1 出会いは突然に
そろそろ眩しさを感じてくる、初夏の日差し。
案内されたのは、大きなお邸の庭園。
家人は堅苦しい応接室よりも、天気がいいからとこちらを選んだと言っていた。
今を盛りと咲き乱れるバラが、吹く風に己の芳香を移す。目に鮮やかな木々の緑。生命の力強さと、自然の清浄さを包む初夏の眩い光。
風に揺れる木の葉の煌めきと、近くにある噴水の飛沫の輝き。
何もかもがキラキラした夢のように美しい光景。
その只中に、その人はいた。
綺麗に結い上げられた、緩くウェーブを描く銀に近い金色の髪。陶器のように滑らかで、染み一つない白い肌。
小さな卵型の輪郭。整えられた眉から続く、細く高く通った鼻筋、魅惑的な赤い唇。
友好的に優しく細められたアーモンド型の大きな瞳は、透明感のある紫の色。長い睫毛と、目元にある印象的な黒子。
長い手足。
女性にしては背が高すぎるような気はするけれど、それすら欠点ではなく、彼女の魅力になっている。
恐らくそれは彼女の姿勢…というか体幹によるものなのだろう。足さばきや腕の動き一つまでも、意思を感じるようにピンと緊張感が張り巡らされ、表面的なだけではない美しさを作り出している。
ただ立っているだけでも、芸術品のように美しい。
まさに美の体現!美しいとしか言いようのない人。
こんな人、本当に存在するのか!?
目の前の人のあまりの美しさに呆然とする私に、母はにこやかに告げた。
「アンジェリーナ。今日から貴女のお兄様になる、クラウディア様よ」
前世の記憶がある人は稀に聞くが、異世界の記憶となったら、どのくらいの人が持っているのか。
私、アンジェリーナ・バスティアン、現在アンジェリーナ・アンブールグラディウスが、その記憶に気付いたのは、もうずいぶん前の事だった。勿論誰にも言ってはいない。
記憶が戻ると同時に、こんなものがあると周囲の人たちに知られたら、病院に入れられると判断したからだ。
この世界の病院、特に精神的なものを扱う所は過酷と聞く。恐らく解明出来ない事への偏見だと思うけれど、環境は劣悪で人らしくは扱ってくれないという。そんな場所に入る可能性がある事は、出来れば避けたい。
それに……本当に自分の記憶が現実にあったことなのか、自分が作り出した妄想なのか時々わからない時があるから。
そんなあやふやな状態で、この世界で時を過ごし、もうすぐ17を迎える。
子供が生まれてすぐに夫を亡くし、女手一つで私を育ててくれたこの世界の母が、再婚したいと私に告げたのは一年ほど前。
お相手の侯爵様は、母の幼馴染だった方らしい。元は伯爵で、先代がやり手のこともあり、一代で財を成し、侯爵位をたまわったとか。
そんな方と幼馴染?と不思議に思っていると、領地も近く、タウンハウスも近かったので、幼い頃はよく一緒に遊んだのだと教えてくれた。
さすがに大人になってからは、互いに別の方と結婚したので親しく会うことはなかったのだけれど。まあ、侯爵は国内で生活していたし、母は隣国に嫁いだから、物理的にも会いようもなかったというのもある。
再会したのは、数年前。侯爵が仕事で隣国に立ち寄った際、文具を買い足そうと訪れた雑貨屋で、たまたま母と再会したのだという。
その時には、お茶を一緒に飲んだだけだったのだが、侯爵も奥様をご病気で亡くして久しかったこともあり、独身同士。誰に憚られる事もなかったこともあって、侯爵の初恋が再燃。
それからは侯爵からの猛烈なアタックに母が折れ。暫くの遠距離恋愛の末、この度一緒になることになった、というわけだ。
再婚同士という事もあって、互いに子連れの結婚。
普通なら、子供の理解を得るのは難しいと思うだろう。しかし、侯爵の息子さんはすでに二十歳を越え、私もデビューが終わったばかり。両者大人といえる年頃だ。互いの親の再婚に、わだかまりや反発といった気持ちはない。
