5 本屋さんへ
「お姉さま…」
お美しいだけではなくて、気遣いが素晴らしくて、頼りになって、お優しくて……。
私、お姉さまの妹になれて本当に良かった。
さっきまでの凹んだ気分が嘘みたいに浮上してきて、思わず笑みが浮かんでくる。そんな私に、お姉さまは手を伸ばして頭を撫で、ちょっとだけ頬を摘まむ。痛くないよう、ぷにって感じで。
「じゃあ、アンジェが笑えるようになったから、そろそろ行こうかな。というか、アンジェこそこれからどうするの?」
これから、どうする。
本当は店から出たらラウロと二人でウインドウショッピングでもして、ご飯食べて帰ろうかと思っていたのだけど、相手がいなくなってしまった。
そういえば、私は何故、毎回邪魔されて途中で置いて行かれてしまうのに、毎回この先の事まで考えているんだろう。……期待しても裏切られるだけなのに。
お姉さまのお陰でちょっと上を向いた気分が、また下がる。下がったまま一人で帰るのも嫌な気がして、私は上目遣いにお姉さまを見上げた。
「あの……お邪魔でなかったら、ご一緒してもいいですか?明日暇になっちゃったから、本でも読んで過ごそうかと思っていて」
明日は休日だけれど、夜に夜会に出るなら、昼どころか午前中から支度しなければならない。そのつもりで時間を空けていたけれど、結局無駄になってしまった。
おずおず告げた言葉に、お姉さまは「いいわよ」とあっさり言って席を立つ。その折に、すっと私に手を差し伸べてくれた。
「さ、参りましょう?」
差し伸べてくれた手をありがたく借り、自分も立ち上がって、店を出る。
すぐに、護衛がさりげなく前後に付く。その彼等に、お姉さまは馬車を一台帰して構わない事、護衛の数も少なくていいと告げ、一緒に歩き出す。
目的地の本屋は、ここから近いのだそうだ。
「そういえば、アンジェはどんな本を読むの?」
道行く人々の視線を一身に浴びながらも、相変わらず何とも思っていない様子で、お姉さまが尋ねる。
「そうですね。ジャンル問わず割と読むほうですよ?」
何しろこの世界、当たり前だけどゲームも映画もないし、テレビやネット配信もない。
インドア派で友人も少ない私が楽しめる娯楽といったら、本くらい。
そのくらい娯楽が少ないのだ。
ないわけではないけれど、前世の記憶持ちとしては、かなり物足りない。おまけに時間対価の高いものばかり。
江戸時代の奥様たちが、芝居を見るのに一日がかりだった。と言う話があるが、こちらでも同じようにお芝居をみるとなれば、一日がかり。それだけの時間と気合を入れたくなるほど、チケットも値段が高い。
母一人で頑張ってくれているのに、娘の私がそういった贅沢をするわけにはいかない。
だから、娯楽と言ったら図書館で借りた本を読む事なのだけれど、その本だって、前世のように無尽蔵にあるわけじゃない。よって、選り好みなんてできるわけもなく、結果ジャンルを問わず読むことになる。というわけ。
内容的にも不満が残るものが多かったけれど……。
不満な部分を思い出し、頭を一つ振ってそれを脳みそから振るい落し、反対にお姉さまに尋ねる。
「お姉さまは、どんな本をお求めなんですか?」
イメージはアカデミックな本だが、意外と恋愛小説なんかもお好きかもしれない。純粋な興味からの質問に、彼女は顎に人差し指を付けて少し考えた後
「専門書…かしら?」
と答えた。
なるほど。やっぱり、アカデミックな方なのね。
「どのジャンルとかあるんですか?」
「んー…特にこれってものはないのだけれど、気になったものは読んでみたいタイプかしら。昔の文献も見たいから、古本屋にも顔をだすのだけれど、今日は新書の方で気になる話を聞いたから。後はついでに、それと関連して色々…かな?」
趣味で何かの研究をしているのだろうか。
