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21 亡者の嘆き

「!」


 生きている人ではないのは、一目でわかる。


 今より遥か昔の服装。半透明の体。性別は男。そしてその体には…四肢がなかった。あの状態で適切な治療もなしに生きている人間がいたら、奇跡だと思う。


 あまりの異形さに言葉を失う私の肩を、お姉さまが抱きしめる。


 その間も、現れた人間は、円の中心で何かに怯えるように、或いは何かから隠れるように、屈めた身をさらに丸くして、泣きながらも声を堪えている。


 その姿が時々、前世の接触不良のテレビのようにザザっとノイズが入るようにぶれる。


「あー。やっぱ、四百年だもんなー」

「もうちょっとマトモなのはいなかったの?」

「無理言うなって。他は消えたか、形がなかったりしているんだから」


 苦情をすんなりと受け流し、サンドロが円の縁ギリギリのところから、男を見る。


「んー、言葉って通じるのかな?おい、あんた名前は?」

『………』


 男は答えない。無視をしているというより、自分の身を苛む何かの事しか考えてないのだろう。それほど、男の様子はおかしかった。


 死んでいるなら、痛みも苦しみもないはず。それなのに、彼は今もなお何かに怯え、痛みを堪え、恐怖している。何がそれほどまでに、彼を追い詰めているのか。


「名前は?」


 再度サンドロが問う。


 その時なにかしたのか、それまで震えているだけだった男の体が、一瞬ビクっと大きく痙攣した。


『あ……』


 男がサンドロを見上げる。


 涙でグシャグシャになった顔は、まだ若い男のものだった。


「名前は?」


 三度目の正直。男が震える唇を動かし、口を開く。


『名前……わ、わから…い…』


 掠れた、小さな声。


「わかんないかー。まあ覚えてなくても仕方ないよね」


 四百年と言う長い間、彼の名を呼ぶ人はいなかった。忘れても無理はない。


「じゃあ、名前はいいから、教えてくれない?アルベロコリーナで何があったのか」


 アルベロコリーナ。その名前に男は、確かに反応を返した。四肢のない体が一瞬ではあったが、電流を流された時のように、背を仰け反らせたのだ。


『あ………あ………』

「盗賊が入ったと聞いた。あんたはその盗賊の一人か?」

『ちが……』


 男が首を振る。


「じゃあ、生き残った村人ってやつか?」

『…………』


 首を振り続ける。必死というか、必死すぎるその様子は、嘘をついていないように見える。


 そんな彼の様子を見て、お姉さまは私の肩を抱いたまま、呆れたように口を開いた。


「関係ない人を召喚したの?」

「そんなわけないだろう?」

「そうよね」


「じゃあ質問を変えましょう。アルベロコリーナの呪いに、一番多く語られているのは『影』。この『影』について、知っていることはない?貴方をその姿にしたのも、それでしょう?一体何があったの?『影』の正体は?恐らく人間だったと思うんだけど、貴方も知っている人なの?」


 回りくどくない、直球の質問。


 その質問に、四肢のない体がくねくねと動き出す。逃げるように。


『助けてくれ……助け……くれ』


 動きながらも、男は滂沱の涙を流している。


 拭う事もできないそれは、頬を流れ落ち、床を汚……していない。やはり物理的にここに存在していない人なのだ。


 非現実的な目の前の光景に呆然としつつも、頭の中でどこか冷静な自分が動き出す。一体何が起こっているのだろうと。


『あ……あ……あいつは……。あいつは……』


 途切れ途切れに呼ぶ代名詞は、男を意味している。つまり、あの怪異の正体はやはり人間で、性別は男性。 


『そんなつもりじゃなかったんだ。そんなつもりじゃ……。俺はただ……。何で、どうしてあんな物が出来たんだ!何でそんなもんが出来たんだ!』


 相手の感情が暴発したからだろうか。ノイズが先ほどよりも酷くなる。


「あんな物。とはどんな物?貴方たちは何をしようとしていたの?」

『俺た……は……。ち……う……。たす……け……』


 そこまで行くと、ほぼノイズ状態で言葉もわからない。何か訴えようとしているのは分かるのだが、聞き取れない。


 そうこうしている内に、男の姿はノイズの中に溶け、やがてテレビの画面が消えるように、プツっと小さな音を立てて消えた。


「……………」

「………切れたか。まあしゃーねーわな」

「四百年もあの形を保っていられただけでも、奇跡みたいなものだものね」


 男が消えると同時に、床の模様も無くなり、元の部屋へと戻る。


「奇跡っていうより、あれこそ呪いだろう?勿論、奴の自責の念みたいなもんもあっただろうが、所詮奴だって人間だ。自責も他責も、反省も後悔も持ち続けるのは難しい。それだけ抱えて四百年っていうのは、考えられないからな」