むしろ私の方は、それまで一人っ子という事もあって、環境が変わる不安よりも、兄妹ができる事への期待の方が高かった。
母も義父も再婚とはいえまだ若いから、弟か妹が出来る可能性は高い。それはそれで嬉しいのだが、兄や姉というのは、自分より年上なだけに、望んでも得られない。でも、連れ子ならそれも可能。
できれば、仲良くしてもらいたいな。でも、成人しているなら鬱陶しいと思われて無理かな、とか色々考えた。
考えた。
の、だけれども…。
「アンジェリーナ。今日から貴女のお兄様になる、クラウディア様よ」
母の声が遠くから聞こえる気がする。
「よろしく」
にこやかに差し出してくれた、細く長い指を持つ嫋やかな手。
圧を感じる程の、麗しいご尊顔。
お兄さまでもお姉さまでも、できたら嬉しいと思っていた。しかし、流石にこれは想定していなかった。
「…………」
どこをどう見てもお兄様ではなく、お姉さまなのだが、母が『お兄様』と紹介したということは、この方は男性なのだろう。
しかし、外見は傾国の美女そのもの。
お世辞抜きで、女神や天女のように麗しい。
「…………」
何の予備知識もなく、初対面でこの衝撃。
フリーズした私を、誰が責めるというのか。
それでも、このままずっと固まっていても仕方ない。
私は止まっていた己の脳みそを、ゆるゆると動かし始めた。
最初の挨拶に、男性の恰好ではなく女性の恰好で現れた。ということは、この方は女性を自認している方なのだろう。
その上で、家族になるのだからと、最初から?偽りのない自分を見せてくれようとしたのか。きっとご本人の中では、葛藤もあっただろうに。
「…………」
ある意味潔い。その心意気良し!
私は大きく頷き、彼女の手を「ガシっ」と握り返した。
嘘偽りなく本心を見せてくれた彼女に対し、私も家族として誠実に対応させていただこう!
相手が、友好を示し、心中を明かしてくれているのだ。それに私たちは家族になる。しかも、意地悪な態度を取られたわけでも、理不尽な要求をされたわけでもない。好意的に接してくれている。ならばこちらも、あちらの事情の全てを受け止めなければ。
そんな思いで彼女の手を握ったまま顔を上げ、私は満面の笑みで最初の挨拶をした。
「初めまして。アンジェリーナです。よろしくお願いします、お姉さま」
しっかり挨拶したつもりだったが、少々意気込みが強すぎたようだ。お姉さまの紫色をした目が見開かれる。そのままの状態で彼女は暫く硬直していたが、少しの間の後、本当に嬉しそうに、花が綻んだように清々しくも美しい笑みを見せてくれた。
「こちらこそ、よろしく。アンジェリーナ様…アンジェと呼ばせていただいても?」
「もちろんです。嬉しいです」
「私こそ嬉しいわ。こんな可愛い妹ができるなんて」
?可愛い?
いや、そんな事はないのだけれど。
確かに前世の自分の記憶からすると、可愛い部類に入るかもしれないけれど、こちらの世界の基準では平凡な顔立ちだし、髪は金髪に赤毛の混じったストロベリーブロンド。目は緑とも灰色ともつかない地味な色。おまけに外遊びが好きだったのが災いしてか、そばかすだってうっすらと浮かんでいる。
どう贔屓目に見ても、目の前の美女に誉めて貰える要素なんてなさそうだ。
首を傾げて考え、ああ、これはお世辞と言う奴だ!と正解に辿り着く。申し訳ない、初対面から気を使わせてしまった!
そんな事を思っていると、目の前の美女は繊細な手で私の頭を撫で、甘く微笑んで顔を寄せると、耳元で小さく、本当に小さく告げた。
「本当に嬉しい。……気に入ったよ。それに、ありがとうアンジェ」
先ほどまでの、耳に心地よいアルトの声ではない。もっと低く甘さを含んだ男性の声。
驚いて再度見上げると、髪と同じ金色の長い睫毛に縁どられた、紫色の瞳が楽しそうに輝いていた。