17 秘密(クラウディア視点)
生まれた時から呪い…というか契約持ち。それが私だった。
理不尽だと思った事は数えきれないほどある。何故私がその運命を受け入れなければならないのかと。
しかも、それは私だけではない。
彼女の事を考えれば、私よりも理不尽な人生だっただろう。
レティシア。
私の姉であり、私の身代わりの女性。同じ頃に生まれ、同じ一族の血を持ち、同じ髪の色を持った人。
出会ったのがいつかなんて、覚えていない。親の話だと、生まれて一か月にもならない頃だったという。
私が生まれてすぐに、例の怪異はやって来て、祖父は生まれたのは女と男の双子だったと告げた。
それを聞いても、怪異の用があるのは男の子供だけ。その子の赤い目を確認した後、怪異は不満そうに言った。
「小さすぎて食べるところがない」
と。そこで、祖父はこう言った。
「ならば二十年ほど待てばいい」
それを受けて怪異は首を横に振った。
「二十年は長すぎる。十年後に会いに来る」
そうして、私は十年の時を許された。
すぐに孫の命を取られなかった祖父は安堵し、もともと計画していた事を進める。
我が家に赤い目を持つ男の子供ができたのは、怪異も知っている。だが、その子供が十を迎える前に死んでしまったら?
祖父と一族の者は、事前に計画していた通りにすぐさま動いた。国中を探し回り年の違わない者、容姿の似ている者を。私の…影として、身代わりになる子供を選定したのだ。それがレティシアだった。
十になる前に死ぬはずだったレティシア。私たちは双子として育てられ、共に姉弟と言われていた。姉であるはずのレティシアは常に男装を、弟であるはずの私は常に女装を厳命されて。
だが、十を前にしてのあのお茶会で、彼女は運命から解放された。
印であるはずの私の『赤い目』。それがなくなったからだ。
紫色になった自分の目を見ながら、ふと考える事がある。
あれは一体なんだったのだろうかと。
あの日は、母や父の友人たちを呼んでのお茶会で、彼らの子供たちも多く参加していた。
約束の日が近づくにつれ、現実を受け入れられなくなってきていた母を気遣ったものだったと思う。
そこで、私は一人の子供に会った。
普段なら、そのまま声もかけずに通り過ぎる存在。だが、その子供は、こちらの世界ではありえないほど眩しく清浄な輝きを放っていた。
それは魂の輝き。
こんな色は見たこともない。
驚いた私は、暫し足を止め、その輝きに見惚れた。
その魂の持ち主である子供は、噴水の水に興味があったのだろう。身を乗り出し、その水滴に触れようと身を乗り出している。大人なら大丈夫だったかもしれない。しかし、まだ頭の方が重そうな年齢のその子は、その動きにバランスを崩し、体を傾ける。
「危ない!」
そう考えるより前に、体は動いた。その子に駆け寄り、彼女を助ける代わりに勢い余って自分が噴水に落ちてしまう。
頭からしたたり落ちる水。落ちた時に打った膝小僧が痛い。それでも、子供の無事を確認しようと頭を上げた時。
怪異と目があった。
怪異は子供を庇う位置で私に対峙している。
頭は駱駝、目は兎、耳は牛、うろこは鯉、爪は鷹、掌は虎。全身は蛇のように細長く、四肢を持つ生き物。
鬣を持ち、口から鋭い牙を覗かせている。
見たこともないその怪異は、今までの怪異とは違い、体は半透明で、青白い炎のような、揺らめく力を纏っている。
強烈なまでに清浄な力。エネルギーを物理的に感じてしまうほど。神威ともいうべきそれに、恐怖というか、畏怖の気持ちから体が硬直する。
その時。
『穢れが!吾子に触れるでないわ!』
落雷のようなモノが落ち、頭のてっぺんからつま先までを、凄まじい力が一気に走り抜ける。
目の前が真っ白になり、本気で死を確信した。
そこから暫くの間の記憶がない。
気が付いた時にはベッドの上にいて、目を開けた私の瞳をみて、硬直している大人たちの姿があった。
「信じられん……。一体…何があったのだ?」
私に課されていた契約は、半分が失われていた。
何故、半分なのかは後にわかる。穢れている者が触れたという怒りはあれど、あの怪異は一応、私がアレの『吾子』を救ったのだと理解してくれていたのだろう。
しかし、残念ながら電撃のショックからか、私はその『吾子』の魂の色は覚えていても、姿を覚えてはいなかった。
二、三歳くらいの子供…ということくらいしかわからない。
それでも、そんな怪異を連れている子供なら、祖父や一族の中にはわかる者もいただろう。
だが、誰もそれに気づかなかった。
ということは、恐らく、あの怪異は彼らが感知できないほどの高位の存在ということ。普段は隠れているのだろうということ。
あの時、私が感知できたのは、守るべき子供が危ない状況にあり、外に出て来ていたからだろう。という結論に至った。
そんな事があった後、祖父をはじめとする大人たちは動き出した。あの子供が誰なのかを求めて。上手くいけば、残りの契約も破棄することが出来るかもしれない。そんな希望に縋って。
しかし、列席者一人一人を訪ねても、該当者がいない。
皆普通の子供だったという。中には国を超えて探してくれた人もいたが、答えは同じだった。
