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1-10 金華と宝鈴

 そうやって、灰夏は実家から水蓮のものを全て運び出した。しかし、水蓮の持ち物は本来少なく、灰夏は必要になりそうなものを買い足していた。寝台や、姿見鏡、襦裙は新しいものをあつらえた。水蓮の好みがわからなかったから、とりあえず花尚宮に見繕わせて、襦裙は五枚ほど。あとで水蓮の好みのものを、別にあつらえなければと思った。

 変わり果てた月の宮に、水蓮は笑いを漏らした。


「なにがおかしい?」

「いえ。揃えるの、大変だったでしょう?」


 ふかふかの寝台に腰掛けてみる。きしみすらしない、上等なのはそれだけでわかった。昨日のままでも十分上等なものだったのに、灰夏はどこまでも水蓮を甘やかしたいらしい。

 家具はふたつあって、ひとつは襦裙用、もうひとつは簪用だった。

 水蓮は寝台に座ったまま簪の家具を開ける。しょうのうの匂いがした。


「綺麗……」

「ああ。襦裙は特に、会合に通う際に必要になる」

「会合?」


 水蓮は簪をひとなでしてから、灰夏を振り返る。案外近くに顔があって、水蓮は立ち上がって灰夏から距離をとった。寝台の布団がはらりと床に落ちて、花女官がそっとそれを元の位置に戻した。絹の布団は、お日様の匂いがした。


「五行の国々は、持ち回りで一つの国で会合が開かれる。今は土の時代。土国に、すべての五行が集まる――いや、水国は滅びたか」

「東宮さまは――水国が滅びた理由をご存じですか?」


 有名な話である。水国のみずのえの皇帝は、食中毒で弱って死んだ。本当は、あの日誰かが皇帝を殺したことを、水蓮だけが知っている。あの場には、赤茶の瞳の誰かがいた。あの食中毒の正体を、突き止める日が来たのかもしれない。あの赤茶は、まるでそう、今目の前にいる――

 それを確かめるためにも、水蓮はこの妃という役に流されたのだ。あの日見たのは『赤茶色』と、『淡い金』。しかし、記憶が曖昧だから、金ではなく銀色だったのではないかとも思う。


「どうした? 怖い顔をして」


 水蓮はせわしなく手を動かした。殺気を放っていたかもしれない。何事も、決めつけはよくない。赤茶の瞳なんて、この国にはごまんといる。よりにもよってって、この灰夏のはずがない。水蓮は必死に否定した。


「いえ……私なんかが会合など……!」

「いや。妃なのだから、十分に資格はある」


 灰夏が官服の袖に手を入れる。そこから、キラリとした宝石を取り出した。赤茶色の宝石だ。赤茶の宝石が銀の簪に嵌められている。灰夏の瞳と同じ色の宝石だ。きらびやかで、品のある簪。


「これ……簪?」

「そうだ。妃には、簪を送るのが習わしだ。そして妃は、贈られた簪を肌身離さず身につける」

「そんな……」


 まるで自慢してるみたいで気が引けて、水蓮がおろおろしり込みしている。灰夏は簪を水蓮に握らせる。本当は、手ずから髪に挿してやりたかったが、こと、水蓮は髪に触れられることを嫌うため、仕方なしに手に握らせた形だ。


「これは、ひと除けも兼ねているから」

「ひと除け」

「そうだ。簪をしていれば、誰が東宮妃であるかひとめでわかる。会合にきた五行の皇帝たちも、オマエを侮らないだろう」


 俺の妃は不満かもしれんが。灰夏が自嘲的に笑った。水蓮はそれが気に入らない。無能の兄東宮は、加護を持たない。そう、誰もが言っていた。けれど、違う。加護があろうとなかろうと、灰夏には人間性がある。あたたかな、人柄だ。証拠に、ここの内官や女官たちは、灰夏を尊敬し、いつも笑顔だ。

 水蓮はふっと灰夏の頬に手を当てて、にこりと笑む。


「東宮さまは、優しいかたですね」

「そう言ってくれるのは、水蓮だけだ」

「この宮にいるかたたちは、みんな東宮さまが好きですよ」


 水蓮の言葉には嘘偽りがない。だから灰夏は、心からその言葉を信じられる。

 本当に、あの家で育ってこんなにもまっすぐな水蓮がいとおしくてたまらなかった。抱きしめたい衝動をこらえて、灰夏は月の宮をあとにする。今から会合があるから、灰夏の衣を着替えるのだそうだ。そして、水蓮もまた、会合にふわわしい襦裙に着替えさせられるのだった。


 後宮に越してきて初日だというのに、水蓮はその足で会合へと向かわされた。

 花尚宮に着付けを頼んだが、本来水蓮は己花の着付けをしてきたのであるから、そう時間がかからず自分で着付けられるようになるだろう。それはそれで花尚宮が寂しがりそうだが、ひとになにかをしてもらうのはどうしても心がざわめいてしまう。その時点で、まだあの家に縛られているのかもしれないが。


