16 反撃のお兄さま
「と、いうわけなんです」
あれから、夕食も簡単なものをお姉さまの部屋に運んでもらい、食べながら話す事小一時間。
お姉さまの機嫌は、あれ以降、下降の一途をたどっている。
「つまり、自分たちの尻拭いの為に、私の大切なアンジェをパシリにして、なお且つ危険に晒そうとしたと」
淑女らしく、穏やかに微笑んでいるけれど、声は低いし、目がどうにも怖い。心なしか、蟀谷にもくっきりと青筋が浮き上がっているし。
「もしかして、ラウロ様は、お姉さまのお仕事を知っていて、それで私が行ってもお姉さまが付いているから大丈夫。とか思ったんでしょうか?」
何しろ特殊な能力をお持ちの方だ。占いもやっているなら、呪いもエキスパートかもしれない。
直接頼めないから、私に…ということなのかもしれない。
思った事を口にした私に、お姉さまははっきりと「違う」と否定した。
「家の家業を知っているのは、王家とその周辺の数人だけだよ。しかもその家の当主のみに伝えられる。今ならどうだろう?三人ってところじゃないかな?そもそも王家っていっても、陛下しか知らないし。漏らせば漏れなく呪いがつくからね」
呪い付きの秘密ですか?
一体どんな仕掛けが?
興味心身で前のめりがちになる私に、呪いは人の心の中にある。と、お姉さまはちょっと怖い顔で言う。
「本当に呪いが付くわけじゃないけど、信じているんだろうね。ま、呪い自体それを信じている人以外には無効なものが多いし」
悪い事が起こると言われれば、怯える心が自ら悪い事を呼んでしまう。所謂、自己暗示というやつなのだろう。だが、世の中には、スピリチュアルなものを全て信じない人もいる。そういう人には呪いは効かないということで……。
「じゃあ、秘密を漏らす人もいるってことですよね」
単純な疑問を質問すると、お兄さまは唇を嗤いの形に吊り上げた。
「過去には何人かいたね。でも人を殺すのは呪いだけじゃないんだよ?物理的な方がよっぽど手間も暇もかからないし」
「………ソウデスネ」
恐らく過去、そうやって亡くなった人もいるのだろう。いや、数的にはその方が多かったかもしれない。そして、その亡くなった人を見て、更に人の心の呪いは強くなっていく。
「話を戻すけど、あいつらは単に、アンジェなら断らないと思ったんだろう。その裏には、アンジェはそれほど婚約者を愛しているという、根拠のない自信があったんだろうね?」
「え?どこにそんな根拠が」
何その話。ムカつくわ。
私が何故、今もラウロの事が好きだと思うのか。以前はともかく、あれだけエリスを優遇する中、いつまでも昔の気持ちを引きずっていると思うのか。実際、あんなに何回も婚約を解消したい、と言い続けているのに。
「でも、口で言うだけだよね?解消したい、って。それ以上動いてないんじゃないか?」
言うだけで行動に移していない。だから相手によっては、単にエリスに嫉妬して、すねて、駄々をこねているようにも見えてしまう。
「今現在も、解消に向けて何も動いていないみたいだし」
彼らにしてみれば、どうせ口だけ。ラウロに惚れている私が本当に婚約解消なんてするわけがない。放って置けばいずれ諦めて、要求を受け入れる。そんな風に思われている。
「意思表示は、毎回しっかりしてきたつもりだったんですが」
「それが弱かったってことだね。それにどうしても婚約解消したかったら、動かない所で留まるよりも、別方面を動かすべきだった」
「……」
確かにそうだ。何度言っても、あちらの家は婚約を解消してくれないし、お爺様も消極的だった。母も…お爺様を説得しきれなかったし。
でも、だったら誰を動かしたら良かったんだろう。
縋る気持ちでお姉さまを見ると、彼女は自分の右手を胸に当て、不敵な笑みを浮かべた。
「前にも言っただろう?アンジェが動かすべきは、私だ」
自信たっぷりに言い放つ言葉に、力を感じる。傲慢なほどの。
でも、だからこそ心強い。
「本当にお願い…できるんですか?」
カフェで聞いた時は、どうにもならない事への慰めみたいなものだと思っていた。でも、本当にお願いできるなら……。
どうにかしたいと思い問いかけると、お姉さまは口の端を吊り上げてゆったりと笑った。
「私のアンジェが望むのなら、何でも叶えるよ。しかもそれが、婚約破棄なんて、願ったり叶ったり。むしろ喜んでやるとも」
不思議。衣装も髪型も何一つ変わっていないのに、仕草と表情、言葉遣いだけで、さっきからお姉さまが、お兄さまだわ。
頼りになるお兄さま。カッコいい。うっとりと見惚れていると、お姉さまは「もっとも…」と言って肩を竦めた。
「まあ、婚約云々は急いで動かなくても、近々自然消滅するだろうから、放って置いても大丈夫だけどね」
「そうなんですか?」
「ああ。結局コインペンダントは奴の家に置いて来たんだろう?だったら今夜あたり、とどめを刺されるんじゃないか?」
愉快、愉快と笑い、お姉さまは満面の笑みを見せる。
え?とどめって……。
「い、いや、それって笑いごとじゃないんじゃないですか?というか、命が危ないようなモノなんですか?ただ覗きにくるってだけじゃあ…」
あ、そういえば、手足を?がれるとも言っていたっけ。ラウロの友人は、両手と片足を持って行かれたって。
生きているって話だったから、今まで大事に捕らえられなかったけど、それってとんでもない事よね。というか、普通ならそんな状態になる前に、命がなくなっているんじゃない?出血がなくてもショックで、とか。
「幽霊なのか化け物なのかわからないが、ただ覗きにくるだけの怪異が、手足を持って行くわけないじゃないか。それに、わざわざやって来て、印をつけていくところをみると、自己顕示欲も強そうだし。かなり厄介な類だと思うよ」
「!」
まさかの、しつこい系!本物の変質者だった!しかも性別関係なし。
手足を持って行くって……。コレクターだったとしても、ポリシーとか拘りってないのかしら。ってそうじゃなくて。
「助ける方法とかって、ないんでしょうか?」
「?やっぱり未練があるの?」
勢いよく尋ねた私に、お姉さまの声が低くなる。え?何?お姉さま、凄く嫌そうな顔なのだけど。
「いえ、そういうのではなく。もっと広い意味での人道的な感情でして……」
知っている人を見殺しにするのは、やはり寝覚めが悪いし…。後に引きずりそうじゃない?
それを告げると、お姉さまは「アンジェは優しいなぁ」と嘯き、それから手を伸ばして、もう一度私の手を取った。
「まあ、婚約者とかやらはどうなってもいいけど、アンジェが気にするなら協力するよ」
言いながらお姉さまが、私の指に自分の指で何かを描く。
「ほら、綺麗になった」
「……はあ。ありがとうございます」
一応お礼は言うけれど、私の目ではどこがどう変わったのかわからない。
それでもお姉さまは持ち上げた私の指先にキスをして、「それに」と続ける。
「私の可愛いアンジェまで、印を付けて紐付けようとするのは、相手が何であれ許されない事だしね」
お姉さまの紫色の瞳がギラリと光る。
淑女にはあり得ない、好戦的な肉食獣の笑み。
「だから、二度とそんな気が起きないよう、双方にしっかりとお仕置きしておかないとね」