そういえば、家でもよく本を読んでいる姿を見かけるし。
そんな事を考えながらも、並んで歩いていると、街で一番大きいと言われる本屋に着いた。
街の中心にあって、一区画を丸ごと使っているのでは?と思わせる広い店内。中にはカフェも併設している部分もある。
店内に入ってすぐ、後で合流することを約束して、互いの目当てのコーナーへと別れる。
専門書の方へと歩いていくお姉さまを見送り、私は簡単に読める恋愛系の小説のコーナーへ。
そこで何にしようかと悩みながら背表紙を眺め…眺めている内に、気が付けば隣接していたホラーコーナーにいた。
この本屋さんを使うのは、実は初めてではない。
母の再婚後、図書館で借りるのではない、自分の本が手に入るのだと、お小遣いを手に訪れた事がある。
その時も思ったのだ。何故恋愛小説コーナーの隣が、ホラー小説なのだろうと。
需要が全く違う気がするのだけれど。
因みに、恋愛小説はともかく、ホラー小説に対して私は一言ある。それは、先程感じたこちらの本に対しての不満、そのものといっていい。
どんなものかと言うと…。
例えば、百物語という話が前世ではあった。夜の間中、怖い話を続けるというアレだ。現代では真面目に怖い話をするのだが、昔は怖いというより不思議な話の方が多かったと聞く。誰それの家の天井から大きな足が下りて来て、足を洗えと言ったとか言わないとか。犬のお尻に目玉が付いていたとか。
正直、初めてその話を聞いた時は、この話のどこに怖さを感じるのかと暫く考えたほどだった。それでもその時代の人は、その不思議さを本気で怖がったのだ。この世界の人も、それと同じ。
目の前の本棚に収められている本たち。書かれているお話も、怖いのだろう。多分。恐らく。……うん。
でも、前世ジャパニーズホラーで育った身としては、その怖さがわからない。
「刺激が足りないのよねぇ。それにそもそも、この国でホラーっていうのがね……」
大陸の中でも、南に位置しているこの国は、他の国よりも気候は穏やかで、年中暖かい。北部は山も多くて気候も寒いから大変だけど、最南端なんて、種さえ蒔いて置けば、自然に作物が収穫できるほど。
その為か、大陸でも早くから都として発展し、豊かな国と言われている。当然、住んでいる人間も明るく、楽天的な人も多い。
「この国自体が、ホラーって雰囲気じゃないのよね」
どんな恨みを持って亡くなっても、2、3年後には、カーニバルの曲と共に天国へあがれそうだ。
どの国にも陰惨な歴史や事件はある。この国だってそうだ。けれど、南の強い太陽はそれを忘れさせる。
そんな国にホラーコーナー。
もっと北の国なら、逸話も多いし、愛好者も多いと聞くからわかるのだけど。
「需要があるのかしら?」
わからないけれど、あるからコーナーまでできているのだろう。無理やり自分を納得させつつ、私は何となく近くにあった一冊を棚から抜き取った。
短編集と銘打ってあるそれは、タイトルを追っていくと、どうやら地方の昔話の中で、ホラーというより、ちょっと怖い民話を集めたもののようだ。
目次を見ると、土地や地方の名前が並んでいる。
「あ」
その中に知っている街の名前を見つけた。
「アクアフィオーリ」
ズバリ、この国の首都。今現在私がいる場所だ。
本来は領地にいるはずなのだけれど、お義父さまのお仕事の関係上、通年でこちらの邸にずっといるのよ。
知っている場所があると、興味を引く。ページを確認し、私はその話を読んでみることにした。
古くからの都だけあって、この地の怪奇伝承は他の地域より多い。ページ数からしても、本の四分の一くらいを占めているようだ。
その中で私がページを捲る手を止めたのは、アクアフィオーリから少し離れた郊外の村、アルベロコリーナの話だった。