
「え? ええ。まさかアナタ、皇帝陛下に取り入りたい、とか?」
それはない。水蓮は東宮妃に決まっているのだから。しかし、それを言ってしまえばここにいる意味がなくなってしまう。水蓮は言葉を選ぶ。
「いいえ。ただ、今日のお茶を淹れて運ぶ役割を、私に譲ってはいただけませんか?」
水蓮が、綿の襦裙のしたから帯飾りを取り出すと、女官たちがわっと色めくが分かった。大きな緑色の玉の帯飾りは、女官なんかでは手に入れることはできない上等なものだった。これは、水蓮があらかじめ灰夏にもらっていたものである。水蓮に贈られたものではなく、こういった賄賂のためにわざわざ灰夏に手配してもらったのだ。そのつやつやした玉を見せると、女官たちは一気に水蓮にこびへつらった。
「これ、くれるの?」
「はい。それで、私に変わっていただけますか?」
「ま、まあ。今日だけならいいわ。私が女官長さまに言っておくわ」
水蓮は赤茶色の髪の毛を揺らしながら、洗濯場を後にした。水蓮の髪の毛は、光に当たると赤茶色が抜けて、きれいな灰色に光る。女官たちは気づかないが、水蓮の髪の毛は、やはり土の国の人間のそれとは、だいぶ違った。それが、水蓮にとっては恨めしい。
「ほんと、よくわからない子よね」
誰とも仲良くしないし、どこか品もある。水蓮はここにきてひと月、目的のために息をひそめて生きてきた。皇帝陛下の体調不良を調べるという、大事な大事な目的である。




