11 望まぬ邂逅(ラウロ視点)
初めて入るアルベロコリーナは、草木の生い茂る中にあった。
どこからが村なのかわからないくらい。
廃村と聞いていたけれど、家らしきものはない。心霊スポットになった原因がいつの話かわからないけれど、全てが木でできているわけではないはずなので、どこかしら何かの痕跡が残っていそうなのだが、それもない。
ただ稀に家の土台に組まれていたのでは……?という石組みの一部が、下草の中に見つかる程度だった。
だから気分としては、ただ木の多い場所を歩いている。そんな感じだ。
「なーんか、拍子抜けすんなー」
鳥たちは憩い、木々の合間からは午後の日差しが差し込む。のんびりとした風景。言われなければ、ここが心霊スポットなんて誰も思わないだろう。
女の子たちが「きゃあきゃあ」叫ぶのも、幽霊ではなく、蜘蛛の巣や飛び交う虫についてのみだ。
怖くもなんともないが、それがありがたい。何もなくても、何も出なくても、自分たちはアルベロコリーナに来たというのは事実だから。
俺はエリスの手を引きながら、このまま何もなく、明日になったら級友に自慢しよう。そんな気でいた。そんな時。
「お、何かあそこ開けているぞ?」
「?」
前を歩いていたフィリッポが指を差す。
そこは彼の言う通り木々がないのか、他の場所と違いかなり明るい。その明るさに釣られるように足を向けると、それまで土だったはずの足元が、石に変わった。
苔むして変色した石。敷かれている面積は、さほど広くはない。元々はもっと広かったのかもしれないが、時代と共に失われていったのだろう。
「なんだ、ここ?」
他の場所と違い、石のせいか下草が少ない。そのお陰か、その場所には何か建物があった形跡がしっかりと残っていた。
「…教会かな?」
残っているものから、以前の姿を想像するのは難しい。それほど朽ちてしまっている。
屋根もなく、つる草を纏った壁の一部がほんの少し残る程度で、立っている位置からでも、建物内部が見渡せる。しかし、そこに何らかの調度品やら備品やらは全くのこっていない。
フィリッポが『教会』じゃないかと言ったのは、単純に周囲の状況からここが村の中心地だったのでは?と予想しただけのこと。当てずっぽうだ。
とにかく、他がただの林に戻っている以上、探索する所はここしかない。
俺たちは、がらんとしたその場所を歩き、あちこちを見て回った。
「すげー汚れてるなー」
フィリッポの嫌そうな呟きに、思わず頷く。
建物の内部だったであろう場所の床は、長年風雨にさらされていたせいか、黒ずみ、酷く汚れていた。
「これなら外の部分のほうが、綺麗なくらいだよな…あ?」
「どうした?」
「いやこれ、コインじゃね?」
彼が指さした先にあったのは、先にレリーフの彫られたコインを付けたペンダントだった。
拾ったものを見せてもらうと、かなり古いもののようで、レリーフのモチーフは聖女とユリ。この国だけでなく、大陸中に広がっている宗教の信者が持つもの。それは今も変わっていないから、すぐにわかる。
「誰のものだったんだろう?」
多分、時代的にかなり古いのではないか。鎖もコインもかなり汚れ、一部欠けている個所まである。
「名前とかない?」
同じ様に隣で見ていたフィオナが尋ねる。この手のコインは、表に聖女とユリ、裏に自分の名を彫ることも珍しくない。
彼女の言葉に、フィリッポはコインの表面を袖で擦ると、すぐに声を上げた。
「ああ、あった。えーっと、読みにくいな……。んー。カロリーナ……かな?」
摩耗した表面の文字を辛うじて読んだ。
その直後。
風が吹いた。
風が吹くくらいは、外にいるのだから当たり前だ。ただ、それまで緑の濃い匂いを運んできていたはずの風が、酷く生臭かった。
「!」
「…なんか臭くない?」
俺が感じたと同時くらいにフィオナが言い、エリスも思わず鼻を押さえる。
「……なんか雰囲気おかしくない?」
「そうかぁ?」
周囲を警戒しだしたフィオナとは反対に、フィリッポはのんびりと答え、拾ったコインをポケットに入れる。
「ちょっ!お前持って帰る気かよっ!?」
「当り前だろう?戦利品だよ、戦利品。これ持って、クラスの奴らに自慢するんだ」
「馬鹿な真似止めてよ!」
俺たちの会話で気づいたフィオナも、すぐに声を上げて止める。
随分年期が入っているから、持ち主はもういないかもしれないが、元々は人の持ち物だった物だ。持って帰れば泥棒と同じ。そう言って聞かすのに、フィリッポは悪びれもなくへらへらと笑うばかり。
大体、様々ある噂の中、唯一の共通認識みたいなルールは、『物を持ってこない』ことではなかったか?
