14 お姉さまはお兄さま?
邸に帰り着くと、私付きのメイドたちが玄関まで迎えてくれる。
皆、この家では新参者の私にも、良くしてくれる方たちだ。
あんな得体のしれない物を持って帰って、妙な変質者を呼び込んでいたら、彼女たちにも被害が及んだのかもしれない。つくづく置いてきて良かった、と自分の判断に満足していると、いつの間にいたのか、玄関の正面にある階段の踊り場にお姉さまがいた。
「お帰りなさい、アンジェ」
お姉さまの手には、古い本が何冊かある。どうやら図書室からの帰りのようだ。
この時間だから、自室ではなくサンルームで読もうとしていたのかも知れない。最近はサンルームで一緒に過ごす時間が増えてきているから。
「只今帰りました、お姉さま」
笑顔で返事をすると、お姉さまは少しの間目を眇めて黙って私を見、それからいつもの穏やかな様子で口を開いた。
「夕飯まで時間もあるし、良かったら私の部屋に来ない?」
「!」
お姉さまの部屋?
そこはまだ私の入っていない場所でもある。
「い、いいのですか?」
しかもメイドたちに聞いたところによると、お姉さまのお部屋は、極めて限られた人間しか入れないとの事。
専属の上級メイドや執事はともかく、掃除のメイドなどは専任と決まっていないはずなのに、お姉さまに限っては専任、と言う話だ。
母にもこの邸に来た時に、勝手に入ってはいけないし、部屋のある階にもなるべく行かないようにと厳命されている。プライバシーの事とかあるから、言われなくても入らないけど。
でもそれだけ厳重に守られた場所。一体どんな秘密があるのか。そしてそんな特別な場所に、本当に私が入っていいものか。
ドキドキしながら「是非」と頷くと、お姉さまはふんわりと笑い、先だって歩き出す。
急いでその後を追い、三階まで行くと、長い廊下の先に、扉がある。
お姉さまは何の躊躇もなくその扉を開けて、私を促した。
「どうぞ」
「お邪魔します」
畏まって扉を潜り、中に入る。
部屋には扉が二つあり、片方が寝室、片方がバスルームに続いている。因みにドレスルームは廊下を挟んだ向こう側にあるとか。
室内は、意外なほどにシンプルなものだった。
簡単な応接セットと、重厚な机。執務室と応接室を兼ねている部屋のようだ。
お姉さまの部屋だから、もっと優美で上品な調度品が揃えてあると思っていた。けれど、今目にしているのは、どちらかというと年配の男性が好むような実用的で落ち着いたものばかり。物も少なく、飾っている小物などもない。
「どうしたの?」
本人のイメージと室内のギャップ。目を丸くして周囲を見る私に、お姉さまが尋ねる。
「いえ…なんかイメージと違うなぁと」
「もっと女性っぽい部屋を想像していた?」
「え、あ…はい……」
悪戯っぽく問われ、素直に頷くと、机の上に本を置いた彼女が振り返る。
「邸の中にも結界は張ってあるけど、ここは特に厳重に張られているからね。だから、女性っぽくしなくても大丈夫なんだよ」
彼女はそう言うと、「座って」とソファを示した。
こちらを向いた彼女の様子に、「あれ?」と思う。
美しさはそのまま。それは間違いない。けれど、アルトだった声はずっと低くなり、口調や仕草がどうみても男性のものに変わったのだ。
「お姉さま、お兄さまに変わっていますけど」
「ああ。この部屋では、いつもこんな感じ」
恐る恐るの私に指摘に、お姉さまが澄ました顔で返してくれる。
「部屋にいる時くらい、本来の自分に戻る…とかですか?」
どんなに完璧な淑女でも、四六時中では疲れてしまう。自分のテリトリーにいる時くらい、力を抜いた自分で過ごした。ということだろうか。それならわかる気がする。私だって、部屋の中ではゴロゴロしているし。お姉さまにだって、そういう時くらいあるわよね。
そう考えていると、お姉さまは少し何かを考え、それから首を横に振った。
「いや、多分アンジェの考えているのとは違うと思う」
「?」
よくわからない。
そんな表情を読んだのだろう。
彼女は、苦笑を漏らし「取り敢えず座って」と再度私を促した後、自分は向かい側の一人掛けソファへと腰を下ろした。
そうして、私が座ったのを確認した後、彼女は徐に口を開いた。
「まず、単刀直入に聞きたいんだけど。アンジェ。君、何者なんだい?」
「!」
口調が違う?え?え?ちょっと素を出しているだけじゃなく、本格的にお兄さまのお姉さま?いや、ちょっとややこしい。
ぽっかーんとする私の顔に、お姉さまは一度不思議そうな顔をした後、何かに気が付いたように頷いた。
