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4 雑踏の聖女

 街中で見ても美しい立ち姿。


 灰色の町で、そこだけ光り輝いているような。


 すれ違う人も魂が抜けたように、眺め……。あ、あのお兄さん、よそ見しているから犬の排泄物踏んだ。…ああ、でも魂を飛ばしていて、自分の不幸にも気づかないみたいね。


 思わず、前世の時のように手を合わせ、「なむなむ」とこれからの彼の幸福を祈っていると、通り向こうの女神…お姉さまがこちらに歩いてくる。


 お姉様が歩くごとに、光も移動してこちらにやってくるよう。光を纏って歩くなんて、物語の聖人くらいしかいないと思っていたけれど、現実にここにいる。本当にこの方は綺麗だな。


 感心している間にも、彼女は私のいる窓までやってきて、指先で私の前の席を示した。

 

 どうやら、空席かと聞いたらしい。

 

 勿論空いているので、急いで頷くと彼女は小さく微笑み、すぐに入り口の方へと歩き出した。

 

 そして待つこと暫し。


 お店の少し落とした照明の光などものともせず、眩いばかりに光り輝くお姉さまが私の前に座った。


 ただ座るだけ。それなのに、腰かける時の裾裁きがスローモーションのように網膜に焼き付く。店内に漏れる感嘆の声。さすがお姉さまだ。何故か私の鼻が高くなる。


 それはさておき。


 店内の人々の目をくぎ付けにしても、それを全く気にすることのないお姉さまは、座るなり店員から渡されたメニューを開き、私の前に置いた。


「ここ、初めてなのだけど、何がおすすめかしら?」


 ちょっと落ち着きのあるアルトの声。いつものお姉さまだ。


 何か…ちょっとホッとした。


 婚約者という本来なら親しいはずの人に、置いてきぼりにされただけに、自分でも自覚がなかったけれど少しだけ心細かったのかもしれない。


 そんな気持ちをふりきるように、敢えて明るい声を出し、私はお姉様が開いたメニュー表を見た。


「えっと。最近入って来た、コーヒーって飲み物が美味しいと評判ですよ。私は苦くてダメなんですけど。後…ケーキも美味しいです。ミルクレープもフルーツが沢山入っていて美味しいですし、タルトもタルト生地がサクサクで、バターの風味が濃厚で美味しいです」


 目の前のお姉さまは、私の説明に「ふうん」と声を漏らしながらメニューに目を通し、それからやってきた店員にミルクレープと洋ナシのタルト。アッサムとアールグレイの紅茶を注文した。


 ケーキはともかく、何故紅茶を二つ?


 疑問に思いながらテーブルに目を落とすと、私が前に頼んだ紅茶はカップの中にすでになく、ポットの中のものも、すっかり冷めて渋くなっている。


 だからなの?と視線を上げると、お姉さまは何も言わず柔らかく目を細めた。


 言葉に出さなくても、察してくれる。


 さっきまでの気分が気分だったから、余計にお姉さまの優しさが身に染みる。


 温かい思いやりに浸っていると、先にケーキ二種が届いた。その皿を、お姉さまが私の前に置く。


「え?これお姉さまが…」

「私、甘いもの苦手なの」

「!」


 そう言えば、お姉さまは、家ではいつもデザートは果物しかいただかない。


 ではこれは最初から?


 目を丸くした私に、お姉さまは頷く。


「若い女の子だから、カロリーとか気になるかもしれないけど、今日は思い切り食べちゃいなさい」


 そう言って、彼女は私の手にフォークを握らせる。


「ね?」


 と促され、私はフォークをケーキに刺し、一口分にしては大きな塊を自分の口に入れた。


「美味しい?」

「はい」


 甘く煮た洋ナシと、下のカスタードが絶妙に合っている。サクサクのタルト生地も美味しい。堪能していると、少しの間、伺うような目をして私を見ていたお姉さまが、ホッと息を吐く。


「そう、安心したわ」

「?」

「美味しいと感じられるなら、まだ気持ちに余裕があるから」


 そう呟いた後、お姉さまは小さな声で告げた。


「泣きそうな顔していたから、驚いたわ」

「!」


 あの時見られていたのだろうか。いや、気づいた時には、お姉さまはすでにこちらを見ていたから、そうなのだろうが、一体いつから見られていたのか。


「一緒にいた人たちって誰?」

「…………」


 ちょっと待って。彼等と一緒にいたところを見られていたということは、私が考えていたよりも前から、お姉さまは私に気付いていたの?