後から考えれば、魂の輝きが違う、と私が言っても、その輝き自体、認識できるものがいないのだから無理もなかったかもしれない。
しかし、一族にとっても、私たちにとってもあの子供との出会いは、僥倖だったと言って良かっただろう。
やがて十の誕生日を迎え、怪異はやってきた。祖父と契約した時には完璧な紳士の姿だったそうだが、その時は影に紛れていたという。その怪異に祖父は告げる。
「先刻の流行り病で、孫息子が亡くなった」
と。
怪異も最初は疑った。しかし、私に扮したレティシアを見て、納得した。双子で自分の目の前にいる子供が印持ちでないのならば、もう一人が印を付けた者だろうと。
約束をした子供の契約が破られた事は、怪異も知っていた。そして、その契約には、一つの仕掛けがしてあった。
それは祖父も知らなかった事で、その時に怪異が教えてくれたのだという。
一方的に契約が全て解かれた時、対象者は命を失う。だから怪異は、契約が破られた事により、対象者が死んだと思い込んだのだ。
残ったのは双子の姉である、レティシア一人。ならば、その子を…と言われたらどうしようと思っていたが、怪異にとって契約とは人のそれと違い、代案を要するものではないらしい。
レティシアが契約者でない以上、怪異は彼女の命は取れない。そこで祖父は契約を新しく結ぶ。
「では次の息子が生まれた時に……」
怪異はそう言って、立ち去った。
……祖父は知っていた。母が、私を産んでから二度と子供に恵まれない体になった事を。知っていて、怪異の言葉に頷いた。
人は時に怪異よりも狡い一面を持つ。
その後、レティシアは家を出された。双子の内、一人亡くなった事になっているので、これ以上わが家にいられなくなったからだ。
礼金は沢山与えたと、祖父は後に教えてくれた。だが、彼女が今、どこでどんな生活をしているのかは、わからない。きっと、お互い分からない方がいいだろう。成長してから、そう思った。
そして、何事もなく数年が経った。
祖父が亡くなり、後を追うように母も病に倒れ、じきに亡くなった。父は相変わらず商用で国内外を飛び回り、私は女性として、祖父の代わりに一族本来の仕事を取り仕切っている。
半分とはいえ、契約の糸は残っている。どうしてだか、怪異自身それに気づいていないようだが、私が男だとバレたなら、すぐに怪異は現れるだろう。それ故、女性としての人生を続ける他なかったのだ。
男性としての本来の人生に戻るには、怪異を倒さなければならない。しかし、頭はともかく、力の強い怪異に立ち向かうには、人の身では難しい。
方法を探りつつも、私はいつしかそれを諦めつつあった。
幸いと言っていいかわからないが、女性として生きる事にも慣れたし、己の性格上、性別を関係なしに誰かを個人として好きになる事もない。
抗いと諦め、この二つの感情の中で揺らめきつつ、きっとこのまま、一生を終えるのだろう。そう思っていた。
あの時までは。
父が再婚したいと言ったのは、一年ほど前。
相手は元伯爵令嬢で、父の初恋の相手だという。今は亡き夫君の故郷である隣国で、一人娘と共に暮らしているという。
父と母の結婚は、祖父と祖母と同じく、血統の為の婚姻だった。二人の間に恋情があったのか、或いは芽生えたのかはわからない。別に憎み合ったり、いがみ合ったりする仲ではなかったのは確かだ。
父は多忙すぎて共にいられる時間は少なかったが、それでも家にいる間は子供である私や、私の為に心を病んでしまった母を慈しんでくれていた。
その母も亡くなって十年。
父もまだ四十になったばかりだし、再婚を望んでも不思議はないかもしれない。
そう思って賛成はしたのだが、私の存在をどう説明したらいいものか……。何なら住処を変えようか。そう申し出ても、父は「大丈夫だから」としか言わない。さすがに不安を覚えた頃、父は件の女性を私に引き合わせてくれた。
容姿は綺麗だった。さすが、美形と謳われる父が、一目惚れした相手だ。しかし雰囲気はごく普通。総合すれば、綺麗だけど、社交界の中ではどこにでもいる貴婦人の一人、といった印象。しかし、彼女はとても綺麗な、あたたかな色の魂を持っていた。
一目でわかる。
なるほど、この人なら父の言うように大丈夫だろうと。
母の魂は、綺麗ではあったけれど、色は寒色で輝きは微弱で弱弱しかった。
父の心を引きつけ続けたのは、容姿以上に彼女のこの周囲を包み込み、安らぎをもたらす魂なのだろう。
実際話してみると、彼女はあっさりと私の境遇も秘密も受け入れてくれた。
それでも、連れ子である彼女の娘に、初対面から私の秘密を口にしたのは驚いたけれど。
「初めまして。アンジェリーナです。よろしくお願いします、お姉さま」
満面の笑みでそう挨拶してくれた、父の再婚相手の連れ子。
一目でわかった。あの時の子供だと。
眩い、夏の日差しのように眩しい魂の輝き。この世界にはない、生命力そのものといっていいほどの光。
そしてそれは、握手した瞬間に確信に変わる。
脳天からつま先に走る電流。その強さに一瞬、目の前に青い火花を見たほどだ。同時に身の内に響く大きな声。
『穢れ!また貴様かっ!』