「ああ、吃驚した?元々、好きで女装しているわけじゃないしさ。その説明は後にするけど、とにかく、この部屋ではこんな感じだから。…いつもの方がいいなら、直すけど」
「……いえ、大丈夫です」
うん。大丈夫。ちょっと驚いただけ。
「そう?助かる」
そう彼?彼女は言うと、ドレス姿のまま足を組んだ。
行儀が悪い事なのだろうが、不思議と様になる。というか、そんな彼女はドレスを着ていても、男っぽく見える。
「お姉さまは、お兄様でいらしたんですね」
普段、あまりにも麗しすぎて忘れていた。
「?まあ、そうだね」
私の発言に「何を今さら」と言いたげに少し眉を寄せ、お姉さまは「そんなことよりも」と、先程の質問を繰り返した。
「最初に会った時から、おかしい子だな、って思っていたんだ。ああ、頭が、じゃないから」
おかしな子と言われて、思わず頭に手を添えた私に、お姉さまが訂正する。
「そういうのは、可愛すぎるから止めなさい。癖になって他所でやられたら、死人が出る事になるよ?」
「?」
お姉さまは私の額からビームでも出ると思っているのかしら?出ると面白いかもしれないけれど、生憎そういう芸は持っていないのよね。
「話を戻すけれど、実は私が君に会ったのは、先日紹介された時が初めてじゃない。もっと子供の頃に会っているんだよ」
「へ?」
子供の頃に会っている?いえ、でもこれほどの美人なら、どんなに小さい頃でも覚えていると思うのだけれど。
困惑する私の気持ちを汲んでくれたのか、お兄さまなお姉さまは小さく頷く。
「覚えていなくても無理はないよ。あの時の君は二歳くらいだったからね」
大抵の場合、人の記憶は三、四歳の頃から形成されていく。二歳なら忘れていても仕方ない。
お姉さまはそう言って、続けた。
「君に会った瞬間、魂自体の輝きが、普通じゃないっていうのはすぐにわかった。でも、どうして違うのか、どうしてあんなモノを身の内に住まわせているのか、それがわからない」
「あんなモノ…ですか?」
どんなモノ?わからなくて、混乱しているとお姉さまはきっぱりとした口調で
「怪異だよ」
と言う。
「怪異…ですか?」
人ならざるや、事象。しかし、私に心当たりは全くない。
「ああ。最初は君の力の一部かと思ったけれど、君のものとは違う。もっと大きな存在といえばいいのか……。よくわからないけれど、でも相当力の強い、異形のものだ」
それは普段私の中で眠っていて、必要に応じて内側から守ってくれているらしい。
守ってくれているならいいものなのでは?そう言ってみると、彼女は難しい顔をして何かを考えていたが、やがて一言「わからない」と答えた。
「次元と言うか、存在している軸が違いすぎて見えてはいても、薄く掠れていて、全体像がつかめない。
だから良いものか、悪いものかすらわからないんだ。それに、そもそも善悪の基準が我々と同じかどうかもわからないし」
あの怪異に、何か心当たりがないか。
そう問われて、私は先ほどの彼女の言葉を思い出した。
『魂自体の輝きが普通じゃない』
ならば、普通というのはどういうものなのだろう。それに、母はこの国の生まれだし、父も隣国とはいえごく普通の平凡な人だったと聞く。おかしな所なんて、まったくない。
そう考えて、私はふと自分の前世を思い出した。
もしかして、この記憶のせいなのだろうか。
わからないけれど、それ以外考えにくい。
でも。だからと言って、話すのは……。
私の躊躇いは、すぐにお姉さまにも伝わったらしい。
少しの間、彼女は私が口を開くのを待ち、それでも中々話せない私に苦笑を漏らした。
「話すのは怖い?」
優しい声が問いかける。
「はい…」
怖い。それによってどう思われるかが。自分だって、前世だ何だと言っているけれど、確信がないのだから。
もしかしたら、本当は私の記憶している世界なんてどこにもなく、全てが妄想で。それを信じている自分は、おかしいのかもしれない。そのおかしい部分を知られるのは怖い。
唇を噛み締めていると、お姉さまが私の頭を撫でる。
いつもみたいに。
ゆっくりと髪を撫でていく温かい手の感触が、心の強張りをほどいていく。
「………」
「私を信用できない?」
「…………」
いつもの女らしいアルトの声じゃない。ずっと低い男の人の声。でも、変わらず優しい。
ずるいなと思う。
私がお姉さまを信用できないわけがない。
泣きそうな顔になりながら、今自分が持てる限りの勇気をかき集め、私は口を開く。
妄想であろうと、なかろうと、きっとお姉さまなら受け止めてくれる。そう信じて。