8 美味しい日常と面倒な来客
「おや、珍しい人の参加だな」
気持ちの良い天気の日。久しぶりにお義父さまがお休みだから、皆でお茶をしようと誘われた庭のガゼボ。
お互いの近況を話しつつ、美味しいお茶とお菓子に舌鼓を打っていると、お姉さまが現れた。
「いつもこの時間は寝ているか、本を読んでいるから邪魔をするなと言っていたくせに、どういう風の吹き回しやら」
お父様の嫌味を涼しい顔でかわし、お姉さまは私の隣に座る。
「可愛い妹が一緒ですからね。私だけ仲間外れは嫌ですわ」
そのまま片腕で肩を抱き寄せられて、顔を覗き込まれる。
「アンジェ、今日のお菓子は美味しい?」
「あ、はい」
綺麗な顔のアップ!し、心臓に悪い……。
「どれが美味しかった?」
「どれも美味しいですよ。特にこれ!ビスケットの土台に、クリームとお芋のペーストが飾られているんですが、中にクルミも入っているんです」
前世のモンブランに近い感じで、栗の代わりにお芋が使われているそう。秋になって栗が取れるようになると、栗のペーストに変わるそうだから、ますますモンブランだ。日持ちはしないだろうけれど、美味しい。
「味見していい?」
「はい」
あーんと口を開けられ、自分の食べていた分から一口分を、フォークで掬いお姉さまの口に運ぶ。
「うん。美味しいね」
「でしょう?」
美味しいと言われ、共感してもらえた嬉しさから笑顔を向けると、お姉さまが紫の瞳を柔らかく細める。
「………クラウディオ」
「クラウディアですわ、父上」
「ああ。クラウディア。お前…まさか……」
私たちの様子を見ていたお義父さまが眉を寄せる。そのお義父さまに、お姉さまは嫣然と微笑みを返す。
「どうなさいましたの?姉妹仲良くしているだけですわ。別に変な事ではないでしょう?いつものことですし」
ね?と顔を覗き込まれ、素直に頷く。
そう、いつものこと。
最初の内は一日の内、顔を合わせることはほとんどなかったお姉さまだけど、最近では家にいる間はよく一緒に過ごしている。
ご飯を食べたり、お茶を飲んだり。図書館でそれぞれ好きに本を読む日もあれば、刺繍や勉強を教えてもらう日もある。
「いつものこと?お前が?特定の人間と?」
「ええ。アンジェはこんなに可愛らしいのですもの。一時だって離したくないの」
肩を抱いている方の手の指で、私の毛先をクルクルと弄びながら、お姉さまが笑う。
「…………」
「?」
何かしら?お義父さまが、難しい顔をしていらっしゃる。
誰かと一緒にいるのが珍しいくらい、お姉さまは内向的というか、お友達がいないのかしら?
そういえば、お姉さまのお友達が家に来たということはないかも……。
まあ無理もないと言えば無理もないかも。これだけ綺麗な方だもの仮令友人としてだって、隣に並ぶのは遠慮したいだろうし、まして彼氏や婚約者持ちとなったら心変わりが心配で、紹介なんてできそうにないものね。
出かけた先で、本人の与り知らぬ理由で刃傷沙汰、なんてこともありそうだし。
お姉さまは本当に良い方なのに…。お可哀相。美人すぎるのも、考えものかもしれないわね。
「私で良かったら、いつでも側にいますからね」
お友達という形ではないけれど、おしゃべりならできるし、取られる心配をする彼氏も…いないから。
それにお姉さまと一緒にいると、何か和むのよね。気持ちいい空間になるっていうか。
私も正直社交的な性格をしているわけじゃないから、友人は少ないけれど、それぞれにいい関係を築けていたと思う。そんな友人たち以上に、一緒にいて楽というか、気持ちが自由になるっていうか…しっくりくる感じがする。
何と表現していいかわからない気持ちを、拙い言葉で伝えると、お姉さまは本当に嬉しそうな表情で、「私もよ」って言って、ぎゅうって私を抱きしめて来た。
途端にお義父様が、狼狽えだす。
「いや…でも……それは……まずいんじゃあ」
「あら?お父様は、私が家族と交流を持つのは嫌だとおっしゃるの?」
「そんなわけはないっ!お前が新しい家族を受け入れてくれたことは、本当に感謝している!…だが…そのぉ」
「だったら問題はございませんよね。アンジェ?多分これも貴女は好きなんじゃない?あーん」
お義父さまの言葉を遮り、お姉さまは私の口元に、かぼちゃで出来たプリンを差し出す。
しっかり裏ごししたカボチャの、滑らかな舌触り。自然な甘み。中に入ったナッツの触感と、飾りの生クリームの控え目なコクがいいアクセントになっている。シェフ、大優勝だわ!