「買い物に出たら、偶然その窓にアンジェの姿を認めて。そういえば、執事が、今日は婚約者に会う日だから…と言っていたのを思い出したの。だから、一緒にいるのが婚約者かと思って見ていたら、隣に女がいて。その人と、はしたなく引っ付いていたから」


 悪いとは思ったけれど、様子を伺っていた。と、お姉さまが渋面を作りつつ告げる。


 どうやら不快な思いをさせてしまったようだ。


 無理もない。義理とはいえ、私は今、侯爵家の人間だ。彼のあの態度は、お姉さまにとっては侯爵家に対する侮辱に見えたのかも知れない。


「おまけに、その女と婚約者らしき男が、肩組んで先に出て行くし」


 ……ああ、母には一応話をしてあるけれど、お姉さまは、婚約者との関係も、エリスの存在も、私が婚約解消を望んでいるって話も知らないものね。


「…なにがあったの?」


 澄んだ紫色の瞳にまっすぐに見つめられ、私は一度口ごもり、恥ずかしいと思いつつも、それからポツポツと内情を話しだした。


 婚約の経緯の事。


 エリスの事情とラウロとの関係。


 そして、今日の話。


「何、それ……」


 私の話が進む度、お姉さまの眦がキリキリと上がっていく。


 それは、婚約解消が進まない理由になると、表面上は静かだけれど、目から光線がでそうなくらいになった。お姉さま。目が、目がピカピカ光っています。


 だけど、お姉さまの静かに怒り狂うという器用な様子を見ながら、私は申し訳ないと思いつつも、内心嬉しかったりした。


 目をみていればわかる。お姉さまは、家の事で不快というより、私の心配をしてくれているのだ。


 それを口に出して言うと、お姉さまはちょっとだけ怒りを鎮め、労わるような眼差しで、私を見、フォークを握る手とは反対の手に、そっと手を添えてくれる。


 温かい温もり。


 人の温もりって、何かホッとするよね。寂しい時や心が荒れている時は特に。


「取り敢えず…リーツィル家の事は大丈夫。彼女は家の商会にドレスを注文しているから、ご挨拶したいなら、それを届ける時に同行するといいわ。あちらには、そう伝えておくから。夜会の招待状も…。今からでも手に入れることはできるけど、あいつらと顔を合わせるのは嫌でしょう?」


 確かにそうかもしれない。


 それに友人の大切な夜会で、万が一、彼等に絡まれたりして問題になるのも申し訳ない。


 ありがたい配慮に頷くと、お姉さまは頷き、それからその美しいお顔に壮絶な笑みを浮かべた。


「婚約解消も大丈夫よ。あちらが何と言おうと、貴方のお祖父様がどれだけ口を挟もうと、私が何とかしてあげる。こんなフザケタ男に、誰が私の可愛いアンジェをやるもんですか」


 静かだけれど、怨嗟たっぷりの口調。


 美女は怒っていても美女。というか、怒るほど美女。体温上昇で頬が紅潮し、目がキラキラしてきて美女度が上がる。


 本当に眩しいほどです。お姉さま。


 お姉様が輝き出すと周囲の人の視線も、いよいよ離れなくなってくる。ああ、中には跪いて拝みだす人もいるわ。五体投地が始まってしまった!いけない。私の憩いのお店が大変な事になってしまう。


 店が聖地に変わる前に、私は慌ててお姉さまを止めるべく、話題を変えた。…ちょっと無理のある力技で。


「そ、そうだ!お姉さま。今日はどうして街に?」


 急な話題転換。何気なく話題に出しただけだったのだけれども、自分で言って気が付く。


 そういえば、何故お姉さまはここにいるんだろう、と。


 お姉さまという方は基本的に邸から出ない。全くでないというわけではないけれど、ほぼ出ない。明るい内は特に。


 美しすぎて衆目を集めるから出ないのか、と以前聞いたことがあるが、そういうわけではないらしい。

 単に用事がないから。と、彼女は言う。


 確かに、上位貴族だけあって、自らが日用品や食材を買うわけではないし、他の物も実家が商会をもっているから、欲しいものがあるなら執事に一言いうだけで事が足りる。


 それだけに、彼女が自ら外出するというのはよほどの事なのだ。


「何かご用でもありました?」


 あるとしたら、よほどの事だ。こんな所で、私を構っていて大丈夫なのだろうか?


 心配になった私が尋ねると、彼女は少しだけ気まずそうな表情を見せ、それから口を開いた。


「…本屋に行こうと思ったの。さすがに本は外商に持ってきてもらうわけにはいかないでしょう?」

「あ、そうですよね」


 本ならば、欲しい本が決まっている場合はともかく、そうでないなら直接本屋なり、図書館なりに行くのが普通だろう。


 量がある割に、極めて個人的かつ細分的な趣味の部分だから、人に選んでもらうわけにもいかないし。一冊、一冊に目を通す分、決めるのだって時間がかかる。


「ごめんなさい。お時間取らせてしまって」


 外出自体珍しい人だから、本屋以外にも用事があったかもしれない。彼女の時間を使ってしまった。申し訳なさに謝ると、彼女は首を緩く横に振る。


「構わないわ。アンジェが置かれている状況も、気持ちも聞けたし。悩んでいることも聞けたから。こういう事って、ご実家が絡んでいるせいか、お義母様はあまり積極的に話そうとはしないから。私にとっては、むしろ有意義な時間だったといえるわ」

「お姉さま…優しい……」


 思わずポロリと零れ落ちた言葉に、お姉さまが驚いたように目を見開く。


「私にそう言う人は珍しいわね。うん、でも私、アンジェには優しくしたいのよね」



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