それなのに……。
どうやって説得しよう。そう考えていると、不意に右目の端で動く何かに気が付いた。
「?」
何か動くようなものがあっただろうか?最初、俺は鳥か動物かと思った。
フィリッポも同じ時に気付いたようだ。因みにその時、俺は説得の為にフィリッポの隣にいた。だから、彼にとっても右側だったと思う。
「?どうしたの?」
対して、エリスとフィオナは俺たちの前にいた。だから、彼女たちにとっては左側なんだろう。
彼女たちは、俺たちと同じようにそちらを見た。けれど、何もみえなかったのか、首を傾げている。
「!」
そんな彼女たちの様子を不思議に思うまでもなく、俺とフィリッポは今見たものを確認し、硬直した。
床の上には何もないわけではない。崩れ落ちた壁の上部部分なども落ちている。その石材の向こうから、何かが這い出てくる。
ザリ、ザリ……。
砂と何かが擦れる小さな音。
そんな音すら聞こえる程、いつの間にか周囲から音がなくなっていた。先ほどまで、煩いくらいに聞こえていた虫の羽音も、鳥の鳴き声もない。風すらも止まったのか、木々の葉も枝も動きを止めている。
「………」
恐ろしいほどの静けさの中、隣にいるフィリッポがゴクリと唾を飲む。
それが自分の緊張感をより高める。
何か、いる。
人くらいの大きさの…なにか。
もっとよく見ようと目を凝らし……。
「「!」」
あれはなんだ、あれはなんだ、あれはなんだ。
頭が思考を強制的に停止させる。それほどの衝撃。
人のようで、人ではない何か。
二人の人間を胸の下辺りで切り取り、互いに反対になるようにくっつけた、と言えばいいだろうか。それ故、左右に顔がある。まだ若い男の顔だ。その体を支えているのは、二人の腕。だが、関節はあり得ない方向に曲がり、ちょうどバッタか何かのようにも見える。さらに、その上に彼等と背中同士を合わせた形で、もう一人いる。
こちらも手だけを上部に突き出す形で持ってはいるが、足はない。
それは、人というにはあまりにもグロテスクで、動きもカサカサとしてまるで昆虫のようだった。
それでもやっぱり、見た目は人間そのもので。そんなわけがないのに。
判断がつかず呆然としている間にも、それはゆっくりと這い出て来て、明るい陽光にその身を晒す。動きは獣というより、やはり昆虫だ。そしてそれは不意に動きを止め、やがてゆるゆると、頭らしきものを上げる。
顔が…こちらを向く……。
「!」
見ちゃだめだ!
多分、フィリッポもそう思ったのだろう。それからの二人の行動は早かった。
互いにお互いの相手の手を取り、一目散に元来た道を引き返す。
「!何?急にどうしたの?」
フィオナもエリスもわけがわからないながらも、俺たちが走るので怖くなって一緒に走る。彼女たちは何もみていなかったようだが、それが幸いした。見て、腰でも抜かされたら走れなかっただろうから。
俺たちは無我夢中で走り、林を抜け、馬車の所まで戻った。
こんな時、咎められるのを面倒臭がって、護衛を置いて家を出たのが悔やまれる。
「早く出せっ!」
馬車の隣でのんびりと馬に草を食ませていた御者は、走ってくる俺たちを見て驚いたが、急いで御者台に飛び乗ると、すぐに馬車を出してくれた。
丘が遠くなっていく。それでも、全力疾走した俺たちは、外の様子を見るでもなく、ひたすら息を整えていた。
「はあ…はあ…お、おい。追いかけて来てないよな」
「だ、大丈夫だと思う」
「………」
「………」
苦しい息遣いの中でフィリッポが問い、俺が応える。その段階になっても、女の子たちは荒く息を吐き、言葉が出なかった。
「な、なんだったんだ、あいつ」
「わ、わからない。け、けど人じゃなかった…よな?」
「あ、ああ」
お互い確認し合いながら、息と一緒に気持ちを落ち着かせようと、呼吸が深くなっている。
けれど中々上手くはいかない。
目は忙しなく小さな窓から見える左右の窓を行き来し、組んだ指も震える。
追いかけてくるのではないか?捕まったらどうなるのか。
自分たちは何を見たのか?見てもいいものだったのか、悪いものだったのか。
出ない答えを考えて、想像して……。だからだろうか。道が土から石畳へと変わる時間が嫌に長く感じた。
車輪の音が変わり、街の入り口にあたる城壁の門をくぐる頃、ようやく落ち着きを取り戻した俺たちは、それぞれ詰めていた息をホッと吐いた。
街中に戻って来た。それだけでいつもの日常に戻ったような気がして。
窓から見える空は、すでに陽が傾きオレンジを纏っている。
もう少しすると、夜の帳が落ち、家々に灯りが灯り、街灯の光が道を照らすだろう。
いつもの夜がやってくる。
「……一体何だったの?さっきの。急に走り出すからびっくりしたわ」
その安心感からだろう。先ほどまで黙っていたフィオナが口を開く。
「?え?見てなかったのか?」
「何を?」
「アレをだよ」
「?だから何よ?」
「…………」
対面していたとはいえ、立ち位置は彼女たちも、俺たちもさして変わらなかったと思う。あの位置からなら、彼女たちにも十分アレが見えていたはずだ。
なのに、フィオナは幾分不機嫌な様子を見せながらも、困惑している。本当に見えていなかったのだろうか。
俺はエリスに聞いた。
「エリスも見ていないのか?」
そう尋ねると、彼女は不安に瞳を揺らしながら頷く。
「み、見ていないわ。フィリッポとラウロが同じ方を見たから、何か見えるのかと思ったけれど、何もなくて。そうこうしている内に皆が走り出したから、私も怖くて走っちゃったの」
「…………」
「…………」
俺たちだけにしか見えていない?その意味はなんだろう?
「何なの?」
黙り込み、互いの顔を見合わせる俺とフィリッポに、いらいらとフィオナが声をかけるが、それに反応する余裕はなかった。
すでに明日の級友からの賞賛もどうでも良くなっている。むしろさっきの経験を話すのが怖いとすら思う。
さっきのは本当になんだったのか。
見たのが一人なら、幻覚で済ませた。でも俺もフィリッポも同時に見ている。
あのグロテスクな…なにか。アレが顔を上げていたら、顔が合ってしまったら…どうなっていたのだろうか。
色々と嫌な事ばかりを考え、その夜は、まんじりともせずに過ごした。