一口が大きかったせいか、口の端にクリームがちょっと付いてしまった。ナプキンでそれを取る前に、お姉さまが親指の腹で拭ってくれる。
小さな子供になったみたいで少し恥ずかしいけれど、お姉さまが楽しそうだから良しとしよう。
「ふふ。気に入った?」
「はい。お姉さまも召し上がってみてください」
「そうねぇ。アンジェが食べさせてくれるなら、一口食べようかなぁ」
「是非是非!」
急いでお姉さまの手からスプーンを奪い取って、一口食べさせる。
以前はフルーツくらいしか召し上がらなかったお姉さまだが、最近はほんの少しだけど、ケーキやプリンみたいなスイーツを召し上がってくれるから嬉しい。やっぱり『美味しい』を共有できるのって楽しいもの。
「いかがですか?」
ワクワクして待っていると、髪を撫でてくれながら、お姉さまが頷く。
「甘すぎなくて美味しいわ」
「そうですよね」
二人で仲良く話していると、お母様が感極まったように、目じりに溜まった涙を拭い、呟く。
「…良かったわ…本当に」
「お母様……」
「私もアンジェも、クラウディア様に受け入れていただけるかどうか、心配だったの。だから、クラウディア様が本当にお優しくて……。ありがとうございます」
頭を下げるお母様と一緒に、思わず私も頭を下げる。ありがとうと、感謝を込めて。
お姉さまは少し慌てた様子で、首を横に振った。
「感謝するのは私の方ですわ、お義母さま。お二人が来て下さって、この邸も以前に比べずっと明るくなりましたもの」
「クラウディア様……」
「それに何より、私もアンジェといる時間が嬉しくて。本当に毎日が夢のような時間ですのよ」
お姉さまの言葉が嬉しくてぎゅっと自分から抱きつくと、お姉さまも同じくらいの力で抱き返してくれる。わーい相思相愛だわ。
額にまでキスされちゃった。
内心ドギマギしながらも、お姉さまのいい香りを楽しんでしまう。
その向こうでは、何故かお義父さまが魂を飛ばしたような顔で、手を額に置いて天を仰いでいた。
ラウルとの交流会と言う名のデートは、隔週で。月に二回。
誰が決めたルールなのかはわからないけれど、文句を言いつつも、きっちり守っている私ってなんだろう。
とはいえ、本来なら今日は会う事はなかった。
それというのも、婚約者であるラウロが病に倒れているという知らせを受けたからだ。
来られないならお休み、ってことでいいわよね。
最初私は、自分の中でこう処理をした。
世間体を鑑みればお見舞いを……とも思ったけれど、会えば気分が悪くなる相手に、罹患するリスクを負っても会いたいとは思えなくて。
しかしである。
珍しくも、ラウロから『会いたいから来てくれ』と要請が出てしまったのだ。
……えーっ面倒くさい。
彼からの伝言を届けてくれた、あちらの使用人の前で、ついつい出てしまった本音。側で聞いていたお姉さまが、珍しくも笑い転げていたけれど。だって本当のことだもの。
その気持ちのままお断りした私に、使用人は焦ったように「困ります!」を繰り返す。
そう言われても行きたくないものは、行きたくない。
暫くそのやりとりを繰り返していると、お姉さまが氷の微笑みで使用人を見つめた。
「アンジェは行きたくない、って言っているの。聞こえていないの?その耳は飾りなの?それとも、伯爵家の使用人でしかない貴方の命令に、侯爵令嬢であるアンジェは従わなければいけないのかしら?」
「いえ……その……私は主の命令で、アンジェリーナ様を必ず連れて来るようにと」
苦し紛れの言葉に、お姉さまが大仰に驚いた声を上げる。
「まあ、伯爵子息の命令なの?だったら子息は侯爵令嬢よりも、ご自分の方が、立場が上だと仰っているのかしら?当家も随分と舐められたものね」
「い、いえ、そう言う事では」
お姉様の言葉に、使用人が文字通り顔色を失う。
無理もない。アンブールグラディウス家は、ただ侯爵家というだけではない。王家に匹敵するくらいの財力と影響力を持つ家だ。怒らせると、どこの商店も今後取引してくれなくなる可能性もある。
「それに、使用人風情が何故アンジェの名前を口にするのかしら?アンブールグラディウス侯爵令嬢でしょう?伯爵家の使用人教育の程度が知れますわね」
…それは私も思っていた。主人であるラウロの影響か、以前からあちらの使用人の私への態度は、馬鹿にしているとまではいかないけれど、軽いというか、ぞんざいなのよね。
エリスに対しては、ものすごく丁寧なのに。その辺りはやっぱり家人とよそ者の違いかもしれないけれど。
一人納得している間にも、お姉さまの口は止まらない。
ありとあらゆる言葉で、麗しいお顔に笑みを貼り付けたまま、使用人をぐいぐい正論で追い詰めていく。まるで前世で言う所のブルドーザー並みの威力だ。
返す言葉も許されない使用人は、すぐに涙を流し始めるが、それでもお姉さまは止まらない。
……こういう一面も持っていらしたのね。
やがて、お姉さまのターンが小一時間すぎた。
その頃にはまだ若い使用人の男性はその場に蹲り、床を涙と鼻水で汚していた。それでも彼は、私に対する要求を諦めなかった。
そこまで行くと、何故?という疑問の方が強くなっていく。
大の大人の男がこうなってまでも諦めないなんて、ただ主の命令というだけでない、何かがあるのだろうか?
主の代わりにお姉さまに責められる、彼に対する同情では決してない。私の気持ちを動かしたのは、単なる好奇心だ。
だから彼に聞いた。
どうして、そうまでして私を連れて行きたいのか、と。
しかし、彼は答えない。ひたすら、ラウロに会って欲しいと繰り返すのみだ。
だったら行ってみようか。そこで私は初めてそう思い、お姉さまに「行ってみる」と告げた。
けれど…。正直、後であんな面倒事に関わる事になるなら、あそこで断固として断るべきだったと、後で思ったわ。