23 怪異その1
翌朝、私とお姉さまはアルベロコリーナにいた。
ラウロ達と同じ経路で、森というには小さく、林と言うには大きいその地に入り、彼らが最初に怪異に遭遇したという場所に辿り着いた。
石の敷き詰められた空間。落ちた壁の一部が、かつて建物だったと教えるだけの場所。
彼等はここを教会ではないかと言っていたが、確かにそうかもしれない。他が時間の中で朽ちてしまっているのに、ここだけが辛うじてとはいえ、建物の形跡を残している。つまり、村の中でも重要な場所だったから、石組みでしっかりと作られていたということだろう。
私がそう推察している間に、お姉さまはあちこち動き、やがて壁の残骸の裏辺りで「ふうん」と呟いた。
「?何かありましたか?」
その声にそちらに回ると、お姉さまの前に建物とは違う、朽ちた石組みがある。円を描いて組まれたそれは、大きさはさほど大きくない。周辺に木片らしきものも散らばっている。これは……。
「井戸…ですか?」
お姉さまの隣に並び見たそれは、どこをどう見ても井戸だ。
ラウロから井戸の話は聞いていないけど。
覗き込んでも、暗い空間が中に続いているだけで、水の気配はない。お姉さまが足元にあった小石を中に投げても、水音はしなかった。最初から枯れていたのか、長い年月の間に水の道が変わってしまったのかわからないけれど、現状は枯れ井戸。
「多分、ここでしょうね」
言いながらお姉さまが指を弾く。すると小指の先ほどの光が生じ、それはすっと井戸の中へ入っていく。
小さな光だけど、意外と明るい。
昔見た映画の妖精みたいなそれは、検分するみたいに螺旋を描きながらゆっくりと奥へ進み、やがて底に着いたのか動きを止める。
明るい光が見せた最奥。そこには大きな石が転がっていた。
「井戸の蓋を押さえていた石なのでしょうね。それが朽ちて下に落ちた」
石は大人が一抱えするほどの大きさで、重さもかなりなものだろう。井戸なんて毎日使うものなのに、ここの人たちは毎回蓋をし、あの石を置いていたのだろうか?何の為に?
それをお姉さまに聞くと、彼女は首を横に振り
「違うわ。石を置いたのは、使わないから置いたのだと思う。つまり、封鎖の為ってこと」
「封鎖?何の為に?」
教会の井戸なら、封鎖はあり得ない。生活は勿論だけど、教会というのは意外と儀式で水を使う事が多いのだ。
「塞ぐ理由があったんでしょうね。……貴女の婚約者が『見た』のは、多分ここから出てきたものだったんじゃないかしら」
「え?」
「あそこに立って、こちらを見ると、丁度壁の裏から出てきたように見えるでしょう?」
確かに。指を差され、目で目測して頷く。
「じゃあ、ここが怪異のいる場所ですか?」
「正確には『いた』場所ね。今ここに立っていても、僅かな痕跡だけしかないから。本体は婚約者殿と、その友人に付いていると思うわ」
「?コインペンダントは今、ラウロが持っているんですよね?だったら、その友達とやらは、もう関係ないのでは?」
「あー、無理無理。もう印が付けられちゃっているもの。逃げられないわ。それに、最初にタブーを犯したのは、そのお友達でしょう?」
「………」
一度印を付けられると、逃れられない。
「じゃあ…昨日の夜も?」
怪異は現れたのだろうか。
「どうかしらね。私は怪異じゃないからわからないけれど。だとしても、ルールを破ればそれ相応の罰が還るからだけだから、同情はしないわね」
お姉さまはそう言って肩を竦める。
怪異と人間は、異なる理の中に存在している。だから大抵の場合、昔から互いに干渉し合わないように一定のルールが決められている事が多い。大抵の場合、それは昔話や伝承の中に隠されている。アルベロコリーナの場合は、ラウロ達の状態から考えて『何も持ち出さない』だったのだろう。
「この手の怪異は、ルールさえ守れば何も起こらないはずなの。そのルールを破ったんだもの。何が起こっても仕方ないわね」
自業自得。お姉さまはそういう世界で生きている分、自らルールを破った者には厳しいのだろう。ばっさりと言葉で切り捨て、彼女はもう一度井戸を覗く。
明るくなった井戸の底をじっと見つめて、やがて赤く塗られた唇を笑いの形に吊り上げた。
「ああ、いたいた。じゃあ取り敢えず、この家の主人に帰ってきてもらいましょうか」
言うが早いか、お姉さまを中心に影がバッと散る。散る、というか広がる。360度。花が開くように。その花弁に当たる一つ一つの先が手の形に変化し、「行け」という命令と同時に触手のように伸び、井戸の中へと下りて行く。
やがて、待つほどの事もなく「手」たちは、井戸の底から幾つかのものを運び出し、シュルシュルとお姉さまの影の中に戻っていった。
その後に残ったもの。
それは土にまみれた人の骨らしきものだった。
「これって…これが、原因ですか?」
汚れてはいるけれど、長い間放置されていたにしては形を留めていすぎる気がする。普通ならもっと崩れていてもおかしくないんじゃないか?それとも、これ自体がすでに怪異だから、世の理から外れているのか。
私の疑問に、お姉さまが軽く頷く。
「コレ、というより『これ等』なのかもしれないけど……。気を付けて。来るわよ」
その瞬間、生臭い風が強く吹き、少し離れた石の床の上で小さく渦を巻き始める。
そして。
一際強く風を感じた後、渦は無くなり代わりに人の形を残した怪異の姿があった。
「…………」
それを何と説明すればいいのか。
話に聞いていた通り、下の部分は四つん這いになっているけれど、上半身は二人分。下半身はなく、そこで融合している。所謂足となるのは、二人の手だ。さらに背に当たる部分から、もう一人分の頭と手が出ている。ここは背中同士が融合したのだろう。
顔は皆同じものではなく、全く違う人のもの。共通しているといえば、どの顔も苦悶を表している事と、生気がまったくないことくらい。
そしてそれらは、それぞれ敵を見定める為か、警戒しているのかわからないが、異なる方向へ忙しなく顔を向けている。
人のパーツは残っているものの、動きは虫のそれだ。音もカサカサと虫を思い出すような音をしている。
これは何だろう?