「李・水蓮です」


 後宮の藍の宮、と書かれた房に入り、水蓮が挨拶をする。その声は小さい。

 この会合には水蓮の妹の己花も足を向けていた。ここではち合わせたらどうしよう、と心配するあまり、水蓮は気が気じゃなかった。背中を丸めて、花尚宮が気の毒になるくらいおびえていた。案の定、水蓮の苗字を聞いた火の皇帝が、水蓮の素性にいち早く気づいた。


「李……ってことは、己花さまのお姉さんですか?」


 赤色の髪と瞳が美しかった。おだやかで、水蓮とさほど年は変わらないだろう。

 その穏やかないでたちの男性ですら、水蓮の体がこわばる。己花はもともと、東宮妃候補となってから頻繁にお茶会や会合に参加していたため、会合でも一目置かれていた。だから、水蓮の身の上も知られたことだった。いつも己花について歩いていた、使用人。ののしられるだろうか。

 しかし、心配に反して誰もなにも言わない。心なしか視線は、水蓮の顔のやや上にある気がする。

 水蓮はうつむく。自然と手が触れたのは、赤茶色の宝石の簪だった。出がけに、花尚宮が会合用の襦裙に着替えさせた際に、髪の毛も結いなおしたのだ。その際、灰夏にもらったあの簪も、髪に挿したようだった。


「己花さまのお姉さんが灰夏さまの妃だったって噂は本当なのか」

「ああ、俺の叔父があの宴会にいたんだけど、干合の公主ひめぎみらしい」

「干合の? では、灰夏さまは、土でありながら、火に?」


 席に歩く間、ひそひそと噂話をされて居心地が悪かった。水蓮は、用意された自席に座る。隣の席の女の子が、にこりと笑いかけてきた。金色の髪に瞳は、金国の人間のようだった。しかし、水蓮があの日見た金色のほうが美しかったように思う。この会合には男が多いが、女の子がいたことに安堵して、水蓮の緊張がやや緩んだ。


「私、宝鈴ほうれい。宝鈴でいいよ」

「宝鈴……さん」


 この人も王族なのだろうか。人間離れした美しさは相変わらずだった。金国の人間は、みな美しいのだと聞く。この土国の人間は、健康的で神秘的ないでたちだ。火国の人間は情熱的で明るいと聞くし、木国の人間は人当たりがいい。そして、水国ははかなさを含んだ顔立ちの人間が多く、水蓮は、自分の出自がばれそうで、より一層背中を丸めた。


「宝鈴、浮気は許さないよ?」


 元気な声とともに、別の女の子が宝鈴の後ろから抱き着いた。宝鈴が体勢を崩しそうになるも、椅子に座り直す。宝鈴の簪は、金色の宝石だった。水蓮と同じだ。宝石をあしらった簪は、王族の婚姻者がいる証明だと灰夏に聞いている。


「あ、の。浮気……?」

「ああ、私は金国の皇帝の、金華。こっちのは私の妃」

「え、え? 金華さんが皇帝で宝鈴さんが妃……?」

「あー、やっぱり知らないよね、周りの国は」


 皇帝は男にしかなれない。それは寓話であるし、実際の皇帝は男女ともにいる。しかし、それを平民が知らないのは、皇帝の姿を平民が早々見られないからである。あの己花すらも、この会合での出来事を家で話したことがない。


「女の皇帝っていうと、平民が不安になるから。いつからか皇帝は男だけって知らしめるようになったんだって」


 金華があっけらかんと説明した。それにしても、宝鈴が妃だなんて、女同士で婚姻を結べるのだろうか。


「じゃあ、女の皇帝陛下は、誰も知らないのですか? それに、妃も女性って……」

「そうだよね。みんな最初は驚く。女は嫁いで跡目――男児を生むのが役割だから」


 水蓮は自分の浅はかさを恥じた。男女の結婚のみが本当で、女は皇帝になれない。それが普通だと思っている自分に不信感がわく。そんなのおかしい。男だけが背負う必要もなければ、女だけが背負う必要もない。そうだ、そのせいで灰夏があんな目にあっている。灰夏が男だから、この国を背負うために生贄にされている。

 灰夏は本当は、東宮なんてなりたくない。小料理屋を開くのが夢だったのに。


「やっぱり、平民的には、女が後継者、ってのは納得いかないみたいで」

「やっぱり、ってことは。ほかの人も?」

「うん。ここに来る人間は、結構な割合で最初に女の皇帝に疑問を持つみたい」


 金華が首をかしげている。金華は、誰よりも自由で、誰よりも柔軟な性格の持ち主だ。そしてそんな金華が納める金国は、とても豊かな国だと聞いている。

 水蓮はあたりを見渡した。会合では、女子は襦裙で、男子は官服姿だ。おそらく、簪をしている女子と、帯飾りを下げている男子が婚姻済の王族だ。妃は見たところ、水蓮とこの、宝鈴だけのようだ。