「なら、アンジェの言っていた紐もどき自体が呪いってことなのかしらね」

「…………」


 二人の言っていることがよく分からない。けれど気になることがある。


「……気持ちを持ち続けられないと、どうなるんですか?」


 私は、サンドロに聞いてみた。


 すると彼は、何でもない事のような口調で告げる。


「その気持ちだけで留まっているなら、理由がなくなれば消滅というか、個人を手放すよね」


 手放してしまえば『人』としては終わる。


 輪廻があるかどうかはわからないが、あったとしても、次の『人』は『自分』ではない。


「逆にいえば、手放さない限り『人』でいると…?」

「そうだね。でもそれは難しい。愛も、別れも、悲しみも、後悔すらも人は長い時間の中で手放してしまうから」


 サンドロは広げた自身の両手を少し寂しそうな顔で見、それから顔を上げる。


「一番しつこく残るのは、恨みだろうけど」


 肉体的、精神的に追い詰められた複雑な感情。


「そもそも恨みを持って死ぬほどの目に合う人は少ないし、強い恨みだとしても、あまりに長い時間が経てば、無くなる事が多いね」


 目的が達成された時とか、無くなることもあるが、そうでなくても自我すらなくなる長い時の中で、自然に忘れていくものなのだとか。


「でも今の人、持っているのは恨みではなさそうでしたよね?」


 それに随分昔の人みたいなのに、名前は忘れても、自我はあったように見える。


「だから呪いなんだろうな、ってこと」


 死んだ時に封じ込められている。恐怖も、痛みも、絶望も。それらが恨みにならないのは、死んだ時の後悔があまりに大きかったせいなのだとか。


「……ただの人ではなかったようね」


 お姉さまが呟く。


 呪いはその人の中の、罪悪感が引き寄せるもの。基本、死んだ人がどうこうと言った事はない。


 稀に残した恨みが強すぎて、そういうモノになる事もあるが、それでも元は只の人だ。できる事と言ったら、せいぜい精神的に追い詰め、物理的な死を与える程度だろう。


 だが、今回のはそうではない。そして、それはただの人、にできることではない。


 難しい顔で考え込む姉様の横顔を見、それから、さっきまで男がいた場所に視線を移す。


 衝撃的な光景。


 それは恐らく数日後のラウロや、フィリッポの姿。


 彼等も四肢を失って尚、この世に残されるのだろうか?それとも、あの男だけが特別なだけで、彼らは四肢を失い、魂を失った後は解放されるのだろうか。


 伝承では、他にも犠牲者がいたというけれど、それは本当なのか。いたとして、何故あの男だけが現れ、他の人はいなかったのか。……消える事ができたのか。


 そもそも、あの男は誰なのだろう。


 そして、あの怪異の正体は何なのだろう。


 ここに来れば、色々と謎が解けると思っていたけれど、却って謎が深まったような気がする。


 俯き加減でため息を吐くと、それに気づいたお姉さまが、労わるように私の前髪を払い、額にキスをする。


「怖くなってしまった?」


 怖かったわけではない。


 ただ受け入れなければならなかった、非現実的な出来事と、これからの事を考えて少しだけナーバスになっていただけだ。


 そう言うとお姉さまは、慈しむように紫色の目を細くして、私の額に自分の頬を押し当てた。


「大丈夫。何があっても貴方の事だけは、私が守ってあげるから」


 至近距離でのスキンシップに、肺の中がお姉さまのいい香りで満たされる。


 というか、ここ人様のお宅なんですけど!


 いきなり現実に引き戻されて、真っ赤になる私に、少し離れた場所からこちらを見ていたサンドロが笑う。


「あ、いいなぁ。俺にも貸してよ」

「「貸しません!」」


 あ、声が被さった。


 それに更に笑い転げながら、彼が言う。


「ちっがーう!アンジェちゃん、違うって!俺だって人を選ぶっていうの!君のおねーさまなんて、頼まれても貸して欲しいなんて思わないって!!」


 ………こんなに麗しく、お優しいお姉さまを拒否するですって!何て罰当たりなの!





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