初めて見るモノに驚き、生理的な嫌悪から目を瞠った。
怖いと言うのとも違う。一番近いのは気持ち悪い、だろうか。例えば、考えるのも嫌だけど、ゴキブリが顔にアタックしてきた時を想像してみて欲しい。
害はないけれど、生理的に認められない。それと同じ感覚。
眉を寄せ、お腹の底からざわざわするその感覚に耐えていると、不意に周囲が明るくなった。
「眩し……」
目を眇めて、光源を見ると、先程井戸の底を照らしていた光と同じようなものが、幾つも私の周囲にある。
「怖いかもしれないけど、動かないでね」
「あ、あの、お姉さま?」
「見た目がアレでも、話から多分、影に潜むからね」
言われて足元を見ると、自分の影が消えている。影を消す為…ということは、この光たちは前世の手術中などに使われていた無影灯の代わりだろうか。
でも私はともかく、お姉さまには影ができている。影に潜むというなら、お姉さまこそ大丈夫なのか。
心配から声をかけようと口を開きかけ、そのまま固まる。
お姉さまの影から、先ほど見た黒い手が無数に生え、それらはこちらに向かって一斉に「大丈夫~」と言いたげに、のんびり手を振っている。なるほど。あれだけぎゅうぎゅう詰めなら、満員電車で押し込む係の駅員さんでもいない限り、新参者も入る余地がないだろう。
というか、結構フレンドリーっぽいのだけど、あれらは一体何なのか?
目の前の怪異もそうだけど、お姉さまも十分普通じゃないんだけど。
首を傾げている間に、グロテスクな虫人間みたいな怪異は攻撃目標を探して僅かに逡巡し、それから改めてお姉さまに向き直った。
「あら、賢明ね」
お姉さまが挑発するように目を細める。
と、次の瞬間。
バッタの動きがそうであるように、手で地面をかいて飛び上がった。
人ならば絶対にできない芸当。
そのままソレはお姉さまにとびかかろうとして……。触れる直前に、べしょっと音を立てて地面に叩きつけられた。
何かが邪魔をした?
でも何かはわからない。見えない。
「これ以上穢れると、色々煩い奴がいるからなぁ」
「?」
倒れた怪異を前にお姉さまが嗤う。でも、その表情はいつもの淑やかな令嬢のそれではない。
私がお姉さまの違和感に気を取られていると、態勢を整えた怪異がもう一度とびかかって来る。
バシっ!
それを再び何かが叩き落としたその時。
シュッと音をさせて、お姉さまが何かを放つ。だが、当たらなかったのか、怪異は横に飛び躱し、さらに飛び掛かって来る。
「もーらった」
それを避けざま、右の人差し指と中指を組み、お姉さまがのんびりとした声で怪異を指さす。その途端、何故か上にあった顔が勢いよく吹き飛んだ。
「!」
え?何があったの?
吹き飛んだ頭は、最初から砂で出来ていたように、粒になって消えていく。
別にお姉さまの指先から光線が出たとか、そのまま剣に変わったというわけでもない。不思議な形に組んでいるものの、彼女の指先は相変わらず細く美しい。
頭を一つ失った怪異は、吹き飛んで消えた己の頭を惜しむように、一度そちらを見、それから怯むように一度下がり、再び跳躍する。が。
紙一重くらいで、お姉さまと怪異がすれ違う。互いに攻撃を避けた。と思った。が。
後ろ手にお姉さまの右手が右から左に大きく横に動く。
その手は尻に付いていた頭を真横によぎり、そして。
グシャっ!!
一呼吸の間をおいて、後ろ側についていた頭が吹き飛ぶ。
「…………」
さっきと同じように、吹き飛んだ頭は消えていく。最初から何もなかったように。
理解が追い付かない。
今自分が見ているものが何なのかわからず、私は目を見開いたまま首を振った。
残された頭は後ろを振り返り、顔を歪ませ、口を大きく開けた。叫んでいるのだろうか?だが、声は聞こえない。声が出せたなら、どんな声を上げただろう。
怨嗟、惜別、抗議。
感情などないかも知れない相手なのに、何故か私にはそれが酷く傷つき、悲しんでいるように思えた。
「これが本体」
「!」
妙に感傷的になった私の耳に、乾いたお兄さまの声が届く。
本体?三人じゃなくて一人?え?じゃああの人たちは、何で一緒にいたの?
「中の虫ともくっついちゃったかな?」
確かに、これは虫の動きだけど。くっつく?一体………。
私の疑問は置いてきぼりにされたまま、お姉さまは怪異相手に不敵に笑う。
その笑い方は淑女のそれではない。
傲岸さを隠しもせずにゆっくりと顎を上げ、相手を見下す紫の瞳。たったそれだけの事なのに、目の前の淑女は鮮やかに男性に代わる。