「でも、水蓮――水蓮って呼んでいいです?」

「あ、はい」

「うん。私は金華でいいよ。水蓮は、妃のなかでも特別だよね。加護の剣を顕現できるのって、聞いたことないもん」


 加護の剣、というのは、水蓮に散る火花を引き抜いた剣のことだ。それらは、己花のお茶会でしか見せたことがなかったのに、ここにいるみなが、水蓮と、加護の剣のことを知っているようだった。


「加護の剣……って、なにか特別なんですか?」

「特別って言うか……あれは、この世界を終わらせるものだから、太古の昔に封印された剣なの。だから、それが現代によみがえって、王族は水蓮に興味津々」


 金華が水蓮を上から下まで見渡した。どうやら、水蓮は特異中の特異らしい。この世界を終わらせる、と言っていた。この剣は、そう簡単に顕現させないほうがいいかもしれない。水蓮は気を引き締める。あのお茶会での行動は、うかつだったかもしれない。

 水蓮は話題をそらす。視線を泳がせながら、金華を見る。


「宝鈴さんと金華さんんは、どこで出会ったのですか?」

「私? 私たちはね、幼馴染なの」

「幼馴染」


 聞けば、宝鈴は金華に遣える側近の家の跡取りだったらしい。金華は金国の跡取りとして公主として、金国で生まれ育った。厳しい教育にも耐えられたのは、宝鈴がいたからだと金華は笑った。宝鈴はずっと金華とは話し相手で、宝鈴に加護が芽生えたのは、十三の時だったのだと聞く。


「ずっと、宝鈴が加護の婚約者だったらいいなって思っていたから、すごくうれしかった」

「そうなんだ……王族って、加護持ち以外にも恋をするのですか?」

「そりゃあ、もちろん。あ、でも、恋はするけど、加護持ちに会うとそっちの方が好きになるらしい。それくらい、加護持ちはえにしが強いっていうか」


 そういうものなのか、と水蓮は頷く。水蓮もまた、確かに灰夏にただならぬ縁を感じているのは確かだった。でなければ、会って二日で灰夏の宮に越してきたり、言われるままにこの会合に通ったりしないだろう。


「わからないことあったら、宝鈴に聞いて。浮気は許さないけど」

「しないよ。私だって。金華のこと大事なんだから」

「もう、うれしい!」


 人目もはばからず、宝鈴と金華が唇を合わせた。水蓮はささっと視線を逸らす。すごく積極的で情熱的だ。ふたりとも彫刻のように美しいから、余計に目に毒だった。


「ふたりは……本当に仲が良いんですね」

「だって、同じ金の加護持ちだもん。水蓮さんは衝動にかられないの?」

「衝動、って?」


 つまり、人目もはばからずくっつきたい衝動のことだろうか。水蓮はふるふるとかぶりを振った。今一瞬、灰夏と接吻する自分を想像してしまった自分が憎い。水蓮はいまだ、自分が妃になった自覚がない。そもそも、灰夏はなぜ、水蓮を妃にしたのだろうか。干合の加護持ちの片割れだと言ったって、そんなに強く惹かれるものなのだろうか。花尚宮に聞いた話、灰夏は人間不審な部分がある。


「私は……だって私なんか」

「ふうん。水蓮って、自分を否定する人間なのね」

「……?」

「たまにいるんだよね。自分に自信が持てなくて、王族や加護持ちへの信頼とかつながりとかまで否定しちゃう人間。灰夏さまも大変だねえ」


 金華は、歯に衣着せぬものいいが、好感が持てる。裏表のない人間で、水蓮は自分もこうなりたいと強く思う。だが、そんな日が、来るとは思えない。

 金華が言いたいことはつまり、灰夏も本来は、宝鈴や金華のようなことをしたいということだろうか。

 ……断じてない。灰夏は紳士で優しくて、水蓮の嫌がることはしない。いや、先だっては額に唇を寄せられたのだった。あれはまだまだ序の口だというのだろうか。

 それは置いておくとしても、水蓮自身が自己否定気味であることは認めざるを得なかった。


「私も、いつか東宮さまに見合う人間になりたい」

「お、いいね。水蓮その調子」


 金華と宝鈴、ふたりの友人ができ、水蓮の五行の生活は、思ったよりもにぎやかになりそうだ。三人のやり取りを、花尚宮が涙ぐんで見守っている。今日の出来事は、余すところなく灰夏に報告せよと命じられている。灰夏もこの会合に参加しているが、今は他国の人間に捕まり水蓮の傍にいられない。だから花尚宮は、自分が水蓮を守らねばと、決意を新たにするのだった。

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